太田述正コラム#3314(2009.6.4)
<皆さんとディスカッション(続x506)>
<太田>
 何となく日本内外情勢はなぎの状態に入っちゃったみたいですね。
 こういう時、ぜひ太田コラムのバックナンバーを読みましょう!
<鯨馬>
 最近読んだ二つの著作について、太田さんの主張と関連しそうなところがあったので紹介します。ちなみにどちらも著作の本筋とは関係ありません。
1 チャルマーズ・ジョンソン「アメリカ帝国への報復」集英社 p11, 31
 日本軍(の残虐行為)が、無学で生来保守的な農民たちを共産党支持に追いやった。さもなければ共産党は政権につけなかった。
 この主張は、二十世紀前半の東アジアの混乱の責をアメリカに帰する太田説とは対照的ですが、どう思われますか?
 もちろん、基本において著者のチャルマーズ・ジョンソンの主張は太田さんの主張と大きく重なっています。
チャルマーズ・ジョンソン保護国日韓を語る(太田述正コラム#1217-)
ペシミズム溢れる米国(太田述正コラム#1145-)
2 ギャディス「アメリカ外交の大戦略」慶應義塾大学出版会 p28
 アメリカがさらなる拡大を諦めた背景にある人種差別:非白人を同化することをフィリピンの反乱以降断念。
 翻訳ではよくわからなかったのですが、以前どれかのコラムで読んだご主張を裏付けるもののように思えました。とはいえ、それが主因というわけでもなさそうですが。
<太田>
 さっそく呼びかけに応えていただき、ありがとうございます。
 2の方からですが、有色人種差別意識が米国の帝国主義的発展をもたらすとともに、植民地化的発展の限界を画した、と私はジョージ・ヘリング(George C. Herring)の著作を援用しつつコラム#2937、3066で指摘したわけですが、ギャデスも同じことを言っているのですね。
 1の方ですが、スターリンは、中国国民党の中に共産党員ないし共産党シンパを送り込む一方で中国共産党もつくるという、念には念を入れた支那支配戦略を展開したわけであり、支那(満州を含む)における日本のプレゼンスが国民党による支那統一の障害となり、結果として中国共産党が裨益したことは事実であっても、日本さえ手を出さなかったら支那が混乱を免れ得たとは思いません。
 日本が手を出さずにいたならば、スターリンは公然と中国共産党を支援したはずですし、中国国民党内には(国共合作を実現させた)張学良のような親共分子が、彼の他にもゴマンといたのですからね。。
<εαεα>(「たった一人の反乱」より)
 –男女間の友情について–
 友情の定義は難しい。
 親密な感情のうち、家族の愛は簡単に定義可能だが、恋愛・友情は排他的な関係にあるのか明確ではない。
 ここでは議論を単純化するため、家族の愛、恋愛、友情は互いに排他的な関係にあるものとする。
 ところで恋愛は異性間でするものとは限らない。
 西側先進国において同性愛が病とみなされなくなってから久しい。
 (1973年、アメリカ精神医学会発行の精神障害診断基準であるDSM-2の第七版から削除。
 93年WHO「国際疾病分類」(ICD)改訂第10版で「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」と宣言。
 94年厚生省がICDを公式基準として採用。
 95年に日本精神神経医学会がICDを尊重するという見解を提出)。
 つまり、ここで同性愛者の存在により「男女間の友情は存在するか」という問いは無効化される。
男性同性愛者=女性
女性同性愛者=男性
とみなすアクロバットも不可能ではないが、両性愛者の存在により結局は無効化される。
 つまり、現代西側先進国における教養ある人々の間において、「男女間の友情は存在するか」などという問いはナンセンスなのである。
<太田>
 大笑いしちゃったな。
 そんなこと言ったら、コラム#3228の
「男女関係に比べてこれまであまり研究されてこなかった友人関係についても、最近、科学のメスが入れられつつあります。」
という私の冒頭の文章も、
「友情研究の多くが女性同士の密な関係を対象としているが、いくつかのリサーチで、男性も<友情によって>裨益しうることが示されている。」
というニューヨークタイムスの記事の文章も、
「・・・女性達の友情は顔を見合わせながらのものであるのに対し、男性達の友情は横に並びながらのものなのだ」等のクリスチャンサイエンスモニターの記事の文章も、
すべて「ナンセンス」だってことになっちゃうぜ。
 人間について語る場合は、大数的観察について語っているのであって、mentally normalでstraightな男(女)なんていちいち長ったらしい修飾語を使ってたら、文章なんて書けなくなっちゃうわさ。
 では、記事の紹介です。
 20代女性の高い専業主婦志向(コラム#3304)の理由を詮索したことは結構なのですが、まるで中身のない記事↓になってますね。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090604-OYT1T00154.htm
 いずれにせよ、彼女達は、漫画家・西原理恵子の「<女性に>働かないという選択肢はない」との主張↓をぜひ読むべし。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090601/156933/
 
 本日は、天安門事件20周年です。
 内外の各種メディアの電子版がこの事件がらみの記事を載せていますが、出色のできなのがニューヨークタイムスの記事↓です。
 ・・・Troops had already opened fire on an ambulance that had tried to collect the injured, so other ambulances kept their distance. Finally, some unlikely saviors emerged ? the rickshaw drivers.
 These were peasants and workers who made a living pedaling bicycle rickshaws, carrying passengers or freight around Beijing. It was those rickshaw drivers who slowly pedaled out toward the troops to collect the bodies of the dead and injured. Then they raced back to us, legs straining furiously, rushing toward the nearest hospital.
 One stocky rickshaw driver had tears streaming down his cheeks as he drove past me to display a badly wounded student so that I could photograph or recount the incident. That driver perhaps couldn’t have defined democracy, but he had risked his life to try to advance it.
 That was happening all over Beijing. On the old airport road that same night, truckloads of troops were entering the city from the east. A middle-aged bus driver saw them and quickly blocked the road with his bus.
Move aside, the troops shouted.
 I won’t let you attack the students, the bus driver retorted defiantly.
 The troops pointed their guns at the bus driver and ordered him to move the bus aside. Instead, he plucked the keys from the ignition and hurled them into the bushes beside the road to ensure that no one could drive that bus away. The man was arrested; I don’t know what happened to him.・・・
 So, 20 years later, what happened to that bold yearning for democracy? ・・・
 Another answer is that many of those rickshaw drivers and bus drivers and others in 1989 were demanding not precisely a parliamentary democracy, but a better life ? and they got it. ・・・
http://www.nytimes.com/2009/06/04/opinion/04kristof.html?_r=1&ref=opinion&pagewanted=print
 日本の主要紙の電子版には見るべき記事はありませんでした。
 日経ビジネスも同様ですが、強いて言えば、下掲の二つの記事↓の、それぞれ1センテンスだけ、読み応えがありました。
 「・・・中国の問題は、何か。それは、民主主義も先進国並みの経済水準も達成しないまま、高齢化を迎えて「老いてゆく大国」になってしまうことにある。・・・」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090603/196618/?top
 「・・・<天安門事件が>家庭・学校・社会という3つの教育現場を通じて語り継がれていないこと、「六・四」<(=天安門事件)>に関して何か特別な言動を起こすことで、将来のキャリアが冒されること、の2点が北京大生が「六・四」について知らない、あるいは無関心の原因になっている。・・・」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090603/196619/?top
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太田述正コラム#3315(2009.6.4)
<調理が人類を誕生させた?(続)>
→非公開