太田述正コラム#3962(2010.4.21)
<歴史のたられば英国版>(2010.8.21公開)
1 始めに
 ’A World by Itself・・A History of the British Isles’ (コラム#3763、3788)を読み始めているのですが、最初のあたりは全然面白くないので、一番最後のところの ‘Some Counter-Factuals’ を読んだら、それは、歴史のたられば英国版とも言うべきものでした。
 たらればと言っても、20世紀だけが対象なのですが、それを要約的にご紹介した上で、私のコメントを付けたいと思います。
2 歴史のたられば英国版(同書686~689)
 1914年以前や1930年代に英独宥和がなっていたらどうだったか?
 欧州大陸における戦争を回避できたとは限らないが、より小規模なものになっていたかもしれず、しかも英国は参戦していなかっただろう。
 いずれにせよ、ドイツは欧州おいて支配的地位を、迅速な戦争によって獲得していたことだろう。
 他方、欧州の文明に、それは、特に1930年代において、悪い影響を及ぼしただろう。
 それに比べれば、1914年からの戦争に英国が参戦していなかったとすれば、プロイセン化したEUが成立していたことだろうが、それは我慢のならないことではあっても、野蛮なものとまではいかなかったことだろう。
 英国がヒットラーの望んだような形で<ドイツと>一種の合意に達していたとすると、少なくとも東欧の大部分とウクライナはドイツの支配下に入ったことだろう。
 その先どうなるかは分からないが・・。
 少なくとも、その場合は、欧州におけるイデオロギー的勢力均衡は、ファシズムの方向に傾いただろう。
 ヒットラーの帝国は、最終的に内部から崩壊したり、単純に減衰したりしたかもしれないが、英国の政治的肌合いは、専制的かつナショナリスティックなものに変わっていたことだろう。
 もう一つの選択肢は、勢力均衡の考え方でもってドイツの拡大主義に抵抗することだった。
 そのためには英仏軍事同盟を結び、英国軍部隊を欧州大陸に駐留させる必要があった。
 1914年以前にそうしておれば、戦争は起きなかっただろう。
 ドイツとしては、勝算が全く得られないからだ。
 1930年代に関しては、二つ可能性があった。
 1933年から36年の間、英仏はドイツの再軍備を妨げることができた。
 <そうしておれば、>ヒットラーは、その外交政策が失敗に帰し、ヒットラーは権力の座から転落していたことだろう。
 1930年代末になって、ドイツが再軍備を果たしてしまうと、ヒットラーを封じ込める可能性ははるかに小さくなった。
 というのは、ソ連も米国も欧州の勢力均衡の一部ではなかったからだ。
 その場合の英仏同盟の目的は、ヒットラーに西側に目を向けさせないことであり、彼に東において「自由にふるまう権利(free hand)」を与えることだった。
 このようなシナリオの結果がどうなったかは、まことにもってはっきりしない。
 欧州は重武装状況となっただろうが、西における戦争はそれから数年間は回避できただろうし、全く起こらなかったかもしれない。
3 感想・・終わりにの代わりに
 このほか、英国がドイツに敗れていた場合・・ただし、第二次世界大戦のみ。第一次世界大戦時に敗れる可能性は皆無だったとする・・や、1956年の英仏のスエズ介入が成功していた場合も取り扱われているのですが、省略します。
 しかし、スエズ介入がこのような形で取り扱われているのは面白いですね。
 英国が、米国の横やりによってスエズ介入が失敗したことで、大英帝国が完全に瓦解した、そしてまた、米国に完全に世界覇権国の地位を奪われたことを骨身に染みて自覚させられたからなのでしょうが、私としては、そんなことは第二次世界大戦に日本を参戦させた瞬間に決まっていたことであり、何を寝ぼけたこと言ってるんだ、と言いたいところです。
 ところで、英国に関する第二次世界大戦のたらればと言えば、クレイギーの主張した、1941年における日本中立化政策(「ロバート・クレイギーとその戦い(続)」シリーズ参照)・・それはまた、英国寄りの米国の中立政策の維持にもつながる・・を英国が積極的に米国に求める形で推進していたらどうなっていたか、を編著者達がとりあげなかったのは、著しい怠慢ではないでしょうか。
 なぜなら、それは、ほぼ間違いなく実行可能であった「たられば」であって、その結果は、ドイツとソ連は互いに戦い続けて消耗し、ファシズムと共産主義、就中共産主義はアジア等への勢力伸長を妨げられ、恐らくは支那で日本が蒋介石政権を打倒するか日本と共存できる、非ファシスト的な国民党政権が樹立され、英国は大英帝国を温存できた可能性が大だからです。
 もとより、大英帝国は早晩崩壊を免れなかったでしょうが、英国は時間をかけて、慎重にその植民地の放棄を実施できたはずであり、印パ分裂を回避することや、ビルマの独立をその国内態勢が整うまで先延ばしにすることができたでしょうし、マライにおける共産主義叛乱も未然に押さえ込むこともできたはずですし、イラク王制の弱体化も食い止められたかもしれず、パレスティナ紛争の芽を摘む形でのイスラエル国家の成立だって図れたかもしれないのです。
 更に言えば、日本帝国は当然維持されるわけですから、朝鮮戦争が起こることもなく、日本が事実上保護国化していたインドシナで、早晩、バオダイを元首とする立憲君主国たるベトナムが成立し、ベトナムひいてはインドシナの安定が確立されていたことでしょう。
 また、本国がドイツの占領下にあった蘭領のインドネシアも、ベトナムの状況の変化にも影響を受け、着実な形で独立への道を歩んだことでしょう。
 まさに、千載一遇の機会を英国は逸したと言うべきなのです。