太田述正コラム#3690(2009.12.6)
<米国とは何か(続x5)(その2)>(2010.1.8公開)
5 これまでの仮説
 「・・・<この米国と欧州との>瞠目すべき違いのよってきたるゆえんは何だろうか。
 銃のことが頭を過ぎる。
 2008年には、火器が米国での全殺人数の三分の二に関わっていた。
 しかし、ロスは、銃規制に賛成の立場だが、銃が米国に溢れていることや、銃規制諸法が甘いことでは、これを説明できないどころか、隠して兵器を持つことを認める諸法が、様々な攻撃を抑止することで、実際に殺人率を低めていると主張する学者だって若干いるくらいなのだ。
 欧州人達の幾ばくかは、あたかも欧州につながれていなかったために植民地時代の米国人達が殺害志向的に漂流して行ってしまったと言うかのように、米国人達が、<欧州人と同様の>「文明化過程」を経験してこなかったのではないかと疑っている。
 ・・・ロッテルダムのエラスムス大学の歴史刑事学教授のピーテル・シュピーレンブルグ(Pieter Spierenburg)・・・は、民主主義が米国に早く到来し過ぎたのではないか、という仮説を唱えている。
 欧州諸国が民主主義国になるまでには、大衆は国家の権威を受け入れていた。
 しかし、米独立革命が起こった時点では、米国人達は、国家による暴力の独占という観念にまだ慣れてはいなかった。
 だから、米国人達は、強力な中央政府にそれを譲り渡すどころか、武器を携行する権利を自ら保持し続けただけでなく、中世的行儀であるところの、衝動性、粗野さ、名誉の文化への忠誠、といったものをも保持し続けたのだ。
 換言すれば、我々は、自分達をいかに統制するかを学ぶ前に自由になってしまったというのだ。・・・」(D)
6 これまでの仮説への批判
 「・・・恐らく驚くべきことではなかろうが、誰もがこういった類の議論に肩入れしているわけではない。
 ・・・2005年に<62歳で>亡くなった<米国人の>エリック・モンコネン(Eric Monkkonen。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の都市史で著名な教授
http://www.boston.com/news/globe/obituaries/articles/2005/06/17/eric_monkkonen_62_historian_made_trailblazing_studies_of_murder_rates/ (太田)
)<は、>・・・、異なった、ただし同様に仮説的なアプローチをとっている。
 彼は、亡くなる時点で、「殺人:米国の例外主義についての説明」と題する論文を執筆中だった。
 この論文は、移動性、連邦制、奴隷制、及び寛容、という4つの要素が、何世紀にもわたる米国と欧州の殺人率の違いのよってきたるゆえんであるとの仮説を提示した。
 移動性は社会的紐帯を破断する。
 連邦制は弱い形の政府だ。
 奴隷制は(殺人率が相対的に高く、多くのいわゆる法と秩序諸州において依然そうであるところの)南部人達の間で、暴力の文化を合理化しただけでなく、米国文化を感染した。
 つまり、米国の裁判官達や陪審員達は、その欧州におけるカウンターパートに比べて殺人者達に有罪と宣告したり人種的殺害や嫉妬した配偶者達による殺人について、他の犯罪に比べて、寛容であったことが歴史的に証明されている。
 ロスは、・・・この議論にしっかりとした諸事実や厳格な諸手法を導入したのだ。
 彼は、前近代社会において、人々は必ずしも互いをより多く殺し合おうとしたわけではないのであって、単により多くそれに成功しただけであることを指摘しつつ、「文明化過程」についての様々な議論を拒否する。
 外傷外科手術、抗生物質、そして傷の手当てといった近代的な薬品や緊急措置によって、1850年より前であれば、殺害されていたであろう人々の4人に3人は、今日では生き残ることができるのだ。・・・
 また、1940年代以来の殺人率の上下動については、少なくとも人口動態と何らかの関係があるのではないかというのだ。
 相対的に極めて多くの殺人者達と殺人被害者達が若い成人男子だ。
 ベビーブームっ子達がその年齢層に達したとき、殺人率は急上昇した。
 しかし、今では彼等はその最も致死的な時代から抜け出てしまったので、殺人率は落下した、というわけだ。
 <しかし、>ロスに言わせれば、戦後の犯罪率の高まりと低下について、人口動態的説明だけでは完全に説明できないのだ。・・・」(D)
 「・・・彼は、多くのリベラルがそう主張しているけれど、貧困と失業はより高い殺人率をもたらすわけではないと言う。
 しかし、保守派がそう主張しているけれど、死刑を用いたり、警官の数を増やすことが殺人率を押しとどめるわけでもない、と付け加える。・・・
 例えば、貧困が増え続けていたというのに、大恐慌中に米国の殺人率は低下した。
 また、1960年代には、米国は、強い経済成長が続いた上に、地上の他のほとんどいかなる国よりも警官数もより多く、かつより多くの人々が監獄に入れられていたにもかかわらず、殺人率は急上昇した。・・・」(E)
(続く)