太田述正コラム#3353(2009.6.23)
<イラン燃ゆ(その5)>(2009.7.21公開)
5 主要プレヤー達
 (1)アリ・ホセイニ・ハメネイ
 このあたりで、今次イラン騒擾における主要プレヤー達がそれぞれどのようなご仁かを確認しておきましょう。
 最初は、イランの最高指導者の大アヤトラのアリ・ホセイニ・ハメネイ(Grand Ayatollah Sayyid Ali Hoseyni Khamenei。1939年~)です。
 
 1989年、当時の(初代)最高指導者の大アヤトラのホメイニ(Khomeini)は、囚人に対する拷問でホメイニを批判した大アヤトラのホセイン=アリ・モンタゼリ(Hossein-Ali Montazeri)に換えて、ハメネイをテヘランの金曜日の祈祷の指導者に任命します。
 1981年に初代大統領が暗殺されると、ハメネイは圧倒的多数票を獲得して第二代の大統領になります。
 当初はホメイニは僧侶を大統領に就けるつもりはなかったのですが、その頃までには考えを変えていたのです。
 大統領就任演説で、ハメネイは、「逸脱的信仰(deviation)、自由主義、そして米国の影響を受けた左翼」を壊滅させることを誓いました。
 ハメネイは、ホメイニのイエスマンといった趣がありますが、イラン・イラク戦争中の1982年、イラク軍がイラン領内から駆逐された時、当時の首相のムサヴィ(後述)とともに、ホメイニのイラク領内への侵攻決定に異論を唱えた主要人物の一人でした。
 ホメイニは、その死の3ヶ月前、宗教的資格が不十分なハメネイを彼の後継者にするための憲法改正作業に着手させます。
 ハメネイが最高指導者に就任した時点でまだこの憲法改正が国民投票にかけられていなかったので、彼は暫定最高指導者となり、憲法改正がなった時点で正式な最高指導者になりました。
 この点はハメネイの最大の弱点です。
 ハメネイは、最高指導者となってから、反動的な「指導」を連発してきています。
 そのいくつかをあげてみましょう。
 ハメネイは、スンニ派のモスクをテヘランに建設することに反対していますし、バハイ教徒(Baha’is)の弾圧も行ってきています。
 1996年には、音楽教育は小さい子供達の精神を堕落させるとのファトワを発し、多くの音楽学校が閉鎖され、16歳未満の子供達への音楽の公教育は禁止されました(個人授業は許されている)。
 2007年には、「イランでは…活動家の女性達、それに男達の中には、女性に関する国際条約に合致するようにイスラム法を解釈しようと試みる者がいるが、これは間違っている」と述べました。
 また、女性はヒジャブを常にかぶっていなければならないものとしました。
 もっとも、たまには彼も一見まっとうな「指導」もしています。
 例えば、彼は、核兵器の製造、貯蔵、及び使用はイスラム教では禁じられているというファトワを発しています。
 1992年にイランのクルド人たる反政府活動家達3名と彼等の通訳がベルリンのレストランで暗殺され、ドイツの裁判所は、時のイランの情報相の国際逮捕状を発行しましたが、その時、ハメネイがこの暗殺の黒幕であることを仄めかしています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ali_Khamenei
(6月23日アクセス。以下同じ)
 ハメネイには子供が6人いますが、2番目の息子はモジタバ・ハメネイ(Mojtaba Khamenei)と言います。
 モジタバは、道徳的に厳しい人物であり、父親よりも強硬派であると目されており、ハメネイに会う者にとって、通過しなければならない関門になっています。
 消息通の中には、ハメネイはモジタバを最高指導者としての彼の後継者にしようとしている、と指摘する人がいます。
 公式には、この地位は専門家会議(the assembly of experts)が付与することになっており、その長は、ハメネイの強力なライバルであるラフサンジャニ(後述)が勤めています。
 しかし、初代の最高指導者のホメイニが事実上、ハメネイを後継者に指名したという先例があります。
 ハメネイは次第に公的メディアで「現代のアリ(Ali<。598?~661。預言者ムハンマドの息子>)」と呼ばれるようになってきているところ、アリは、シーア派の指導者の地位を息子のハッサン(Hassan<。625~670年。アリの息子>)に継がせた人物である、ということも、ハメネイの意向を裏付けるものと見なされています。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jun/22/mojtaba-khamenei-iran-protest
 このままでは、イランは、金王朝の北朝鮮ならぬ、ハメネイ王朝になりかねない、ということです。
 (2)マフムード・アフマディネジャド
 ハメネイに見込まれ、彼と二人三脚で歩んでいるのが現在の大統領のマフムード・アフマディネジャド(Mahmoud Ahmadinejad 。1956年~)です。
 アフマディネジャドについては、彼が初めて大統領になった2005年に書いたシリーズ(コラム#769~772、775)に始まり、コラム#875、924、1010、1034、1552、1723、2084等で何度も取り上げてきているので、ここでは繰り返さないことにします。
(続く)