太田述正コラム#3594(2009.10.20)
<皆さんとディスカッション(続x633)>
<ゲーオタstun>
 90年代の隣の国では、秀吉の朝鮮進出を迎え撃つゲームが爆発的にヒットして、その続編(江戸時代の日本に逆上陸)も発売されてヒットしたらしいです。
 90年代日本では自虐的な感じの(作り手がWW2のウォーゲームを誠実に作るとどうしてもそうなるw)WW2のゲームがわりと出てましたが、中には一部上場ゲームメーカーが作ったアメリカ東海岸まで攻め込むことが出来るゲームもありました。
 思えば70年代のボードゲーマーや90年代あたりのコンピューターストラテジーゲーマーは作り手もユーザーも左翼(かぶれ)系軍オタが多かったような・・・。
 最近は「勇ましい」のが受けるらしいです。
<Chase>(2009.10.19)http://blogari.zaq.ne.jp/fifa/
 –太田述正の思想(防衛庁再生宣言)–
 太田述正氏の次回本の編纂にあたり、次回本の主要なツールとして、属国論、吉田ドクトリン、日本の民主主義論、アングロサクソン論は重要な役割を果たす。しかし、太田氏の「防衛庁再生宣言」、「属国の防衛革命」においても、それらは同様の役割を担っていることから、少しでも違った色合いの叙述である必要がある。
 以上のことを実施していくための基礎作業(急がば回れ戦略)として、両著のポイントを押さえておきたい。今回は、「防衛庁再生宣言」について、次回本とダブりそうな箇所について、同著のポイントの箇所をとりまとめておく。
防衛庁再生宣言
はじめに
<ポイント>“防衛庁が吉田ドクトリンによって蝕まれていった“
第一章 知られざる防衛庁・自衛隊の内実
四 やはり政治が悪い
・「吉田ドクトリン」を否定していた吉田茂
<ポイント>“晩年の吉田は、吉田ドクトリンは誤りであったと断罪した”
・吉田の遺志を裏切った「保守本流」
<ポイント>“吉田ドクトリンにより防衛庁、外務省が堕落、経済官庁、日銀が危機管理能力を喪失”、”戦後日本の政治家が小粒化”
・米国の国是に反する「思いやり」
<ポイント>“国を売る政権をいただく日本という国に対し、米国にぬぐいがたい不信感、侮蔑感を植え付けた”
・そして日本は閉塞状況に-一刻も早く国の自立を
<ポイント>“国の自立がないところに個人の自立は成立しない”
第五章 戦争と民主主義
一 民主主義の起源
・日本 <ポイント>“日清・日露戦争を契機として民主主義が拡大した”、“大正デモクラシーの存在“
ニ 試練にさらされた戦前日本の民主主義
<ポイント>“先の対戦中にも民主主義は機能していた“
第八章 アングロサクソンと日本
一 アングロサクソン・日本同盟の必然性
<ポイント>“アングロサクソンと欧州の大抗争“、”大抗争のグローバル化”
<ポイント>”大抗争の中で、日本はアングロサクソン側に立って、直接的・間接的に戦ってきた”
<ポイント>“アングロサクソンと日本は世界的に見て稀な価値観を共有している“
<ポイント>“第一次~三次日本・アングロサクソン同盟の歴史”
第十章 吉田茂の過ちと吉田ドクトリンのイデオローグたち
一 吉田茂の過ち
<ポイント>“吉田茂の五つの過ちにより、史上例を見ない巨大なモラルハザードをかかえた「軍隊」が誕生“、
<ポイント>“経済復興を優先するためという俗説は誤り“
二 吉田ドクトリンのイデオローグたち
・高坂正堯
<ポイント>”吉田ドクトリンの延命に寄与、その後の悔恨”
・岡崎久彦
<ポイント>”強いものに盲従する国際政治観”
・「吉田ドクトリン」の先駆者・石原莞爾
<ポイント>“統制主義体制(=日本型経済システム)は石原が唱えた”
<ポイント>“吉田ドクトリンは安全保障面での米国へのただ乗りと「日本型経済システム」へのただ乗りの上に咲いたあだ花であった”
<太田>
 日本は、米国の意思に反して勝手に自ら米国の属国になっている、ということをジェームス・アワーが口を酸っぱくして言っています。↓
 「・・・日本は1945年から今日まで、米国に対して従属的立場にあった<と言うが、>・・・米国による日本占領が終わり、米国との同盟を結んだ日本は、自らその道を選んだ。それは日本自らの選択の問題だったのである。・・・
 日本の経済が復興し、その競争力が増した1970年までに、多くの米国の議員が、日米同盟は米国にとって不平等であると不服を唱え始めた。・・・
 よくある説明では、いくつかの在日米軍基地では見逃せない公害が発生している、あるいは、駐留米兵の犯罪者は、正式に起訴されるまで日本の警察に引き渡されないといったことが、不平等の証であるという。私に言わせれば、こうした問題は特に日米同盟の履行に見られる不平等と比べると、些細な事柄である。・・・
 言えることは、現在の日本がさらに応分の役割と任務を果たせば、米国とより対等の関係を持つことが可能になるということ。そして、繰り返すが、それをするもしないも日本側の自由ということだ。・・・」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091020/plc0910200249001-n1.htm
 まさにそのとおりだけど、
 「・・・日本が自国の安全保障を米国に依存せず、国防への独自の取り組みを強めるとしたらどうだろう。日本の安保防衛政策に対するアジア諸国による批判は、ますます大きくなるだろう。日本の米国離れがアジア諸国に好意的に受け入れられると考えるのは、あまりに認識が甘い。・・・」(同上)
は根拠レスで誤りですからね。
 日本の弁当の美しさ特集が組まれています。↓
 アメちゃんの投稿もたくさん読めるよ。
http://roomfordebate.blogs.nytimes.com/2009/10/19/beauty-and-the-bento-box/?ref=world
 士郎正宗の漫画『攻殻機動隊』が原作の、押井守(コラム#2734)監督のアニメ、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/GHOST_IN_THE_SHELL_/_%E6%94%BB%E6%AE%BB%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A
がいかに米国の映画人等に大きなインパクトを与えたかが描かれています。↓
http://www.guardian.co.uk/film/2009/oct/19/hollywood-ghost-in-the-shell
 ファラー(Veronica Buckley Farrar)による ‘The Secret Wife of Louis XIV: Fran���oise d’Aubigne, Madame de Maintenon’ の書評はいくつか読んできたのですが、最もよくまとまった書評が出たので、この際、ルイ14世の愛人でその2番目の妻(ただし、王妃ではない)となった、美人で心の美しいマントノン夫人(1635~1719年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Madame_de_Maintenant.jpg
・・もっとも美人度で言えば、もう一人の愛人のモンテスパン夫人(マントノン夫人の元雇用主でもある)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Francois-Athenais_de_Rochechouart.jpg 
の方が上だと思いますが・・のご紹介をしておきましょう。
 She was born into ignominious circumstances ? in a French prison in 1635, to a 50-year-old father whose wife was the warden’s 24-year-old daughter, and who was a murderer, a national traitor, and an incorrigible con man.・・・
 Yet the girl proved resilient, intelligent, witty, kind ? and, perhaps further riling her mother ? exceptionally beautiful.
 At age 15, penniless, d’Aubigne found her way to Paris, where she met Paul Scarron,
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Paul_Scarron_2.jpg (肖像:太田)
a middle-aged man famous for his risque poetry and for hosting one of the most sought-after literary salons, which drew the city’s cultural elite. He was also crippled and disfigured. ・・・
 They married in 1651・・・
 After Scarron died in 1660, d’Aubigne was hired as a governess by her friend Madame de Montespan. She was the favored mistress of King Louis 14,
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Louis-xiv-lebrunl.jpg (肖像:太田)
who fathered Montespan’s illegitimate children. But the women fell out when the king began lusting after the virtuous governess, having grown tired of the demanding Montespan.
 At first, d’Aubigne refused his advances, which she found distressing and “sinful,” but eventually she succumbed. She bought an estate at Maintenon with her earnings, and in 1678, the king gave her the title Marquise de Maintenon. When his long-suffering wife, Queen Marie-Therese died five years later, King Louis married d’Aubigne in a small ceremony. She was 48; the king, still “handsome and vigorous,” was 45. ・・・
 He was utterly devoted to his new wife and regarded her as a confidante; she, in turn, loved him fiercely. The relationship was not without its dissatisfactions, yet he remained faithful and admired her many virtues, including “self-control, a keen sympathy for the suffering, and a distaste for frivolity and extravagance.” Although their marriage was an open secret, it could never be officially acknowledged ? she was a queen with no crown ? and sadly, she was well past the age of childbearing. She made her domain the education of children instead, establishing an innovative girls’ school that remains open today.
 The king’s reign lasted 72 years, longer than any European monarch. He died in 1715, and his wife outlived him by four years. By the end of her life, she had given away most of her possessions and money.・・・
http://features.csmonitor.com/books/2009/10/19/the-secret-wife-of-louis-xiv/
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太田述正コラム#3595(2009.10.20)
<ウェードの本をめぐって(その5)>
→非公開