太田述正コラム#3236(2009.4.25)
<パキスタン解体へ(?)(その2)>(2009.6.6公開)
 「・・・タリバンは、スワト(Swat)から隣接のブーネアーとシャングラ(Shangla)地区へ進出するにあたって両用の構えを見せた。
 彼らは、ブーネアーの政府の建物防護のために送られた辺境警察の車列を襲撃したが、同時に非宗教的裁判官達が全員スワトを去らねばならないとされた期日を延ばし、彼らは、他の地域へ進出するのは「たんに説教をするため」である、と言明した。
 しかし、パキスタンのメディアは、タリバンがブーネアーを過去数日間で武力でもって席巻したことや、<ブーネアーの>国の裁判官や役人達が職場を放棄するに至ったことを報じている。
 黒色のターバンを巻いた戦闘員達は、人気のある社(やしろ)を占領し、それを過激な内容の放送を行うためのラジオ放送局にした。
 <ブーネアーの>各公共市場ではタリバンの部隊以外の人影は見られない、と報じられている。彼らは、TVのニュース番組で、マスクをつけ、小銃をふりかざす姿で放映された。・・・」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/22/AR2009042200863_pf.html
(4月24日アクセス)
3 背景
 (1)スワット取引
 「・・・ザルダリとその連合勢力は、タリバンがスワト渓谷<(=マラカンド(下出))>に厳格なシャリア法を施行することを認める代わりに<タリバンは>武器を放棄する、という平和的取引を推進した。・・・ 
 元首相のナワズ・シャリフ・・・<自身、>首相当時の1990年代、パキスタン全土にシャリア法を施行することを目論んだことがある。・・・
 タリバンの戦闘員達がパキスタン北西部の地域をどんどん占領していき、そこにイスラム的司法を施行すると公言するにつれ、政治家や専門家は<スワトから>逃亡した。
 <今や、>北西部を地盤とするアワミ国民党(ANP)や、<パキスタン全体の与党である>ザルダリのパキスタン人民党は、2008年2月の選挙で彼らに投票した<スワト内の>選挙区を訪問しようとはしない。
 先月、家族とともにスワトから逃亡した弁護士・・・は、この選挙の前に世俗的な候補者達が集会を開いたり選挙運動をやったりするのが叛乱者達の圧力によっていかに妨げられたかについて語った。しかし、<それにもかかわらず、選挙では>彼らの<上記>二つの政党が得票をさらう一方、<タリバンの息のかかった>宗教的諸党には票は集まらなかった。・・・
 <この弁護士いわく、>「今やANPは、シャリアによる統治という苦い薬を飲み込まなければならないことになったわけだが、人々がそれを欲したなどと誰が言えようか。彼らは、追い詰められてそうせざるをえなかったのだ。そして、もはや誰も彼らを守る者はいなくなった」と。」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/22/AR2009042200863_pf.html上掲
 (2)タリバンのねらい
 「・・・タリバンの広報官・・・は、・・・彼らの目標は、イスラム教カリフ(Islamic caliphate)をまずパキスタンで、そして全イスラム世界で樹立することであると語った。
 「民主主義は欧州諸国のための制度だ。それはイスラム教徒のためのものではない」と彼は言った。
 「<シャリア>は司法だけについてのものではない。教育、健康、経済についてのものでもあるのだ。あらゆるものがシャリアによって律せられなければならな。」とも。」
http://www.guardian.co.uk/world/2009/apr/24/taliban-pakistan-islamists-swat-sharia-law
(4月24日アクセス)
 「・・・<上記タリバンの広報官>は、彼らが<政府を>乗っ取った暁には、「民主主義は不必要になる。アラーが選挙をなさることになろう」と言う。・・・
 「我々は全イスラム諸国の連合体をつくりたいのだ。ちょうど米合衆国のようなね」と彼は言う。
 しかし、当面は彼らはマラカンド(Malakand<。厳密に言うと、スワトはその一部だが要衝。(太田)>)で我慢する。それは北西辺境州の3分の1を占める広大な地域だ。2週間前にパキスタン政府は、各方面から議論が出ているところの、タリバンとの平和取引を受け、この地域でイスラム教統治を敷くことに合意したところだ。・・・」
http://www.guardian.co.uk/world/2009/apr/25/taliban-mingora-pakistan-swat-islamists
(4月25日アクセス)
 「・・・スワトの150万人の住民は、戦闘員達による乗っ取りを支持した<というわけではない。>・・・
 スワトにおいて、先週、・・・<ある>上級聖職者・・・は、「完全なイスラム制度」を北西地域に創設し、それを最終的には全パキスタンに広げることが<タリバンの>ねらいだと語った。
 銘記すべきことだが、以前の話とは違って、彼は、シャリア裁判所から国の裁判所への上訴は認められない、と語った。
 「全ての非イスラム的な法律や慣習は廃止される」と彼は語り、彼や他の・・・過激派達は、パキスタンの欧米流の民主主義的憲法は認められないと考えている、とはっきり言明した。「コーランには、不信心者の制度を支持することは大きな罪であると記されている」と。
 タリバンの戦闘員達は、次第にスワトを彼らの支配を広げるための根拠地として用いるようになっており、ブーネアーとシャングラ地区に部隊を侵入させ、首都イスラマバードにその兵力の配備をどんどん近づけつつある。
 <そして>今週、ブーネアーに送られた<パキスタン政府の>治安部隊は反撃され、死傷者が出たわけだ。・・・
 <ワシントンとロンドンでの勤務経験のあるパキスタンの元外交官の女性は、>「とにかく、<スワト取引は、>建国の父ムハマッド・アリ・ジンナー(Muhammad Ali Jinnah)・・・のパキスタン、からの総退却を意味するのよ」と・・・語った。
 「それは、文字通り、<ジンナーの>ビジョンや理想のアンチテーゼなの。<このビジョンや理想の>核心は、反啓蒙主義者達や宗派の手でバラバラにされることのない、近代的かつ統一されたイスラム国家なんだから」と。・・・」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/apr/24/pakistan-swat-valley-taliban
(4月25日アクセス)
(続く)