太田述正コラム#15286(2025.11.1)
<清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』を読む(その10)>(2026.1.26公開)
「・・・内陸都市フィレンツェも、1406年に宿敵ピサを征服<(注17)>し、さらに1421年には良港リフォルノ<(注18)>をジェノバから購入した後、地中海貿易・・・<更には、>フランドル航路・・・に進出した。・・・
(注17)「ローマ帝国の末期、イタリアの他都市は衰退の道を歩んだが、ピサはさほど衰えなかったといわれている。これは河川の水運の規模の大きさと、強力な防衛力に支えられていた。・・・
常に皇帝派であったピサは、14世紀の過程で、・・・ピサ軍<が>モンテカティーニの戦いでフィレンツェ共和国を敗退させさえし、ピサは再び軍事力を作り上げようとした。しかしそのすぐ後、ピサは共和国内の内部闘争によって二分され、力を失ったことで弱体化し、1406年にフィレンツェに占領された。1409年、ピサは大シスマ<(教会大分裂)>解消を目的としたピサ公会議の場となった。・・・さらに15世紀、港が堆積され海から切り離されたことで、海への行き来がさらに困難になった。1494年にフランス王シャルル8世はナポリ王位を請求してイタリア諸国へ侵攻、フィレンツェ共和国が敗退し、ピサは第二次ピサ共和国として自治権を再生する機会をいきなりつかんだ。
しかし新たな自由は長くなかった。15年間の戦争と包囲戦の後、ピサは1509年に・・・フィレンツェ軍に再征服されたのである。トスカーナ第1の港の地位はリヴォルノに奪われた。ピサは主として第2の地位に甘んじ、1343年創立のピサ大学の存在によって文化的役割に駆り立てられた。その衰退ぶりは人口に明らかに見られ、中世以後ほぼ不変であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B5
(注18)リヴォルノ(It is traditionally known in English as Leghorn(レグホン))。’The Republic of Pisa owned Livorna from 1103・・・In 1399, Pisa sold Livorna to the Visconti of Milan; in 1405 it was sold to the Republic of Genoa; and on 28 August 1421 it was bought by the Republic of Florence.’
https://en.wikipedia.org/wiki/Livorno
10、11世紀に地中海貿易が「復活」した時代には、ビザンティウムやイスラム圏と西ヨーロッパとの経済的・文化的格差は明瞭なものであった。
後者は、前者から香料や精巧な手工業製品を輸入し、木材や金属のような原材料や奴隷などを輸出していた。
しかし、13世紀から14世紀にかけて西側の工業力が発展し、逆にエジプトや北アフリカにおける工業が衰退したことによって。この関係は次第に変化し、やがて逆転するようになったと思われる。
14世紀末からエジプトやシリアへ大量の西ヨーロッパ産毛織物の進出が始まった。
たとえば、古くから重要な織物工業の中心地であったアレキサンドリアでも織機の減少がいちじるしく、人々は古来の麻の服をすててヨーロッパ産の毛織物を身にまとうようになったといわれている。
同じようにガラス器、金属製品、紙などが西ヨーロッパからかつての本場へさかんに輸出されるようになった。
つまり、11世紀と15世紀では東方貿易構造が大きく変化していたのである。」(78、80~81)
⇒イギリスの毛織物産業等の生産方式や技術が、西欧北部にゆっくりしたペースでではあれ次第に継受されて行き、イタリアやスペイン/ポルトガルへの普及は遅れつつも、全体として、中近東/北アフリカの生産方式や技術を凌駕して行った結果が、かかる東方貿易構造の変化をもたらした、ということではないでしょうか。(太田)
(続く)