太田述正コラム#15278(2025.10.28)
<清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』を読む(その8)>(2026.1.22公開)
「・・・中世地中海商業は決して香料や絹のような奢侈品貿易につきるわけではない。
・・・穀物、ぶどう酒、オリーブ油などの食料の輸送は、中世においても同様に重要なものであった。
⇒少し時代は下る典拠ながら、私は、「17世紀にジャワに進出したオランダ東インド会社とイギリス東インド会社の最大の目的は,胡椒を筆頭として丁子,肉荳蔲,肉桂のヨーロッパへの輸入であった。」
https://kotobank.jp/word/%E9%A6%99%E6%96%99-63391
という認識であったので、胡椒が奢侈品か、と、怪訝な思いを抱いたところ、「冷蔵技術が未発達であった時代には、腐りかけの肉の匂いを隠すためや、その防腐作用のためにコショウが珍重されたといわれることが多い。しかし贅沢品であるコショウを入手できるような人は裕福であり、新鮮な肉を入手できたはずであったとも考えられている。また、確かにコショウに含まれるピペリンなどには殺菌作用があるが、香辛料としての使用量程度では有効ではなく、より効果的な保存法である塩漬けは当時から使われていた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6
ということから、私が無知であったことを知った次第です。(太田)
ジェノヴァ<(注13)>は、イタリアの海上勢力としてヴェネツィアの最大のライヴァルであったが、両者にはいちじるしい差があり、時には対照的な性格を見せていることは興味深い。
(注13)「ローマ帝国崩壊後、東ゴート王国、東ローマ帝国、ランゴバルド王国、カロリング朝の支配領域に入り、9世紀半ばから10世紀半ばにかけてはムスリムの襲撃をうける。956年、イタリア王が国王証書でジェノヴァの住人に対し慣習と所有権を保証する。
中世後期から12世紀・13世紀までのジェノヴァは、大きな交易で繁栄した時代であった。ジェノヴァ商人は東方から買いつけた絹、香辛料、貴金属、ミョウバンなどを扱っていた。1096年ごろに成立したときのジェノヴァ共和国は、イタリア王国に属する自由コムーネであった。・・・
第一次十字軍への参加と同じころの1098年に、コンパーニャ・コムニスという誓約者団体を結成し、これがジェノヴァの都市共同体の原型となる。・・・
[Before 1100, Genoa emerged as an independent city-state, one of a number of Italian city-states during this period. Nominally, the Holy Roman Emperor was overlord and the Bishop of Genoa was president of the city; however, actual power was wielded by a number of “consuls” annually elected by popular assembly.・・・
・・・in practice, the republic was an oligarchy ruled by a small group of merchant families, from whom the doges were selected.
https://en.wikipedia.org/wiki/Republic_of_Genoa ]
当時、イスラム教徒の略奪者たちがティレニア海沿岸の都市を襲っていた。・・・
1016年、ジェノヴァ=ピサ連合軍が<イスラム教徒から>サルデーニャを防衛した。1066年、サルデーニャ支配を巡ってジェノヴァはピサと争った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A1%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
たとえば、ヴェネツィアは、いちじるしく国家主導型の社会であった。
ビザンツ帝国の影響を受けたといわれる国営造船所や国有ガレー船の存在が示すように、国家は東方貿易に直接的に介入していた。
その政治が安定していることでは定評があり、大評議会のメンバーとなる資格を世襲的に持っている都市貴族グループの支配は強固であった。
これに対してジェノヴァでは、いくつかの有力な家がそれぞれ党派をなして対立するケースが多く、都市政治はしばしば動揺した。
⇒「注13」を踏まえれば、ジェノア司教がジェノアの首長で、その上に神聖ローマ皇帝がいたわけですから、「独立」していたヴェネツィア、と、こういう比較してみても始まらないように思うのですが・・。(太田)
都市国家の権威は、ヴェネツィアにくらべるとはるかに低く、東方貿易に国が直接に介入することもなかった。
国営造船所も存在せず、造船は私的な企業にゆだねられていた。
ヴェネツィアは、東地中海各地の植民地に官吏を派遣し、これを直接的に統治する努力を行っていた。
これに対して、ジェノヴァでは、植民活動もMaona<(注14)>と呼ばれる私的植民組合によって行われ、その運営はきわめて自立的であった。・・・
(注14)The most probable etymology is the one suggested by Michele Amari, who traces its origin to Arabic, from ma’ūnah (“comforting assistance”, “extraordinary contribution”, or even “commercial company”.
These associations were mainly characteristic of the Italian Maritime Republics, in particular of the Republic of Genoa, which for example established the lucrative Maona di Scio, for the exploitation of resources and trade centered on the Aegean island of Scio (today’s Chio<(キオス島)>) and in which the members of the noble Giustiniani family played a predominant role.
https://it.wikipedia.org/wiki/Maona_(storia)
⇒上述と同じことを繰り返したいと思います。(太田)
同様に、大きな差が両都市の船についても、また、それらが運ぶ商品についても存在するのである。」(38、42~43)
(続く)