太田述正コラム#3722(2009.12.22)
<政治的宗教について(続)(その1)>(2010.5.4公開)
1 始めに
 マイケル・バーレーの’Earthly Powers’については、ずっと以前に既にシリーズでとりあげている(コラム#1161、1165)のですが、どういうわけか、シリーズが完結していません。
 この本を、これまでとりあげてきたグレイの本と一緒に最近読んだのですが、バーレーの本の方は、なかなか読み終えられません。
 グレイの本よりはるかに分厚いだけでなく、話が細かすぎて、ついていけなくなるのです。
 上記シリーズの時読んだ書評類の筆者達の、この本について簡潔にまとめる能力の高さに敬意を表したくなります。
 という具合に予防線を張りつつ、適宜、この本からのご紹介をして行きたいと思います。
 (それにしても、最近、国際的な大事件が起こりませんね。そこへもってきて、面白くて紹介に値する新著の書評も出ないものだから、コラムの材料に苦労します。)
2 バーレーの言っていること
 「「政治的宗教」という言葉は、多くの人が想像するより尊敬するに足る歴史を持っている。
 それは、1917年以降、レーニン、ムッソリーニ、ヒットラー、そしてスターリンが打ち立てた体制を描写するために広汎に用いられるようになった。・・・
 ボルシェヴィキは、・・・バートランド・ラッセル<に>・・・古代エジプトの隠者(anchorite)(注1)達とクロムウェルの清教徒達を思い起こさせた。・・・
 (注1)3世紀にエジプトで初めてキリスト教における隠者(hermit)が出現した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anchorite
 その1世紀前に貴族たる学者のアレクシス・ド・トックヴィルは、<ラッセルはイスラム教をボルシェヴィキと比較したところだが、>・・・フランス革命の時のジャコバン派について記した折、やはりイスラム教と同様の比較を行った。」(注2)(PP3)
 (注2)トックヴィル著『アンシャンレジームとフランス革命』より。(太田)
 「最初の「世界内在的(world-immanent)」宗教(注3)は、ファラオのアメンホテップ(Amenotheps)4世・・・<改名後>イクナトン(Akhenaton)・・・の下でのものだ。
 (注3)聖なるものはここに我々とともにおらず、その心を推し量ることのできないとする超越的(transcendent)な宗教に対置される宗教。聖なるものはここに我々とともにおり、その心を推し量ることもできるとする。
http://en.wikipedia.org/wiki/Transcendence_(religion)
 彼は、紀元前1376年頃に新しい太陽の神を導入し、自分自身をこの太陽神アトン(Aton)の息子であると宣言した。」(PP5~6)
→アトン信仰にせよ、ゾロアスター教にせよ、また、ユダヤ教にせよ、一神教・・ゾロアスター教は一神教とは言い切れないが・・は中近東(含む北アフリカ)に起こったわけであり、それがキリスト教と、更に後にイスラム教を生み出したことを考えれば、欧州と中近東(含む北アフリカ)は、ロシアとともに、欧州の外延であると改めて思わざるをえません。(太田)
 「<フランス>革命は、ヴォルテールとルソーをその知的両親としており、彼等の地上界的残滓を、1971年1974年にそれぞれパンテオン(Pantheon)(注4)<にける天上界的精髄>へと翻訳し、宗教的儀式(procession)のこだまが響く精緻な式典(ceremony)をそこで執り行った。」(PP45)
 (注4)ローマのパンテオン(コラム#3687)を一部模してつくられ、当初は教会だったが、その後、国家的儀式や国家的著名人の墓所として使われるようになった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Panth%C3%A9on,_Paris
 「フランス革命の議論は、宗教的言辞で満たされていた。
 教理問答(catechism)、信経(credo)、狂信的(fanatical)、福音(gospel)、殉教(martyr)、宣教師(missionary)、教宣(propaganda)、秘蹟(sacrament)、説教(sermon)、熱狂者(zealot)、といった言葉が宗教的文脈から政治的文脈へと移された。
 1792年にミラボー(<Honore Gabriel Riqueti, Comte de >Mirabeau<。1749~91年。穏健な革命家で英国ばりの立憲君主制を目指した
http://en.wikipedia.org/wiki/Honor%C3%A9_Gabriel_Riqueti,_comte_de_Mirabeau (太田)
>)は、「人権宣言」は政治的福音となり、フランス憲法はそのために人々が死を厭わない宗教となった」と記した。」(PP81)
 「キリスト教は、近現代において人類を掻きたてた様々な政治的イデオロギー、とりわけ・・・ナショナリズムと・・・社会主義にその痕跡を残している。・・・
 ナショナリズムは、民族国家(nation state)が人間の濃密な所属への欲求に応えるための最善の装置であり、共通の人間性により重きを置く(カトリック教と社会主義等の)教義によって継続的に挑戦を受けてきたものの、これらのイデオロギーの中で、これまでのところ最も強力なものであることを証明してきた。
 このことは、ナショナリズムが普遍的なものに敵対的であることを意味しない。
 実際、多くの初期のナショナリスト達は、外見上高度にコスモポリタンであり、諸国家(nation)を、庭の色とりどりの花の合奏団(ensemble)のように眺めたものだ。」(PP144)
→何度も申し上げてきたように、ナショナリズムこそ、欧州が生み出した最初の政治的宗教なのです。(太田)
(続く)