太田述正コラム#3357(2009.6.25)
<イラン燃ゆ(その7)>(2009.7.24公開)
 「・・・アフマディネジャドは、イランの小都市や大都市の貧困層で依然人気がある。
 腐敗した革命エリート・・とりわけ、恐らくムサヴィの大統領選立候補にあたってその資金の面倒を見たところの、恐ろしく金持ちの僧侶たるアリ・アクバル・ハシェミ・ラフサンジャニ・・に対する彼の継続的な攻撃は「プラグマティックな」ラフサンジャニと手を組んでいる、高度に欧米化したイラン人達の間でさえ共感を呼んでいる。
 アフマディネジャドのイスラム教への衰えることを知らない熱情・・それを彼はイラン・ナショナリズムと合体させている・・は、多くの人々、とりわけおどろおどろしいイラン・イラク戦争で戦い、信仰を忘れていない人々に訴えるものがある。
 それでもなお、ハメネイとアフマディネジャドは、<今次大統領選で>インチキをしないですませるわけにはいかなった。・・・
 ・・・最高指導者は、かつて自分の戦いの同士であって敵に転じたところのラフサンジャニに勝利を手渡したくなかったのだ。
 <また、>ラフサンジャニなくして、改革派の僧侶であるモハメッド・ハタミ(Mohammed Khatami)は、1997年から2005年までその地位にあったところの、大統領に上り詰めることはありえなかった。
 <しかし、>いざハタミが大統領になると、ハメネイとラフサンジャニは、ハタミを押し包んでいた改革運動を骨抜きにすることに努めた。
 互いの根深い個人的な見解の相違にもかかわらず、ハメネイとラフサンジャニは、マキャベリストのラフサンジャニがその気になったら、将来、ムサヴィを骨抜きにするために手を携えて動くことがありうることは疑いの余地がない。
 現時点では、自分自身の生き残りのためにラフサンジャニはムサヴィを支援している、ということだ。
 アフマディネジャドの夢は、ラフサンジャニと彼の汚れた一味を完全に失脚させることだ。
 この貧乏息子たる、イラン・イラク戦争を戦った元革命防衛隊員にとって、ラフサンジャニは、イランの貧民の間で生活の糧となっているところの、反僧侶的ジョークの典型的標的だ。
 アフマディネジャドは、ラフサンジャニが、かつてフマディネジャドが愛する革命防衛隊を正規軍に吸収合体化させようとしたことを、当然のことだが、忘れていないに違いない。・・・」
http://weeklystandard.com/Utilities/printer_preview.asp?idArticle=16649&R=161FF343A2
(6月24日アクセス)
 (4)ミル=ホセイン・ムサヴィ
 いよいよ、「主役」のミル=ホセイン・ムサヴィ(Mir-Hossein Mousavi)についてです。
 「・・・イランの経済は無茶苦茶だしその国際的地位は最低だ。
 時の大統領のアリ・ハメネイのリーダーシップにいらついた当時の首相のミル=ホセイン・ムサヴィはハメネイに書簡を送り、辞任すると脅した、と当時のニュース報道は伝えている。
 「レバノン、イラク及びアフガニスタンの状況はあなたの責任だ」とムサヴィはこの1988年の親書の中で記したと報じられている。「あなたはこれらの状況がいかにイランにとって破滅的ななものとなっているかを良くご存じのはずだ」と。
 ムサヴィの辞任するとの脅しは無視されたが、一年以内に、彼は政治の世界からお払い箱となり、それからの20年間を絵を描き、読書をし、諸大学で講義をして費やすことになる。・・・
 1981年から89年までの首相として、ムサヴィは、イラクとの戦争の年月の間、イランの舵取りを適切に行ったというのが一般的な評だ。
 しかし、イランの固い拳をつきあわせる党派的政治にあって、彼の、システムをうまく泳ぎ自分の敵を打ち破ることのできない、何をするか分からない性格を<今更のように>思い起こす者もいる。
 「国内政策において、彼は自分の内閣を切り盛りすることさえできなかった。いわんや外交においてや」とジャーナリストの・・・は言う。
 「彼の内閣のメンバーはそれぞれが権力を持つ特定の党派とつながりがあり、全員が(当時の最高指導者のアヤトラ・ルホラー・ホメイニから)命令を受けており、首相が言うことなど歯牙にもかけていなかった。
 戦争でひどい目に遭っていたイランにおいて、彼は糸が僧侶連中によって操られる人形だった。要するに、彼は彼等の目くらまし(front)だったのだ。・・・
 権力から放り出されたムサヴィは充電して過ごした。
 その20年を彼は政治の大渦巻きの外に立ち、テヘランの・・・大学で教え、1998年には新しく創設された芸術アカデミーの総裁職に就いた。
 画家兼建築家として、彼は芸術に没頭し、後には、彼の作品の幾ばくかを彼の選挙資金を確保するために売りさばいた。・・・
 1997年から2005年にかけての、彼の友人たる改革者、モハマッド・ハタミの大統領時代にムサヴィは政治に再び手を出し始めた。
 ハタミの非公式のスピーチ・ライターとなり、かつ密かに顧問を務めたのだ。
 この間ずっと、彼は極めてめずらしい関係を彼の妻であるザーラ・ラーナヴァード(Zahra Rahnavard)との間で維持した。
 彼女は、イランで学者、芸術家、そして教育者として尊敬されており、彼の選挙戦に付き従い、今では公的イベントがあると彼のために弁じている。・・・」
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-iran-mousavi22-2009jun22,0,5134983,print.story
(6月23日アクセス)
 まるで、昔で言えば水滸伝、最近の言葉で言えば、ファンタジー小説を読んでいるような感慨に襲われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 少なくとも、現在激烈な抗争をしているイランの2派のどちらも正とか邪と言った言葉で単純に括ることなどできないことはお分かりいただけたことと思います。
 
(続く)