太田述正コラム#3640(2009.11.11)
<シンガポール・モデル(その1)>(2009.12.17公開)
1 始めに
 フランシス・フクヤマが言う、自由民主主義の勝利による「歴史の終わり」は、当分の間、到来しそうもありません。
 アルカーイダ系テロリストの欧米への挑戦をその最も先鋭な例とするところの、故ハンチントンの言う文明の衝突が生じているところに、その原因を求めることも一つの考え方です。
 しかし、ほかにもっとより根本的な原因があるのかもしれません。
 英国のジャーナリストのジョン・ポール・カンフナー(John Paul Kampfner。1962年~)
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Kampfner
が、このたび’Freedom for Sale: How We Made Money and Lost Our Liberty’ を上梓し、そもそも自由民主主義は優れているので最終的には勝利するはずだ、という発想そのものに、必ずしも普遍性がないのではないか、という問題提起を行い、英米で大きな話題になっています。
 例によって、書評類を通じ、彼の言わんとするところをさぐってみましょう。
A:http://www.ft.com/cms/s/2/dd738ea6-c4e3-11de-8d54-00144feab49a.html
(11月3日アクセス)
B:http://www.guardian.co.uk/books/2009/sep/13/freedom-for-sale-john-kampfner
(11月6日アクセス。以下同じ)
C:http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article6818811.ece?print=yes&randnum=1257495397718
D:http://lilliesleaf.wordpress.com/2009/10/05/freedom-for-sale-by-john-kampfner/E:http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20670001&sid=a1JudA2WkN4Y
F:http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1925915,00.html
(本人によるコラム)
G:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/freedom-for-sale-by-john-kampfner-1784894.html
2 シンガポール・モデル
 (1)プロローグ
 「・・・カンフナーは、資本主義が必然的に民主主義と個人的・政治的自由をもたらすとのテーゼを攻撃する。
 彼は、ベンジャミン・フランクリンを引用する。
 フランクリンは、1755年に、「一時的安全を買うために重要な自由をあきらめるような者は自由と安全のどちらもふさわしくない」と宣言した。
 <しかし、実際問題として、>繁栄と安全のために自由は犠牲に供せられてきたのだ。・・・」(A)
 「・・・ジョン・カンフナーに言わせると、マルクスは間違っていた。
 人民のアヘンなのは宗教ではなく資本主義なのだ。
 彼等に良い買い物の機会を与えよ、さらば、彼等は自由、平等、博愛のことを忘れ、誰が彼等を統治しているとか、どんな風に統治しているかとかに関心を失ってしまう。
 そして、彼等が諸ショッピング・モールで「礼拝」をする一方で、統治階級は国家を自分達自身の諸理念に基づき管理を続ける。
 しかも、これは、自由<が失われることへ>の恐れよりも繁栄を尊ぶ人民の同意の下に行われるのだ。・・・」(C)
 「カンフナーは、シンガポール・モデルに立脚した専制的資本主義が世界中に普及しつつある、ということを悲観的に受容する。
 <実は、>人民が<すすんで>このファウスト的取引を行ってきたのだ。・・・」(A)
 「・・・その結果が、資本主義制度の効率性によって可能となった継続可能な専制主義なのだ。
 これは、我々が資本主義の普及は民主主義をもたらすだろうと信じるのは間違いだったかもしれないということを意味する、とカンフナーは言う。
 シンガポールの同意に基づく専制主義は、これまで孤立した漠然とした事例と見られてきたが、より広汎な適用可能性を持つ、ということが判明したというわけだ。
 これが今後とも続くのかどうかは定かではないが・・。・・・
 この本を読むと、冷戦の終焉は資本主義の勝利であって民主主義の勝利ではなかった<という気になってくる>。 
 冷戦の終焉はさして英雄的でも注目すべきでもないということになるのだ。
 つまり、欧米が直面していたのは途方もない機能障害を起こした<社会主義なる>経済制度だったということだ。
 今や、民主主義には、物質的条件においては極めて良い実績をあげている制度と競い合うというより困難な任務を与えられているのだ。・・・」(C)
 
 「・・・<にもかかわらず、>欧米の諸政府は、これまでそうであったし、今後ともそうだろうが、<自由民主主義に>移行中の諸国家が行う経済制裁破りや人権蹂躙、そして欧米において<これら諸国家やその指導者達が>行うマネーロンダリングを平気で無視する。
 欧米は石油と貿易を必要とするからだ。・・・」(D)
 「カンフナーの議論は以下のようなものだ。
 世界中の人民は、民主義陣営だろうが専制主義陣営だろうが、それぞれの政府との間で、繁栄と安全を確保してもらう代わりに、彼等が自分達の自由を犠牲にし、選択的抑圧を受け入れる、という協約を結んで来た。・・・」(E)
(続く)