太田述正コラム#4204(2010.8.20)
<イスラエルのイラン攻撃論争(その5)>(2010.9.20公開)
 次に、太田コラムでお馴染みのヒッチェンス(Christopher Hitchens)によるゴールドバーグ論考批判をご紹介しましょう。
 そのさわりです。
 「・・・<ネタニヤフ首相とて、イランがイスラエルに核攻撃するかもしれないとは主張しておらず、ヘズボラとハマスが>「核の傘を享受しながらロケット発射をしたりテロ活動をしたりすることが可能になるかもしれない」と主張している<にとどまる>。
 しかし、イスラエルはヘズボラとハマスに対して、核抑止ではなく、在来軍事力に依存しているのであるからして、かかる主張は完全に見かけ倒しのものだ。
 <ゴールドバーグは、イランが核能力を持つと有為の人材がイスラエルから逃げ出してしまうかもしれないという主張も紹介しているが、>そんな話は自傷行為に近い。
 ゴールドバーグ自身、彼が話をしたイスラエルの将軍達が「「存続の脅威」について語ること自身がシオニストとしての計画・・それはユダヤ人に対するかかる脅威が起こらないようにすることを目的とする・・にとって一種の存続の脅威であると心配している」ことを認めている。
 かてて加えて、いくつもの筋が、ゴールドバーグに対し、イスラエル陸軍参謀長のガビ・アシュケナジ(Gabi Ashkenazi)が、「<イラン核施設に対する>攻撃が役に立つのかどうか(usefulness)」に疑問を呈している、と述べている。
 イスラエルの諜報要員の最上級者の他、イランに対する政策に責任を負う人々は、実は長らく、ネタニヤフが近年抱懐してきたところの黙示録的レトリックは自滅的であると主張してきた。
 <また、>2009年7月<にイスラエルの一番人気の新聞に載った記事で、>イスラエルの軍事諜報の元トップであった<人物>が、イスラエル公衆が抱くイランの核の脅威についての認識は「歪んでいる」と述べたと報じられている。
 ・・・軍事諜報要員やモサドの要員は、イランが核兵器を追求する主たる動機は、イスラエルを脅すためではなく、「米国による軍事介入と<イランの>体制を変革しようとする試みを抑止する」ためであると信じている<、と言う者もいる>。
 <イスラエル政府高官によるところの、>イランがイスラエルにとって脅威であるとする露骨な歪んだレトリックの使用、そしてそれに対するところの諜報要員の異議申し立て<という図式>は、1990年代初期にまで遡る。
 当時、イスラエルの労働党政府はイランのミサイル計画と核計画をイスラエルにとっての「存続の脅威」であると描くキャンペーンを開始した<、と記した本が出ている>。
 <この本には、>イスラエル政府内の省庁間委員会が1994年に設けられ、イランにどう対応すべきかを勧告をすることとされたが、その結論は、イスラエルのレトリックは、現実にはイランにもっとイスラエルを恐れさせ、もっとイスラエルに敵対的にさせてきたことから、自滅的である、というものだった、とも記されている。
 皮肉にも、1996年央に一回目に首相になった時に、ネタニヤフその人がかかるレトリックを用いるのを止めることを決めている。
 <当時の>モサドの長官のウジ・アラド(Uzi Arad)が、ネタニヤフに対し、イスラエルをイランの敵にするのか、イランをしてその他の諸国からの脅威に焦点をあてさせるのかの選択をイスラエルは行わなければならない、と説得したのだ。
 <その結果、>ネタニヤフは、カザフスタンとロシアに、イランとイスラエルの間の仲介をしてもらうことを模索し始めたくらいだ。
 しかし、イラン政府が米国政府との友好関係樹立(rapprochement)を追求していると確信した時、彼はこの政策を正反対のものへ切り替えた。
 <この本によれば、>イスラエルの指導者達は、<イランと米国との友好関係樹立が>なると米国のイスラエルに対する支援が削減されることになるかもしれないことを恐れたのだ。
 こうして、ネタニヤフは、彼の前任者達の極端なレトリックへと復帰したというのだ。
 このエピソードが示唆しているのは、ネタニヤフは、イランの脅威はヒットラーのドイツの脅威と同じであるとの彼の公的スタンスとは180度異なるところの、イスラエルの諜報コミュニティの、より陰影ある(nuanced)イラン分析を把握する能力が完全にあるということだ。・・・」
http://www.slate.com/id/2264064/
(8月18日アクセス)
→ヒッチェンスはユダヤ人の血が入っている、私と同年に英国で生まれた人物なのですが、2007年に米国籍もとり、現在二重国籍者です。
 彼は、戦闘的無神論者として有名です
http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Hitchens
が、キリスト教原理主義的な米国でそのようなスタンスを押し通すのは大変なエネルギーが必要なはずであり、それだけに、その他の面ではなおさら、米国に過剰適応せざるをえない、ということを考慮すべきでしょう。
 それはともかく、わすか人口750万人のイスラエルであっても、その首相をこなすことが、安全保障に関してどんなに大変か、お分かりいただけたことと思います。
 それに比べ、人口が1億2,000万もあって、しかも経済大国の日本でありながら、その首相、安全保障を考えなくて済むのだから、楽なものです。
 安倍さんや麻生さんでも、あるいは菅さんでも、そして太田コラムをお読みになるほどの方であれば、どなたでも、日本の首相は務まりますよ。(太田) 
 
(続く)