太田述正コラム#15298(2025.11.7)
<清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』を読む(その13)>(2026.2.1公開)


[マニュファクチュア]

 「地主や商人が工場を設け、そこに賃金労働者を集め、数次にわたる製造工程を1人が行うのではなく、それぞれの工程を分業や協業をおこない、多くの人員を集めてより効率的に生産を行う方式のこと。分業であるために作業効率が向上し、生産能力が飛躍的に上がるが、技術水準は前近代的なものにとどまる。
 経済史では、農民の副業として発展した問屋制家内工業の次段階とされる。
 さらに産業革命以降は、工場内で機械を用いて製品を大量に生産する工場制機械工業が工場制手工業の次の段階として登場する。・・・
 イギリスにおけるマニュファクチュアの発達は、中世末期の15世紀にさかのぼり、毛織物業がその中心であったとされる。イギリスでは、その原料獲得のために、農地を牧羊地に転換させる囲い込み(第一次)が、15世紀末から17世紀にかけて起こり、各地に農村工業都市が出現しているが、同時にギルドが解体していく原因のひとつともなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2

⇒イタリアにおけるマニュファクチュアの出現が遅れた理由・・ちなみに、「日本においていつごろ始まったかということについては、諸説あるが、天保年間(1830年(天保元年) – 1843年(天保14年))には、大坂周辺や尾張の綿織物業、桐生など北関東の絹織物業において、既に行われていたと考えられる。」(上掲)・・についても、清水は触れていないが、やはり、片手落ちだと思う。
 なお、英語のmanufactureに、マニュファクチュアの意味がないこと、
https://ejje.weblio.jp/content/manufacture
は、イギリスには工業製品のマニュファクチュア時代がなかったことを示唆している。(太田) 

 「中世の手工業は各職種ごとにギルドに組織されており、そこでは生産方法や徒弟の数などがギルドの規約によって厳しく統制されていたので、生産の自由な発展は望めなかった。

⇒「まず第1に商人ギルドに関してであるが,その形成について,・・・<1890年に>・・・ユダヤ系アメリカ人<の>・・・C.グロス<(Gross)>・・・はノルマン征服後大陸からイギリスヘ導入されたものとし,・・・ 14, 15 世紀に・・・入ると商人ギルドは衰滅にむかう<とした。>・・・
 <また、>彼によれば,<イギリスでは>商人ギルドは本来手工業者を含<んでいたとする。>・・・
 <これに対し、1870年のドイツの>L.ブレンターノ<(注21)>・・・のイギリス<の>ギルドに関する主要な主張<の>・・・1はギルドの家族起源説<だ>。

 (注21)ルヨ・ブレンターノ(Lujo Brentano。1844~1931年)。「ドイツの経済学者。新歴史学派の一人。社会政策学会結成時の左派中心人物であり、グスタフ・フォン・シュモラーと共に講壇社会主義の代表的存在。・・・社会政策の一環として労働組合主義を唱え、資本主義の発展の源泉を商人の私利私欲の追及に求めたことから、マックス・ヴェーバーと論争している。・・・近代資本主義の促進にユダヤ人が多くの役割を果たしたというヴェルナー・ゾンバルトの主張を批判したことでも知られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%A8%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8E

⇒改めて、資本主義の起源について、全てドイツ人であるところの、ヴェーバーもブレンターノもゾンバルトも、間違っていたことを思い起こさせてくれたが、同じ伝で、ブレンターノは、ギルドが封建制同様、イギリスでは自生したものではなく、だからこそ、早期に解体してしまったこと、を直視しようとしなかったわけだ。(太田)
 
(続く)