太田述正コラム#3555(2009.9.30)
<3人の従兄弟の皇帝達(その1)>(2010.2.16公開)
1 始めに
 「3人の従兄弟達と第一次世界大戦」(コラム#1893)を覚えておられるでしょうか。
 読んでおられない方はもちろん、読んでおられる方も、ざっと目を通されることをお奨めします。というのも、これは、いわばその続篇だからです。
 英国のミランダ・カーター(Miranda Carter)女史が ‘The Three Emperors: Three Cousins, Three Empires and the Road to World War One’ を上梓したので、その書評2篇から、3人の皇帝達についての描写を中心に抜粋してご紹介することにしました。
A:http://www.ft.com/cms/s/2/61ecca20-a965-11de-9b7f-00144feabdc0.html
(9月29日アクセス)
B:http://www.spectator.co.uk/print/books/5302031/in-the-hands-of-fools.thtml
 なお、カーターが自らこの本の紹介を映像で行っています。↓
http://www.youtube.com/watch?v=OgppHD71cOk
 この映像の中で登場する3人の皇帝達の写真をみるだけでも面白いですよ。
2 3人の従兄弟の皇帝達
 (1)総論
 「・・・この3人の将来の統治者達は、無能な、或いは不適切な家庭教師しか与えられなかった。
 早晩、彼等はどうやって正しく軍服を着用するだとかどうふるまえばよいかだとかは学んだ。
 しかし、このうち誰も、歴史、政治或いは経済については大して学んだとは言えない。
 というより、かかる<三つの>大国の統治者として必要なものを、<彼等はそれぞれ、>何も学ばなかったのだ。
 彼等の育てられ方は、彼等の階級と時代に照らせば決して異例ではなかった。
 後に、ニコライの従兄弟が言ったように、「我々に与えられた教育は、我々を萎縮させ、我々の視界を狭めた」のだ。
 この3人の男達は、欧州の王族達のあの近親交配の世界の中で、何重にもわたる親戚関係にあった。
 ウィルヘルムとジョージは、どちらもヴィクトリア女王の男孫だった。
 <また、>ニコライの母親はジョージの叔母であり、彼は年老いたヴィクトリア女王のたくさんの孫娘達の一人と結婚した。
 彼等は、家族の結婚式や葬式で、また、お互いのヨットの上で、或いは国賓としての訪問の際に会った。
 そして、それらの折には、互いの陸軍や海軍を妬ましい思いで視察しあった。
 ウィルヘルムはこのうちの最年長であり、彼は自分がこのうちで飛び抜けて頭がいいと思い込んでいた。
 英国の軍事組織から競馬に至るあらゆることで、求められてもいないのに助言を叔父のエドワード4世に与えて、この叔父を激怒させた。
 ニコライとジョージは、驚くほど生き写しであり、どちらもウィルヘルムは退屈な人間だと見ていた。・・・」(B)
 「・・・ニコライは、皇帝になりたくなかったのであり、むつかしい意思決定はできるだけ避けようとした。
 彼は、ロシアが革命に向かってよろめきつつ進んでいたというのに、神は彼に変えることのできない専制政治を託したという確信の下、その権力をいささかなりとも分かち与えようとはしなかった。
 ウィルヘルムは、彼の余りにも多くの大臣達が恐れたように、正常であるとは言い難かった。
 彼は、18歳の母親が彼を生もうとして頑張った際、脳に損傷を受けたのかもしれない。
 間違いなく彼の左腕は縮こまっており、そのことは彼は痛ましいほど気にしていた。
 癇癪、突然の熱情、全能の幻想、そして鬱の押しつぶすような発作に襲われていた彼は、本当の意味で大人になることがなかった。
 ジョージ5世は、この3人の中では一番まともだった。
 彼は、臆病で、深甚なる自己憐憫の傾向があり、まことに保守的であったため、彼の妻は、彼が初めて彼女に会った<第一次世界大>戦前の10年間の服装のままでその生涯を送らねばならなかった。・・・」(B)
 (2)ウィルヘルム2世
 「・・・カーターは、ウィルヘルムの様々な矛盾をとらえる。
 彼は、酸素不足で生まれ、損傷を受けた腕と恐らくはポルフィリン症
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%B3%E7%97%87 (太田)
を持っていた。
 ウィルヘルムのイギリス人の教条的な母親は、自由主義と民主主義を彼に嫌いにさせた。
 彼は、神聖なる権利の攻撃的なチャンピオンとなった。
 彼の不器用な累次のしくじりは、他の諸大国を遠ざけた。
 彼は、ドイツ海軍を創設し、ドイツを恐怖と嘲笑の対象にした。
 彼は、プロイセンの国王であることに伴う彼の諸権利、及び彼のヴィクトリアとロマノフ家との家族的つながりに取り憑かれて悩まされていたが、それは、彼に家族としての累次のつまらぬ口論を引き起こしただけだった。 
 一連のしくじりと法外な同性愛の醜聞は、最終的にこのほのかに光るが実際には脆弱なオカメインコ(cockatoo)
http://en.wikipedia.org/wiki/Cockatoo (太田)
のような人物であった男を、1907~08年以降破壊してしてしまった。
 1914年までには、彼は政治的に破産した赤ら顔の男(busted flush)に堕してしまっていた。
 恐らく、彼がやった最も大きなことは、ロシアとの秘密協約を更新することに失敗し、かつ英国を離反させた海軍軍拡競争を推進したことを除けば、彼の個人的封土であった陸軍をコントロールしなかったことだろう。
 カーターは、彼を汚らわしく、哀れむべき、そして途方もない怪物として描く。・・・」(A)
 「・・・今日であれば、<ウィルヘルムについて>医師に相談すれば入院加療ということになっただろうし、少なくとも家族セラピーを提供されただろう。
 ウィルヘルムの母親は、彼が典型的プロイセン人として人となるかもしれないことを恐れた。
 彼女の解決方法は、あらゆるドイツ的なものについて、繰り返し彼を批判することだったが、これは逆効果だった。
 彼が彼女を大嫌いになり、彼の自由主義的な父親を軽蔑する人物へと成長したことは、驚くにはあたらない。
 彼は、自分自身のために健全な男性性を持つペルソナを築き上げ、彼の母親が、彼に遠ざけて欲しかったそのものズバリの種類の男達・・想像力が欠如した軍人士官達や媚びへつらう廷臣達・・と一緒にいる時が最も幸せだった。
 その結果は、ある観察者が言ったように、「彼は自分があらゆることを知っていると思い込んでおり、誰も、彼が時には間違っているということを教えようとする者はいなかった」のだ。・・・」(B)
(続く)