太田述正コラム#15252(2025.10.15)
<Morris, Marc『The Anglo-Saxons: A History of the Beginnings of England』を読む(その1)>(2026.1.9公開)

1 始めに

 大分岐(Great Divergence)のウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Divergence ◎
掲載の主要諸国の一人当たりGDP推計推移グラフ↓
https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Divergence#/media/File:Maddison_GDP_per_capita_1500-1950.svg ▲
を見て(コラム#15220)から、◎の本文を読んだ際に、大分岐という観念は米国の国際政治学者のハンチントン(Samuel P. Huntington)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3
が1996年に初めて用いたものであるところ、それまでイギリス人は韜晦目的からそんなことはおくびにも出さずにいたのに、やむをえず、その後、英国の経済史学者のブローベリー(Stephen Broadberry。1956年~)
https://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Broadberry
等が使い出すと共に、彼らはこの大分岐の時期を次第に遡らせつつあるけれど、私は、彼らイギリス人達は依然として韜晦を続けている、と勘繰っています。
 というのも、▲から、私見であるところの本当の大分岐・・これからは大分岐(改)と呼ぶことにしましょうか・・は、イギリス・・米国はこの図には出て来ないのですが、イギリスを始めとする広義のアングロサクソン諸国・・、と、その他の西欧諸国を含む全世界、との間で起こったことが明らかだというのに、そのことに彼らがあえて口を拭っているのは明らかだと私は思うからです。
 私は、それに加えて、▲から、イタリアをイギリスが抜いたのが17世紀後半に過ぎず、しかも、他方で、ドイツとスペインの水準は長期にわたってイタリアを下回っていたことに瞠目させられました。
 そして、イギリスの貴族の子弟が学業の終了時に行った長期国外旅行であるグランドツアー・・17世紀初頭から19世紀初頭・・の行き先に必ずイタリアが含まれていた、というか、主たる訪問先がイタリアであった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC
ことは、単にローマやルネッサンスの「遺跡」見学だけが目的では全くなかった、という気もしてきました。
 その上で、二つの問題意識が私に芽生えました。
 イギリスの、ひいては広義のアングロサクソン諸国の「高度経済成長」の起点は、アングロサクソン諸王国成立期なのではないのか、また、それが始まったのはなぜなのか、ということと、どうしてイタリアの経済水準は長期にわたってこれほど高かったか、です。
 既に始まっている「『中世イタリアの都市と商人』を読む」シリーズは後者の問題意識に基づくものであり、この「『The Anglo-Saxons: A History of the Beginnings of England』を読む」シリーズは、前者の問題意識に基づくものです。 
 私は「ぶっとび江戸時代史–太田世界史ついに概成へ!」を上梓したばかりですが、世界史概成と言っても、粗々過ぎる概成ではないかという思い、や、アングロサクソン論から始まった太田コラム上での私の世界史探求の原点を改めて振り返ってみたいという思い、も込めて、このシリーズをお送りします。

 さて、Marc Morris(マーク・モリス。1973年~)は、キングス・カレッジ・ロンドンとオックスフォード大で大学教育を受け、英国中世史の論文で博士号を授与された英国の歴史学者です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marc_Morris_(historian) 

2 『The Anglo-Saxons: A History of the Beginnings of England』を読む

(続く)