太田述正コラム#4171(2010.8.4)
<皆さんとディスカッション(続x913)>
<太田>(ツイッターより)
 (コラム#4169に関し)既公開太田コラムを全読破した読者どれくらいいるんかしらん? 
 これに加えて、太田本3冊を読破した読者がいるとすれば、さしずめ、グランドスラム太田コラム読者ってところかな。
<honeykingdom>(同上)
 ところどころ読み飛ばしもありますが、ほとんど読んでいます。
 「皆さんとディスカッション」が100を超えたときには、”ここまで来たか”と感動しましたもん。100を超えたのは、何年前でしたっけ?
 ところで
≫<『大地』は>ひょっとして日本の女性の青春必読書って感じなのかなあ。≪(コラム#4169。太田)
のくだりですが、そんなことはないと思いますよ。
 少なくとも私の周りではそのような動きはありませんでしたよ。
 もうお一方の女性の意見も聞いてみて下さいね。
 では<私は>なぜ「大地」を読んだのか。それは単純に「推薦図書」のような一覧に名前があったからです。
 その一覧の中から「大地」を選んだのは女性のノーベル賞作品だったからです。
 一体何を書いてノーベル賞を受賞したのかという好奇心です。
<tomattarou>(同上)
 太田さんには、中高生の「上澄み」に向けた(出来れば英語の対訳付きの)著作をお願いしたいです。
 裾野を広げるには効果的かと考えます。
<太田>
 本ともなれば、英語のままの引用なんてしませんよ。
 当然、翻訳したものを載っけます。
<bonkers_blunder>(同上)
 縄文モードに加えて、狂気の米国にこっぴどくリンチされたことによって、日本がある種の人種差別や外国人嫌いにかぶれてしまったということは考えられませんか? 
 日本が自分自身の思考を取り戻すにはどうすべきか?
http://www.guardian.co.uk/world/2010/aug/03/japan-recession-foreign-workforce-decline?CMP=twt_gu
<太田>
 その肝腎の米国について、米国大好き人間が現在の日本人の間で多いところを見ると、縄文モード、プラス、戦後の在日逆差別(コラム#2685)のトラウマじゃないですかね。
<唯我独尊>
≫何とも苛つく映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』≪(コラム#4167。太田)
 太田さんはどの部分に苛ついたのでしょうか。実は私も苛つきました(笑)。
 導入部からの盛り上がりに、期待で胸をふくらませたのですが、中盤から終盤にかけての宗教と欲望のからみあいに苛つきました。
 洋画には、しばしば宗教色が強く出されているのでウンザリします。
 なぜなら宗教の御旗の基に生命と財産を破壊していった事実に、なんら矛盾を感じない不思議さに悩まされるからです。
 しかしながら本映画の石油探査などの場面はかなり忠実に作られていたように見え、人間模様にも強い興味を覚えたので、非常に印象に残る作品でした。
 石油採掘現場が登場する映画のなかでは、かってジェームズ・ディーンが出演した「ジャイアンツ」よりも真実味があったように感じました。
 私もこの類の仕事に従事していたので、とても興味があったのです。
※ジェームズ・ディーン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3
<太田>
 この映画は、米国映画としては、暴虎馮河と言っていいと思いますが、急進的なキリスト教批判をテーマとしています。
 しかし、それをストレートに打ち出すと、キリスト教原理主義がのさばる米国じゃ袋だたきに遭いかねない。
 だから、主人公等が狂っているように描くことで、言い逃れができるようにしている、と私は受け止めました。
 こんなもどかしい、一種卑怯なことを制作者がやっているのですから、以上のようなことをはっきり自覚していると否とにかかわらず、通常の日本人観客であれば、この映画を見たら苛つくはずです。
<TA>
≫上記サイトを覗いた感じじゃ、おっしゃるとおりですが、実際の番組はどんな感じでしたか?≪(コラム#4169。太田)
 どんなもこんなも、所詮30分番組ですので、件のサイトの内容がほぼ全てです。
 ひねくれた見方かも知れませんが、旅館、宅配業者、そして化粧品メーカーがそれぞれ、現地での接客サービス向上や社員教育などに苦労しているという取材映像に、「おもてなし」というキーワードを番組制作会社が後付けで無理矢理くっつけているという印象を受けました。
 大袈裟に言えば「捏造記事」になるのかもしれませんが、企業活動による「精神文化の輸出」(番組内の発言より)という着眼点は、素晴らしく興味深いものと思いました。
 NHKスペシャルか何かで、二時間ぐらいじっくり検証してほしいですね。
 ただ残念ながら、肝心の売り上げなどの効果についての言及がありませんでした。
 まだ始まったばかりだからかも知れませんが、効果に対する言及がないということが、現地で受け入れられることが難しいということを証明しているのではないでしょうか。
 企業活動による精神文化の輸出の可能性について、太田さんのご意見を窺いたく思います。
<太田>
 日本の企業が、日本的経営(人間主義的経営)を外国でやろうとしても、アングロサクソン諸国以外には人間主義的伝統がないこと、また、どこの外国であれ、政治や官僚機構が日本型政治経済体制を採用していない以上、不可能でしょう。
 日本の企業が、製品・・その代表例はマンガやアニメ・・に人間主義を体現させ、これら製品を諸外国で売り込むことによって、結果的に人間主義がアジアを中心として世界に普及することになることが望ましい、と私は思っています。
<Fat Tail>
 –コラム#4169(2010.8.3)について–
1.昭和時代から現在まで続く「縄文モード・マークIII」について
 その初期に支那情勢の不安定化や共産主義旧ソ連の圧力に直面していたにも関わらず、かつ対米戦争遂行期にも終には再度弥生化することがなかった(⇒太田さん、この理解で宜しいですか?)、ということから、一旦縄文回帰のサイクルに入ると、これを覆すことは極めて難しい、ということを示唆していると捉えられますが、この点どうお考えでしょうか。
→すべて、おっしゃるとおりです。(太田)
2.再弥生化へのダイナミズム喚起の必要性
 更に、朝野を挙げてこれしかない、という道を選択してきたにも関わらず、アメリカの逸脱行動で旧大日本帝国の解体と甚大な人的・物的資産の喪失という憂き目に会ったため、縄文回帰へ益々傾倒し、よほどのことがない限り再び弥生化するのは難しい状況にある、というのが縄文・弥生サイクルから見た現在の日本の姿だとすれば、再弥生化には相当の内的ダイナミズムを喚起する必要があります(⇒この点、弥生化には外生的要因のトリガーが必要だ、と個人的に捉えていたので、太田さんによる上記二つ目の指摘は朗報です。)。
→「縄文モード・弥生モード論をめぐって」シリーズ(コラム#4136以下。未公開)の中で、#4142で縄文モード・マークIの成立、#4144で弥生モード・マークIの成立を扱っているので、公開時にお読みいただきたいが、後者の成立にあたっては、国内の治安の乱れがトリガーになっています。
 しかし、今日の日本で国内の治安が乱れる可能性はまず考えられません。
 となると、宗主国米国がコケた場合ってのが一つ考えられます。経済もアフガニスタンもはかばかしくないままオバマが野垂れ死にして、次の大統領選でペイリンおばさまあたりが当選でもしてくれれば、という困った妄想が時々頭をかすめる今日この頃です。(太田)
3.ルーズベルト神話を打ち砕くのは経済分野が先行か
 アメリカの大恐慌回復についての要因は、機会を改めて整理の上提示したいと考えておりますが、「ローズベルトが有能な大統領であったことを論証するのは無理」で、少なくとも彼のニュー・ディール政策は、財政面から経済回復に果たした役割は殆どなかったという指摘に加え(*)、むしろ市場メカニズム・ダイナミズムを阻害し、回復の足枷になった、という主張もなされています(**)。ルーズベルト神話を崩すのは、「歴史家」よりも経済学者による方が先になるかもしれません。
*:”What Ended the Great Depression?”
http://www.independent.org/pdf/tir/tir_12_02_02_steindl.pdf
P. 183から、以下参照(孫引き)。
“In sum, fiscal policy “contributed almost nothing to the recovery” (767), and “monetary developments were crucial” (782).”
**:”How Government Prolonged the Depression”
http://online.wsj.com/article/NA_WSJ_PUB:SB123353276749137485.html
 <ああそう言えば、>コラム#2935(2008.11.25)も参照のこと。
<太田>
>アメリカの大恐慌回復についての要因は、機会を改めて整理の上提示したいと考えております
 期待して待ってます。
 Chaseさん、ニューディール論やフランクリン・ローズベルト論も次著には入ってましたよね?
<宮里>
 『憲法と歴史学』をお送りし、ご一読を無理強いしたかたちとなり、すみませんでした……(苦笑)。
 『弥生時代千年の問い』がご好評のようでしたので、こちらもご送付しようかと思いました。
 本書は6年ほど前に刊行したもので、そのときもちろん校正等のため中味はすべて読みましたが、だいぶ記憶が薄れたところもあります。
 ご指摘のとおり、現憲法の問題点をだいぶ遠まわしに指摘しながらの議論で、一般読者には論点が見えにくいのではと、私も校正読んでいるとき気づきました。
 ただそれは、戦後歴史学の文脈から憲法問題に言及すると、それだけ慎重にならざるを得ない表れかとも強く感じました。
 少しでも現憲法の問題点に(その改正ではなく)、触れると、「右翼に加担する議論」、「いつか来た道に引き戻そうとするのか」だの、恫喝や罵倒のみが返ってくる始末で、冷静な議論が不可能な状況が長く続きました。
 太田さんが、「戦後日本の歴史学は病んでいる」と、仰ったとおりの体たらくで、どうしても慎重にならざるを得なく、それでなんだか奥歯に物の挟まった論旨展開になったように感じました。
 それでも一応、内容を思い出して、自分なりに本書の論旨を整理すると、以下のようになるかと、
一、藩閥主導で始まった明治国家は帝国憲法を制定することで、議会政治の道を開いた。二、日本でも大正期には「民本主義」というデモクラシーが軌道に乗り始める。
三、しかし、それが大衆の「欲望」に基づくマス・デモクラシーへと変貌する。
四、これを制御する方法として、当時の指導者が考えたものは、外側では第一次大戦後の国際協調の精神に基づく「国家主権を制限」した国家運営(不戦条約の締結等)、内側では天皇の権威を強調し、国民各自に自制を求める。
五、しかし世界恐慌の勃発で、国際協調体制は崩壊し、また天皇の権威を新たな「国家革新」のシンボルにすえる動きが国民(大衆)の間から起り、日米戦争に突入し、敗戦。
六、戦後、アメリカを「国際社会」の主導者と想定し、その下に「国家主権を制限」(憲法9条と98条)し、国内的には先の三の状況(マス・デモクラシー)の再現を防止するため、なるべく国民が「主権」を行使できないように官僚主導の内政を進める(これが戦
後の基調だった)。
七、この変則状況を変えるためには、やはり国民が「主権」を行使できるようにしなけ
ればならない。そのためには政権交代が必要。
という論旨だったと思います(これは主として編者の小路田さんの論旨。ただし、最後の七は、本書ではあまり触れていなかったように記憶しています。小路田さんの他の著作や本人から拝聴した話です)。
 ちなみに個人的には頴原善徳氏の論稿が新鮮でした。
 憲法第98条の規定から、国際法的秩序や条約に、現憲法も拘束されるとは聞いたことありましたが、その内実はこれではじめて知りました。
<太田>
>『憲法と歴史学』をお送りし、ご一読を無理強いしたかたちとなり、すみませんでした
 いやとんでもない。
 ご案内のように、現在進行形のシリーズ(未公開)で落ち穂拾い的に活用をさせていただいており、この本を贈呈していただいたことに対し、再度御礼申し上げます。
 さて、とてもじゃないけど、私、宮里さんご提示の一~七のようなことが書いてあるものとしてこの本を読むことはできませんでした。
 小路田先生から宮里さん、直接お考えを聞かれたのでしょうから、先生がそのように日本の戦前・戦後史をとらえておられるのは恐らく確かなのでしょうが、だとすると、この本は、韜晦のし過ぎですね。
 ところで、戦前史を教授のように勃興期民主主義の陥穽(暴走)ととらえるのは理解できないでもありません。
 事実、それは、かつての私の見方でもありました。
 「発生期の地中海世界や背負うの民主主義と同様、確立したばかりの当時の日本の民主主義も、軍や戦争に対する対抗原理(抑制原理)を持ってはいなかった。」(『防衛庁再生宣言』141~142頁)
 しかし、現在の私の見方はいささか違います。
 既に当時私は、「戦前戦中の日本の議会政治<と>・・・ヴェトナム戦争」に乗り出した頃の米国のそれとを同一視するゴードン・バーガーの考えを紹介(上掲144頁)していたわけですが、このことをもって、それぞれにおける日本の「敗戦」と米国の「敗戦」は、どちらも、勃興期と成熟期とを問わず、民主主義が必ずしも有能なポリティコミリタリー・エリートを輩出させはしないという証左である、と今にして思えば、達観していてしかるべきだったのです。
 その後、私は、有能なエリートが責任ある地位に就いていたならば、日本も米国も、それぞれ戦争に勝利していた可能性が高いことを知るに至っています。
 しかも、日本が「敗戦」の憂き目を見たことについては、当時の米国のエリートの無能さが日本のエリートの無能さをはるかに上回っていた、という特殊事情を無視するわけにはいかない、とも考えるに至っています。
 してみれば、日本の「敗戦」の最大の責任を民主主義に求めるのも、エリート、就中軍事エリートに求めるのも間違いだということにならざるをえません。
 最大の責任は、当時の米国、就中そのポリティコミリタリー・エリート、象徴的にはフランクリン・ローズベルトにある、ということです。
 そんな米国の属国に、戦後エリート、ひいては日本国民は、自ら進んでなり、ガバナンスの基本を放棄して現在に至っているわけですが、これをブラックジョークと言わずして何と言うべきでしょうか。
 なお、この本で展開されているところの、憲法第98条の国際法優位説的解釈についてですが、この条項に関しては、「判例はないものの、厳格な改正手続を要する憲法が条約によって容易に改廃できることとなるのは背理であるから憲法優位説がほぼ一致した通説となっている。砂川事件判決でも、そのことを前提として判断している」というのに、「ただし、降伏条約などのように国の存廃に関わる条約については、条約が優位するというのが政府の採用している解釈である」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC98%E6%9D%A1
というのですから、やはり私の唱える憲法規範性否定説を裏付ける事例の一つであり、日本において憲法解釈論を展開するのは時間のムダである、という感を改めて深くします。
 それでは、記事の紹介です。
 中共不動産バブルの崩壊間近か。↓
 ・・・There is an interesting historical parallel to the new Chinese bubble. With its excesses, such as luxury villas, amusement parks and golf courses, China’s real estate bubble bears a striking similarity to the Japanese bubble of the 1980s. At the time, the property occupied by the emperor’s palace in Tokyo was supposedly worth as much — on paper — as the entire state of California.
 Admittedly, there are many differences between the aging island nation of Japan and the giant market that is China. In the People’s Republic, more than 10 million people migrate from rural areas to major cities each year, an influx that does in fact create additional demand for apartments. But the current boom does not address this real demand, says Cao. “Migrant workers are poor and cannot afford the apartments, which are usually much too expensive.”
 After its bubble burst, Japan suffered the so-called “lost decade,” which was followed by a second decade of crisis. Cao is convinced that China, too, will pay a heavy price for its dependence on the real estate boom: “Our industrial development will be delayed by 10 years as a result.”
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,709688,00.html
 イスラエルから見て、国連平和維持軍なんて何の役にも立たないことが改めて浮き彫りになりました。↓
 Israeli and Lebanese army troops exchanged lethal fire on their countries’ border on Tuesday, in what was the fiercest clash in the area since Israel’s monthlong war against the Lebanese Hezbollah militia in the summer of 2006.
Lebanon said at least four Lebanese were killed, while Israel reported that a battalion commander was killed and a platoon commander was critically wounded. ・・・
 The Israeli military said its soldiers were fired on inside Israeli territory, just west of the village of Misgav Am. Israel said that its forces were doing routine maintenance work in a gap between the so-called Blue Line, the internationally recognized border, and its security fence, and that it had coordinated in advance with the United Nations peacekeeping force in South Lebanon, Unifil. ・・・
http://www.nytimes.com/2010/08/04/world/middleeast/04mideast.html?ref=world&pagewanted=print
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太田述正コラム#4172(2010.8.4)
<中共と罪人引き回し>
→非公開