太田述正コラム#15294(2025.11.5)
<清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』を読む(その12)>(2026.1.30公開)

 「13世紀から14世紀にかけて公証人<(注20)>層の急速な増大が見られるが、その準備教育は、各地に多数存在した公証人学校において行われた。

 (注20)notary。「公証人・・・の起源についてはローマ法に由来するとされる。
 現代では中世ヨーロッパの神聖ローマ帝国(ドイツとイタリアの一部)が始まりと言われており、12世紀頃に生じたとされるが詳細は不明。当初は神聖ローマ皇帝やローマ教皇の免許を要したが、後に自治都市内のギルドに資格授与権が下賜されるようになった。
 当初は商業上の契約や帳簿など広範の私的文書作成を担当してきた。14世紀以後、商人達の識字率向上や複式簿記の発達などに伴って、専ら法的文書の作成に従事するようになる。
 公証人には当時一般的だった厳しい徒弟制度が存在せず、教養人にとって必須だったラテン語の知識が求められたことなどから、自由を求めるルネサンス時代の都市教養人にとっては憧れの職業となった。逆に言えば、ひとかどの教養のある人であれば、誰でも公証人の資格が取れた。その頃のイタリアのピサやジェノヴァ、フィレンツェでは、人口200人に1人以上の割合で公証人がいたと言われている。
 だが、同時に悪質な公証人が現れる危険性も増大したため、1512年に当時の神聖ローマ皇帝が「帝国公証人法」を定めて、その公的性格と公平中立の義務、国家による監督という基本原則が定められた。
 ドイツやイタリア以外のヨーロッパ諸国でも社会に根付いた存在となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E8%A8%BC%E4%BA%BA

 これは、多くの場合、小規模な私塾的な教育機関であって、大学ではなかった。・・・
 公証人の業務は、本来、自由業である点に特徴がある。
 しかし、中世においては、公証人が官職に就任することは、なんらさしつかえなかった。
 それどころか、都市であれ、ギルドであれ、公証人がその専門的知識をもって勤務することが期待されている多数の官職が存在した。
 少数の重要な行政官・司法官の職は、大学で法学をまなんだものによって占められたが、かれらも、実務的には多数の公証人出身の「書記」の活動によって支えられていたのである。」(129~131)


[複式簿記]

 Double-entry bookkeeping system。」「イタリアの都市国家において、・・・複式簿記が生成されたといわれる。・・・
 世界で最初に出版された複式簿記の理論書は、1494年にイタリアの商人出身の数学者ルカ・パチョーリ(1445年ごろ – 1517年)によって書かれた「スムマ」(算術・幾何・比及び比例全書)と呼ばれる本の中の「簿記論」である。それは当時行なわれていた簿記についての理論的解説である。その後複式簿記は広くヨーロッパで行われた(このため、「イタリア式簿記」又は「大陸式簿記」とも呼ばれている。「複式簿記」の命名者<は、>・・・ベネデット・コトルリ・・・)。
 17世紀経済の中心がオランダに移ると期間計算の概念が生じる。19世紀イギリスにおいて現金主義から発生主義に移行し現代会計の基本が形成される。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E5%BC%8F%E7%B0%BF%E8%A8%98

⇒公証人制度よりもイタリア起源であることがより確実であると思われる複式簿記に清水が触れていないのは片手落ちだと思う。(太田)

(続く)