太田述正コラム#15318(2025.11.17)
<清水廣一郎『中世イタリアの都市と商人』を読む(その18)>(2026.2.11公開)

 「・・・<また、>森田鉄郎<(注30)>氏の・・・1953年の・・・「中世イタリア都市の食料政策と農制との関係について」と、・・・59年の・・・「近代社会成立史上におけるイタリアの特殊性」・・・<は、>南ヨーロッパにおいては都市・都市国家の構造そのものが北ヨーロッパの場合とは非常に違い、領主をも含みこんだ領域国家を形成しているが故に、農民層の発展が阻止されたと・・・思います。・・・

 (注30)1914~1996年。一高、東大文(西洋史)卒、陸軍従軍、旧制高校教授、を経て、神戸商科大教授、神戸大教授、名誉教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E9%89%84%E9%83%8E

 このような「近代化」の視点からイタリアを把握するといいうことは、具体的には北ヨーロッパと南ヨーロッパとを類型的にとらえて「近代化」の典型的なタイプとその裏返しとしてのタイプを設定するということになるわけですが、これは19世紀から20世紀、特に戦後の段階における先進的な近代国家とそれに立ち遅れた国家という、二元的な対比から出発して、その理由を歴史的に、いわば限りなく遡って行くという、そういう説明の仕方でありますから、論理構造としては全体として閉ざされているといわざるをえないだろうと思います。・・・

⇒イギリスが捨象されていることはさておき、中世のイタリアからは世界最古の大学やルネサンスが生まれ、ある意味で当時の世界で最も「近代的」な地域であったというのに、どうしてそんなイタリアとそれ以外、就中北欧州とを、後者がより近代化への潜在力を秘めていた的な含意で対比させるのか、私には理解できません。
 仮に私がイタリア史家であったならば、どうして、世界の最先進地域であったイタリアが失速してしまったか、という問題意識に基づいて研究を進めたことでしょう。(太田)
 <しかし、私としては、大部分の>中世都市の封建的性格<を>強調<したいの>でありまして、・・・共同体説に対する領主制説の優位<を唱えたいので>す。・・・
 <換言すれば、>「ヨーロッパの都市<は、ほぼ>全部南ヨーロッパの都市<と同じだ>った」・・・と申<し上げる>ことがあります。・・・

⇒イギリスがヨーロッパ(欧州)ではないとすれば、ですが、その限りで、清水のおっしゃる通りだと思います。
 と言ってみたものの、イギリスの「中世」都市がいかなるものであったかを、調べるのは別の機会に譲ることにします。(太田)

 <但し、>北イタリアの多くの場合において事実上の主権国家をなしていた都市が、北ヨーロッパの都市において領主が果たしていた役割を全面的にはたしていた、それがイタリアの特徴であったという点を・・・指摘したいのです。
 その結果、「都市の二面性」、一方における開放性と受容性、他方における閉鎖性と排他性、この二つの要素のコントラストが、イタリア都市において、より鮮明な形をとって現われてくるのではないでしょうか。」(143~144、149~150、160)

(完)