太田述正コラム#15302(2025.11.9)
<清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』を読む(その14)>(2026.2.3公開)

 彼によれば,ギルドは「相互扶助のために」時には宣誓にもとづいて結成される緊密な「兄弟団的な結合」と規定され、かかる特徴をもつ団体の起源は家族に求められる。そもそもゲルマン民族における家族は,兄弟団的結束を確認する饗宴feastをもつとともに,ひとつの基本的単位として,殺人・傷害に対する復讐,略奪に対する賠償,窃盗に対する告訴を行う一方,家族内の貧困・疾病に対する相互扶助を行った。かくして彼は家族を「最初のギルド」the first gild,あるいは「ギルドの原型」an architype type of the gildsと呼んでいる。しかしながらゲルマン民族の移動定住後,家族は上述の如き機能を弱め,かわってより大規模な「人工的結合」つまりgegildan, Frit Gildがそれを吸収する。これは一定地域内の家族が共同のいけにえを捧げる共同集会から発生し, 外部からの(特に領主magnateからの)支配・干渉に抵抗しつつ,告訴,賠償のための単位団体,相互扶助組織・・ギルド(gegildan)・・へと転化した<というのだ。>」
https://www.bing.com/ck/a?!&&p=bfbc8ba2b219c1eeac03481c6f42b12015e8be6fd9666c11ee2227ef66e1a5a2JmltdHM9MTc2MTYwOTYwMA&ptn=3&ver=2&hsh=4&fclid=14e97463-d0d3-67d4-0bbd-61bcd1a96641&psq=%e3%82%ae%e3%83%ab%e3%83%89+%e3%82%a4%e3%82%ae%e3%83%aa%e3%82%b9&u=a1aHR0cHM6Ly90b2hva3UucmVwby5uaWkuYWMuanAvcmVjb3JkLzIwMDUwMzkvZmlsZXMvMDM4NzYyNTYtNDIlMjgxJTI5LTEwNS5wZGY

⇒西欧のギルドが家(家族)を起源に持つというブレンターノ説が正しいとすれば、個人主義文化のイギリスでは家など貴族を除けば存在した験しがない以上、ギルドが自生する筈がないわけだ。(太田)

 ところが、中世末期から近世初頭にかけて、国内の商品経済や海外貿易が活発になり、毛織物をはじめとする商品への需要が増大した。そのため、羊毛工業などの重要な手工業は、都市のギルドの統制を逃れて農村地帯に拡延し、農村工業という形をとって自由に発展し、やがてはギルドの統制も緩み始めた。これらの手工業は、なお単純な家族規模の家内工業であったり、それらを商人が問屋制度のもとに組織したもの<(注22)>であったりしたが、やがて手工業者や農民の分解が進むと、資本主義的な経営者とそのもとに雇用される手工業労働者とが生まれ、マニュファクチュアが形成された。

 (注22)Putting-out system。「商人から原材料の前貸しを受けた小生産者が自宅で加工を行う工業形態のこと。それ以前の手工業と技術的な差はないものの、工程ごとの分業が可能になったことで生産性が向上した。一方で生産者による原材料の着服を防げないという欠点もあった。
 問屋制度にもっとも適合的な形態として、特に繊維業において発展した。生産者の規模が大きくなればマニュファクチュアとよばれる工場制手工業へと発展する場合も見られたが、両者は問屋制度を前提とする点で差はなく、機械制大工業によってともに衰退するまでマニュファクチュアと家内工業は並行して存在した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%8F%E5%B1%8B%E5%88%B6%E5%AE%B6%E5%86%85%E5%B7%A5%E6%A5%AD

 マニュファクチュアの形成に際しては、複雑な工程をもつ商品については各種の手工業者が一つの作業場に集められて分業を主体とする生産を行い、単純な工程の商品については一種類の手工業者多数が集められて協業を主体とする生産を行ったが、いずれの場合でも、やがて、分業に基づく協業という新しい生産形態が採用されるようになった。このような労働の組織化によって、マニュファクチュアにおいては、従来の家内工業におけるよりも労働生産性が著しく高められた。したがって、とくに繊維工業や金属工業などの分野ではしだいにマニュファクチュアが支配的になり、工業化の最先進国イギリスでは、16世紀の中葉から18世紀の60年代(産業革命前夜)までが、本来的なマニュファクチュア時代とよばれており、フランスやドイツでも、やや遅れてマニュファクチュアが盛んになった。ただし、マニュファクチュアは、なお手工業的な技術を基礎としていたので、他の生産形態に対して決定的に優位にたちうるものではなく、家内工業の広範な存続を許しただけではなく、次に述べるように、問屋制度と複雑に絡み合って現れる場合が多かった。

⇒この筆者である遅塚(後出)もイギリスと西欧を一緒くたに論じているのは残念だ。(太田)

(続く)