太田述正コラム#4015(2010.5.18)
<皆さんとディスカッション(続x837)>
<Chase>
≫崩壊の前兆をつかみ、崩壊の時期を予想するのは、国際政治学者やソ連学者の役割だったはずですが、遺憾ながら私の知る限り、予想できた人はいませんでした。≪(コラム#4013。太田)
 単なる崩壊予測屋?(崩壊の時期云々の言及は抜き)なら、このサイトを見るといろいろな人のことを書いていますね。(すでにぐぐられたかもしれませんが)
http://en.wikipedia.org/wiki/Predictions_of_Soviet_collapse
 希望的・政策的願望として吼えたレーガンまで入れるなら、ソ連崩壊予測屋(without崩壊時期予想)の名誉に与る人は無数かもしれません。
 しかし私の感覚として、今更ながら1980年頃、近々にソ連が崩壊する予感は、今日の北朝鮮に対するそれよりもずっと低かったのは正直なところです。。
 ところで、私の「私の考えを形作った本」は、若いころに接した小室氏の著作群となりますが、今読むと通俗書ながら典拠の希薄さ(編集側の方針?かもしれないが)が残念ですが、当時は氏の論理が脳に盤踞しました。そして、30年経て小室氏の限界をあっさり見切っていた太田さんの言説を知るにつけ、遅まきながら我が脳のオーバーホールに至っている次第です。
<太田>
 ヴェーバーの共産主義ロシアについての理解が的確だったのは、彼自身が構築した官僚制論等の理論的正しさのゆえだけではなく、日露戦争での敗戦によって誘発された1905年のロシア第一革命の際、3ヶ月でロシア語を身につけ、ロシアの各党の綱領や憲法草案等に読みふけり、同革命についての評論を何本か書いた、
http://www.springerlink.com/content/956354457672mj46/
といった、ロシア・ウォッチャーとしての蓄積があったればこそです。
 私が、小室のソ連崩壊論を読んだ時、うさんくさく感じたのは、典拠がついていなかったこともさることながら、彼がロシア(ソ連)そのものについて、余り勉強してはいないのでは、という気がしたからじゃなかったかな。
 関係ないじゃないかとおしかりを受けそうだけど、台湾の美人女優のリン・チーリンのすばらしい日本語を見て、
http://video.jp.msn.com/watch/video/リン-チーリン-セクシーな美脚披露/af1orq1n
改めて戦後日本の学者や評論家の努力不足が気になりました。
 ところで、お示しいただいたこれ↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Predictions_of_Soviet_collapse
気が付きませんでしたが、面白いですねえ。
 
<宮里立士>
>皆さんの「私の考えを形作った本」、教えて!<(太田)
 福田恆存はどうでしょう?
 一部で熱狂的な崇拝者がいるため、改めて持ち出すのは少し気恥ずかしいのですが、大田さんと同じ、アングロサクソン好きです(福田もイギリスびいきで、アメリカに辟易しているところがあります)。
 戦後はやくから(昭和20年代から)進歩的知識人を批判して、戦時中から交流のあった丸山真男も福田の批判からは逃げ回ってばかりでした(丸山は遺著『自己内対話』で、「福田の言っていることはだいたい解るが、なぜあそこまで「保守反動」のふりをするのか解らんと、一生懸命、自己弁護しています)。
 福田の主著は『人間・この劇的なるもの』(中公文庫)ですが、最近、麗澤大学出版部で著作集が出ています。
 かれの政治評論(『日米両国民に訴へる』等)は、今読んでも色褪せない感じがします。
 個人的には初期のD・H・ロレンスのアポカリプス論の翻訳『現代人は愛しうるか』は、何度も精読しました(福田が詳細な解説を付けています。現在は、ちくま学術文庫所
収)。
 人間の集団が演じる「政治」の本質を知る上で、この本とマックス・ヴェバー『職業としての政治』、カール・シュミット『政治的なるものの概念』『政治神学』からいろいろ教えられました。
<太田>
 私は、かつて福田恆存の(文藝評論以外の)著作、結構読んだはずなのですが、小室直樹の著作同様、やはりほとんど記憶に残っていません。
 そこで、必ずしもできのよい紹介文ではなさそうだけど、福田の考えは以下のようなものである、という前提で話を進めます。↓
 「・・・福田氏の良く知つてゐたイギリスでさへも、決して「完全な歴史」を實現した訣ではありません。けれども、さう云ふ「理想的・自然な歴史」を想定し、それと現實の歴史とを比較考量する事で、我々は現實の歴史の進行について判斷する事が出來る。革命と云ふ現象は、さう云ふ「自然な歴史」の觀點から言へば、遲れた文明が先行する分明に一擧に追附く爲、人爲的に行はれる試みであると云ふ事になります。
 「日本は近代史において、先行する西歐文明に追附く事を目的としてゐた」と福田氏は見ました。そして「その目的は現在も變つてゐない」と云ふのが、福田氏の特徴的な見方であると言へます・・・
 全體として西歐の近代文明を丸呑みする事――その爲に、西歐が近代に至るまでの過程として含んでゐる全ての思想を理解し血肉化する事、それこそ日本人が西歐化するには必要である、と主張する・・・
 個人主義の理解と個人主義を乘越える發想とを同時に理解しなければ、それらを既に通り過ぎてゐる西歐に何とか追附いて行く事は出來ない、と云ふ發想・・・
 日本の西歐化に對して、消滅しつゝある日本的なものについても、福田氏は意識的であり、目配りを忘れてゐません・・・」
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/FUKUDA/FAQ.html
 これを読むと、福田恆存は「右」の保守的知識人で丸山真男は「左」の進歩的知識人とされているところ、実は、どちらも、ほぼ共通の欧米/日本認識に立っているところの、いわゆる近代主義者である、と言ってよさそうです。(丸山については、コラム#1658、1660参照)
 ここでは、福田でもって近代主義者を代表させ、近代主義者と(僭越ながら)私の考えとを対比させてみましょう。
一、イギリスは「理想的・自然な歴史」を持つ v. イギリスは不変であり歴史を持たない
二、イギリスと西欧とを一丸とする近代文明なるものが存在 v. アングロサクソン文明と欧州文明は相互に相容れない対蹠的な文明(例えば、個人主義はアングロサクソン文明固有のもの、また、革命とは、欧州ないし欧州の外延の特定の国がアングロサクソン文明をより純化・徹底した形で継受しようという人為的な試み)
三、日本的なものは克服すべき対象 v. アングロサクソン文明以外に普遍性のある文明は日本文明のみであり、両者を弁証法的に止揚することが人類にとって望ましい
 これに加えて、次のことが当然視されています。
四、米国はイギリスの嫡出子である v. 米国はアングロサクソン文明と欧州文明のキメラである。
 このような近代主義者の考えが、戦後日本において、吉田ドクトリン墨守勢力の考えと親和的であったことは、皆さんにも容易に想像がつくことでしょう。
 ちなみに、ざっくり言えば、戦後日本の「左翼」は二に関し革命志向であるという一点を除いて近代主義者と同じであるのに対し、「右翼」の方は三に関し日本的なものを克服すべき対象とは見ないという一点を除いて近代主義者と同じです。
 つまり、私から見ると、戦後日本の論壇は、近代主義者的人物ばかりの金太郎飴なのです。
 私がこんな日本の論壇に愛想を尽かすに至ったのはどうしてか、若干なりともお分かりいただけたでしょうか。
 ところで、ヴェーバーの『職業としての政治(Politik als Beruf=Politics as a Vocation) 』、大昔に岩波文庫の邦訳で読みましたが、全文(英訳)がネットにアップされてましたね。
http://www.ne.jp/asahi/moriyuki/abukuma/weber/lecture/politics_vocation.html
 カール・シュミット(Carl Schmitt)
http://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Schmitt
については、法学部の小林直樹教授の国法学の講義で知ったのではなかったかと思いますが、彼の著作は読んだことがありません。
 大学の教養時代に折原浩助教授の社会学の講義でヴェーバーと出会い、彼のイギリス(アングロサクソン)・コンプレックスやイギリス音痴ぶりに気づいたことが、私のアングロサクソン・欧州せめぎあい論の出発点になりました。
 戦後日本の近代主義者は、ことごとく、意識するとしないとにかかわらず、このヴェーバーの祖述者である、というのが私の率直な認識です。
 私がシュミットの著作を読まなかったのは、(彼が親ファシズムであったということ以前に、)ドイツ人の精華とも言うべきヴェーバーの著作にすら自分が不満を感じたという経験を踏まえ、爾後、欧州人の著作は原則読まないことにしたからだったんじゃなかったかな。
 それでは、記事の紹介です。
 下の二つの記事を読んで欲しい。
 かつて前原が民主党代表だった時に中共が日本の軍事的脅威だととんちんかんなことを叫んで中共に相手にされなくなった(コラム#1156、1158)のと似たようなケースだな。
 米国に対し、核の先制使用禁止を求めるなどというKYな一件で、中共は岡田外相の安全保障音痴ぶりに呆れ果ててたんだろな。
 そんな御仁がもっともらしい口を中共の外相に叩いたんだから・・。
 繰り返しになるけど、前原同様、岡田も間違っても首相にしちゃダメだからね。
 中共に、煙たがられたり嫌われたりするのは全然かまわないけど、政治的禁治産者視されてるような人間を首相にすべきじゃないってこと。
 当然、そんな人間、我が宗主国たる米国にとっても、鳩山とはまた違った意味でペルソナ・ノン・グラータなんだぜ。↓
 「・・・岡田外相は十五日の会談の中で、オバマ米大統領が主宰して四月にワシントンで開かれた初の核安全保障サミットに言及。出席した中国の胡錦濤国家主席が、核軍縮に前向きな発言をしたことに触れ、「胡主席の発言がありながら、核保有五カ国の中で、中国だけ核軍縮に取り組んでいない」と批判した。
 この発言を聞いた楊外相は「中国は必要最小限の核兵器しか持たない。日本に心配される筋合いはない」と反論し、中国首脳への侮辱であるとして憤激した・・・」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010051802000056.html
 「・・・中国は核保有国の中で唯一、核の先制不使用とともに、非核国・地域に対して核兵器の使用や核兵器による威嚇を行わないことを約束している国だ。中国はこれまでいかなる形の核軍拡競争にも参加したことはないし、他国に核兵器を配備したこともない。中国は引き続き、自国の核戦力を国家の安全保障に必要な最低水準に保ち続ける。・・・」
http://j.peopledaily.com.cn/94474/6988033.html
 米国の1920~33年の禁酒時代をもたらしたものは、人種主義だったと言っても過言じゃない。
 前にも言ったけど、禁酒時代は、過半の米国人たる集団的精神疾患患者達の症状が、当時特に重篤となっていたことの証左なんだぜ。↓
 ・・・the earliest proponents of Prohibition were their wives and those concerned with the welfare of women.”
 Among the female activists’ many strange bedfellows were Protestant nativists who associated the consumption of alcohol with the great unwashed Roman Catholic masses of Eastern Europe and the Mediterranean.・・・
 Racists – including the Ku Klux Klan – also agitated for Prohibition. One fervent Prohibitionist warned, “the grogshop is the Negro’s center of power.” It did not help that Jews were often the purveyors of liquor. The beer industry was largely controlled by Germans, which did not bode well as World War I gripped Europe. ・・・
http://www.csmonitor.com/Books/Book-Reviews/2010/0517/Last-Call
 その米国の人種主義、すなわちアングロサクソン至上主義も、長年月を経て、ようやくアングロサクソン文明至上主義という、イギリス的なものへと昇華されつつある。
 確かに、その象徴がケーガンの米最高裁判事指名である、と受け止めるべきかもね。↓
 ・・・It’s been noted that Kagan’s confirmation would give Ivy League law schools complete hegemony over the Supreme Court. That only proves the point. The new lineup of justices would be ethnically and religiously non-WASP, but they – like President Obama – all would have been trained in the very New England institutions that were established to spread Yankee learning.
And, let’s face it, students don’t just strive to attend Harvard and Yale for their educational excellence. There is also the matter of absorbing those universities’ sense of authority, legitimacy and historical legacy that leads back to their Yankee founders.・・・
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-rodriguez-wasps-20100517,0,5584536.column
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太田述正コラム#4016(2010.5.18)
<豊かな社会(アングロサクソン論2)(続)(その2)>
→非公開