太田述正コラム#4096(2010.6.27)
<米帝国主義マークIIの構築者(その3)>(2010.11.4公開)
 (4)結論
 「・・・タージアン氏は、「<人為ではなく>状況が世界の中で米国の力を召命(conscript)したのであるとはいえ、現実には、・・・フランクリン・D・ローズベルトとドワイト・D・アイゼンハワー・・・の拭い消せない徴を我々が住んでいる現実は帯びている。・・・」(B)
 「・・・彼は、米国人が、世界支配を目論んでいるのではなく、不完全であれ、自由の恩沢を維持し暴虐なる全体主義的諸体制に対する砦を形成しているところの、良い連中である、というローズベルトとアイゼンハワーの見解を全面的に共有している。・・・
 ・・・米国が立ち向かわなければならなかったところの、恐るべきかつ有力な悪の諸力・・過激なイスラムテロ、ソ連、ナチスドイツ、帝国日本・・を十分に理解している人々にとっては、米国の人々が成し遂げたことに感銘を受けざるをえない。
→このうち、「帝国日本」については、断じて否である、と我々は言い続けなければなりません。(太田)
 米国の強力な役割なかりせば、この世界は、ずっと多くの苦悩に満ちたところの、はるかに野蛮な場所になっていたことだろう。
→戦前における「米国の<トチ狂った>強力な役割」のせいで、東アジアだけをとっても、共産主義が支那、朝鮮半島北部、及びインドシナを席巻し、支那では国共内戦、大躍進/文化大革命の惨禍、朝鮮半島では朝鮮戦争と北朝鮮における人権蹂躙、そしてインドシナではベトナム戦争やポルポトによる大虐殺、等々の天文学的な「苦悩」が戦後にもたらされたことを考えると、この書評子が言っていることは犯罪的です。(太田)
 タージアン氏が記すように、米国が全球的に手を伸ばしたのは、征服したりコントロールする精神からではない。
 米国の帝国(imperium)は「なるべくしてなったのであって意図してつくったものではない(is an empire by default, not design)…。状況が米国の力をこの世界へと召命した」というのだ。
→東アジアにおいて、「意図」的に日本帝国を崩壊させた結果として、「なるべくして」日本が戦前に果たしていた役割を、東アジア、ひいては全世界において、果たさざるをえ「なくなったのであっ」た、と言い換えるべきでしょう。(太田)
 この種の論述は、タージアン氏を、怒り狂った学者の大軍の標的の中心とするかもしれないが、それが真実であることは争いがたい。
 米国は、その敗者達に対して極めて寛大であったし、欧州諸国や以前の世界の諸大国の植民地的流儀でもって世界を運営することを拒絶してきた。・・・」(C)
→米国によるフィリピン統治に目をつぶり、かつ日本による植民地統治について知ろうともせず、こんな言を吐く書評子には、哀れみの念すら湧いてきます。(太田)
 「・・・結局のところ、ローズベルトとアイゼンハワーは、「世界の諸問題に係る米国の歴史的責任として認識されたところのものを抱懐し、米国を全球的支配へと導いたのであり、彼等は、言葉と行動において、世界の平和にとって米国の力が何を意味するかを体現していたのだ。」
 <米国が>かかる責任<引き受けたと>の仮定は、米国にとって、カネと血において高く付いてきた。
 しかし、この二人の男が、かくも巧みに米国がこの困難な役割を引き受けることへと<米国を>導かなかったとすれば、我々がどこに行ってしまっていたかを想像してみよ。・・・」(C)
 「・・・我々全員が、アイゼンハワーは、米国人に対し、離任する直前に「軍産複合体」について警告した、と聞かされて成長した。
 しかし、私は、タージアンがこの本で報告するところの、アイゼンハワーのもう一つの注目すべき声明のことは聞いたことがなかったように思う。
 それは、アイゼンハワーの大統領としての最初の年のものであり、「製造された全ての銃、就航したすべての戦闘艦艇、発射されたすべてのロケットが意味するものは、つまるところ、飢えている者が食物を与えられず、寒い者が衣類を与えられない、ということなのだ。…。
 いかなる意味においても、このようなことであってよいわけがない。
 戦争の脅威の雲の下で、鉄十字からぶら下がっているのは人間性なのだ」と。・・・
 タージアンが指摘するように、アイゼンハワーは、米国の真ん中の地域出身の男だったのであり、私は、彼の、上記の引用のような声明や勇敢な人生は、この真ん中の地域がいかなるところであるかを物語っていると思う。
 我々米国人は、我々の国、無辜の人々、犠牲になってきた人々を防衛することを恐れてはいないけれど、軍国主義的ではない。
 我々は、勇敢さを尊び権利を防衛するけれど、戦争を祝うことはないのだ。・・・」(E)
3 終わりに
 我々は、タージアンのような考えを一笑に付すわけにはいきません。
 米国の前大統領のブッシュは、まさにこのような考えの持ち主であったことを思いだして下さい。
 そう考えれば、我々は、「怒り狂った学者」の一人であるオバマがブッシュの次の大統領に選出されたことに、もっともっと注目し、喜ばなければなりますまい。
(完)