太田述正コラム#4481(2011.1.6)
<皆さんとディスカッション(続x1067)>
<太田>(ツイッター)
 (コラム#4479に関し)イスラム教対キリスト教と言えば、スーダンを前者のスーダン北部と後者のスーダン南部に分割することの是非を問う国民投票がスーダン南部で今年行われる。アブラハム系宗教は、対立を増幅させるやっかいな存在だ。
 (コラム#4240に関し)アナキズムなんて過去の話だろって? いんにゃ、今まさに、ギリシャとイタリアでアナキストによるテロの脅威が現実化しとるんよ。民主主義独裁の欧州文明のコインの裏側ってやつだ。
http://nyti.ms/dQmhM3 
<ρδρδ>(「たった一人の反乱」より)
 想像上の中で為される「悪徳」を規制すべきかという話だよ。
 ゲームや漫画に存在する倫理に反した「悪徳」をどう捉えるべきかという問題だ。
 それに対し、ある人は一種の「悪徳」に嫌悪感を抱くのは当たり前で、排除すべきだと主張し、また、ある人は「悪徳」に嫌悪感を抱く事と、それを規制するのはまったく別次元の話だと主張している。
 ただ、一つはっきりしている事は、ゲームや漫画の世界からそういった「悪徳」(行為)を無くしても、現実世界から「悪徳」(その行為)が無くなる訳ではないと言う事だよ。
 (一部の人は情緒的に無くなるのだと信じているようだけど、根拠がわからない。
 むしろ、ポルノに関して言えば、太田が「ポルノと強姦」で論じているように、ポルノの消費は強姦等の現実問題としての「悪徳」を抑止する可能性が高い。
 実害が無いのであれば、無理に規制をせず、フリーハンドを与えるべきだし、そもそも、ゲーム・漫画に登場する人物の年齢を議論するなんて馬鹿らしい事で、何を基準に規制するのかが理解できない。
 幼女に見える600才の吸血鬼のパンチラは規制の対象であろうか?
 姿形を基準にするならYESだし、設定準拠ならNOだ。
 適宜に二つを併用すれば済む話だけど、明確な基準が無いのだから弊害が少なからず発生しそうだと言う事は容易に想像できる。
 (デフォルメされたキャラは幼く見えやすい、と言う問題もある。)
 そういった代償を支払ってまで、そもそも規制すべき事なのか、それに何か意味(効用)はあるのか。)
 規制により誰かが救われるなら、喜んで賛成するけど、規制したい人の自己満足を、誰かに無理強いする事にだけは賛成できない。
 確実に被害者が存在する、現実の児童ポルノ問題に取り組むでもなく、ゲーム・漫画に猪突猛進して来たのはドン・キホーテも良いところだ。
<ρδδρ>(同上)
 「日本は、極めて強姦の少ない国です(コラム#785)。
 その理由は、「娯楽に関して、子供と大人の間に境界線が引けないだけでなく、欧米においては、大人の隠微な世界に属する「性」が、堂々と・・しかも子供にまで・・開陳されているのも江戸時代の日本人の「民族的特性」の一つですが、これも現代の日本にそのまま受け継がれています。子供がTVで見るアニメ番組の中に、猥雑なもの、エロチックなものが少なからずある国、週刊誌やスポーツ新聞で、硬派の記事とエロ記事やヌード写真が同居しているものが少なくない国、更にはこのような週刊誌のどぎつい広告を電車の中で目にすることができる国、は世界広しと言えども日本くらいである・・・」(コラム#1513)ところに求められると思っています。
 ですから、米国、そして広くアングロサクソン諸国は、性意識において日本化しつつある、と言ってもよいのではないでしょうか。
 私は、米国等で強姦が減っているのは、インターネット/ポルノの普及だけでなく、性的要素がちりばめられているものが少なくない、日本のアニメの米国等への普及も原因の一つだと思っているのです。」
http://blog.ohtan.net/archives/50954183.html
 日本は性が子供にまでおおっぴらにされている文化だといっても、さすがに幼児・小児(一般に13歳以下)を性愛・性的嗜好の「対象」にすることまでよしとするような文化ではないでしょ。
 ポルノの普及による強姦等の減少という相関関係についても、ペドフィリアについては、そのまま適用するのではなく、別枠で考え直さなくちゃいけないんじゃないの?
<δρδρ>(同上)
>日本は性が子供にまでおおっぴらにされている文化だといっても、さすがに幼児・小児(一般に13歳以下)を性愛・性的嗜好の「対象」にすることまでよしとするような文化ではないでしょ。
 なるほど。源氏物語は発禁にしなきゃイカンな。
<ρδδρ>(同上)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E#.E5.A4.96.E5.9B.BD.E8.AA.9E
 幼児・小児(一般に13歳以下)を性愛・性的嗜好の対象にすることを日本以上にタブー視している欧米諸国で堂々と売られている源氏物語を、なんで日本で発禁にせにゃならんのよ?
<δρδρ>(同上)
 皮肉が通じねえか。だめだこりゃ。
<ρδδρ>(同上)
 <先ほど書いたこと>の補足だけど、幼児・小児(一般に13歳以下)を性愛・性的嗜好の「対象」にすることは、近親相姦などと同様、人倫に反することとして世界で広くタブー視されている。
 だから、成人を性愛・性的嗜好の「対象」にする単なるポルノとは別枠で考える必要がある、と思うんだ。
<δδρρ>(同上)
>ポルノの普及による強姦等の減少という相関関係についても、ペドフィリアについては、そのまま適用するのではなく、別枠で考え直さなくちゃいけない・・・<(ρδδρ)
 その理由が曖昧でわかりにくい、ただ、その種の文化的なタブー<を描いた漫画等>は排除されるべきって意味なら、性的・非性的暴力(強姦or殺人…etc)から近親相姦、ペドフィリアまでを規制すべきで。
 結局、石原なんかの規制派と主張は同じになる。
 (なぜ、ペドフィリアにのみ拘っているのかがわからない。)
 また、『ポルノの普及による強姦等の減少という相関関係』は“内容が健全”なモノに限るのではないか?という問いの場合。
 『<環境犯罪誘因説は現在では、>限定効果論および・・・受容文化論により否定されている。』
 『<ただし、>限定効果論で<は>、・・・犯罪を起しやすい要素を持つ人が、環境の 影響によって犯罪に走る傾向があるともみなしている。・・・
 ・・・ただこれらの環境の影響は、限定効果論の提唱者であるクラッパーが言うように、犯罪の引き金をメディアなどがひかなくともいずれ別の何かが引き金を引くため、これをもって単純にメディアなどの起因論となすことはできない。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A2%83%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%AA%98%E5%9B%A0%E8%AA%AC
 上記のような議論がある事から“内容が健全でないモノ”は別枠で考えなければならない、と言う主張は理解できるけど。
 「ポルノの普及による強姦等の減少という相関関係」と、疑問視されている「環境犯罪誘因説」を秤にかけたら、前者を重視すべきだろう。
 実害が無い可能性の方が高いのなら、無理に規制をせず、フリーハンドを与えておくべきで、そして、もし規制をするのであれば性的・非性的暴力(強姦or殺人…etc)から近親相姦、ペドフィリアまでの「悪徳」を論理的には規制すべきで、どれか一つを狙い撃ちするのは馬鹿げてるよ。
<δρδρ>(同上)
 結局自分が見たくないものは世界から排除したいってのが出発点なのに、世の中のためにならないからという理由を何とか付随させようとするから、片手落ちな理屈になるんじゃないかな。
<δρρδ>(同上)
≫私への言及がないくだりなんだけど、「律令理性論」についにお目にかかれるかと一瞬心が動いたものの、>URLを見てやっぱ、ボク、読むの止めたぜ。なぜか、分かるよね、皆さん。≪(コラム#4477。太田)
 さっぱりわからん・・・<。>
<太田>
 植田サンがmemberをmenberと誤記してたからさ。
 この言葉、「<日本の>中学<英語>の水準の単語」
http://ejje.weblio.jp/content/member
だけど、それをURLに使った上で、わざわざ公開の場でそのURLを掲げたくらいだから、うっかりミスだとかミスプリだとかの言い訳はきかない。
 この言葉、フランス語ではmembre
http://traduction.sensagent.com/membre/fr-ja/
だし、ドイツ語でも本来はMitgliedだ
http://dictionary.reverso.net/german-english/Mitglied
けど、英語のmemberがしばしばそのまま用いられる。
http://deutsche-boerse.com/dbag/dispatch/de/kir/gdb_navigation/trading/70_members_only
 いずれにせよ、’n’じゃくなくて’m’だ。
 植田サンは盛んに地理的意味での欧州の哲学やキリスト教について蘊蓄ってるみたいだけど、こんな基礎的単語の綴りすら定かじゃないのでは、彼の哲学論等、アブナくってとても耳を傾けられないわな。
 彼の「律令理性論」なるものは、一応日本のオハナシのようだけど、推して知るべしだって思ったぜ。
 「落とし穴は細部に隠れている(The Devil is in the details)」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/23195/m0u/
のさ。
 お前さんこそ、些事をあげつらう悪魔(Devil)みたいな奴だって?
 ボク、そんな大それたモンじゃないよ。
 いつも言ってるけど、ボクは単なる鏡に過ぎない。
 ただし、某UK小ミラーマンならぬ、大ミラーマンだけどね。
<δρρδ>(「たった一人の反乱」より)
 <それにそもそも、>読もうとしてもパスワードを要求されるぞ?これのどこらへんが「一般に公開」なんだ?
 「律令理性論」で調べたが、意味が分からん。愚民史観に妙な理屈をつけただけにしか見えんぞ?
 「自分を主体にできない結果、戦後の律令理性・日本人は、アメリカをご主人さまにしている。
 冷戦時代は別として、以後は、アメリカが日本を対米従属に強要しているわけではない。
 日本人の律令理性が呼び寄せているのである。もちろん、戦前も日本人は律令理性人だったから、その場合は、天皇がご主人だった。これが戦前の「国体」の正体であり、それもまた日本人の律令理性が招来したのだった。幕末時代の日本人がいかに律令理性人だったか。」
http://www.uedam.com/yogo.html
<太田>
 にゃーるほどね。
 太田コラムが紹介するところの(極めて常識的な)戦前・戦中日本自由民主主義(的)国家論(やその内生的ルーツ)は、「律令理性論」にとって致命的な躓きの石なんで、植田サン、太田コラムから逃げ出したのね。
 地動説に出会ってしまって、あたふたと逃げ隠れする、カワイソーな天動説論者ってところだな。
 それでは、記事の紹介です。
 パキスタンがイスラム原理主義にからめとられていく歴史が簡潔に記されている。
 S・K・マリク准将ってのは知らなかったな。↓
 ・・・Carved out of the Muslim-majority provinces of British India in 1947, the country has long struggled to reconcile two competing visions of its reason for being. Is Pakistan, as imagined by its founder, Muhammad Ali Jinnah<(コラム#14、293、673、679、681、749、2262、3470、3472、3474、3486、3496、4111)>–a London-trained barrister with a fondness for pork sandwiches and two-toned spats—merely a homeland for the subcontinent’s Muslims? Or was it created to echo the far more ambitious formulation of Abul Ala Maududi<(コラム#389、2270)>, the radical Islamist ideologue born roughly a generation after Jinnah: for the enforcement of Islamic Shariah law upon every aspect of society and the state?・・・
 When Pakistan gained independence in 1947 it housed 137 madrassas. That number has since swelled to about 13,000, between 10% and 15% of which are linked to sectarian militancy (Sunni versus Shia) or terrorism.
 For many analysts, Pakistan’s slide began during the prime ministership of Zulfiqar Ali Bhutto<(コラム#682、2265、3643、3945)>, the debonair, Scotch–swilling feudal from Sindh first elected in 1970. Believing that he could co-opt the then small fundamentalist lobby, Bhutto banned alcohol and gambling and shuttered night clubs. He replaced the traditional Sunday holiday with Friday and declared the tiny heterodox Ahmadiyya sect<(コラム#4037、4067、4075、4125)> to be non-Muslim. Bhutto promoted the pious and ultimately treacherous Zia ul-Haq<(コラム#1571、1843、2265、3643、3961)> to head the army.
 After Zia seized power in a coup in 1977, the Islamization of Pakistan took off in earnest. The general set up Shariah courts, began government collection of zakat (an Islamic alms tax), denuded libraries of books deemed un-Islamic, and mandated compulsory prayer for civil servants and marks in their personnel files for piety. In the 1980s, army officers were instructed to read “The Quranic Concept of War,”
http://www.amazon.com/The-Quranic-Concept-of-War/dp/8170020204 (太田)
a book by a zealous officer, Brigadier General S.K. Malik, which argues that “terror struck in the hearts of the enemies is not only a means, it is the end in itself.” Many of these officers subsequently rotated through the notorious Inter-Services Intelligence whose links to violent fundamentalist groups fighting NATO troops in Afghanistan and India in Kashmir are widely regarded as too deep to sever entirely.・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704723104576062961607588454.html
 フランシス・フクヤマ(FRANCIS FUKUYAMA)が書いたサミュエル・ハンティントン(Samuel Huntington)小論は秀逸。↓
 <この本↓、ウン10年間ツン読状態だったけど、改めて読んでみるか。(太田)>
 Of all of Samuel Huntington’s contributions to the study of politics, the most important was his 1968 work Political Order in Changing Societies. ・・・
 <メイン、デュルケム、マルクス、テンニース、ヴェーバーといった近代化論の先駆者・・英米史を理念型化した人々・・が紹介されている。↓(太田)>
 ・・・”modernization theory,” probably the most ambitious American attempt to create an integrated, empirical theory of human social change・・・had its origins in the works of late 19th-century European social theorists like Henry Maine<(ヘンリー・メイン。1822~88年。イギリス法学者・歴史家
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_James_Sumner_Maine (太田)
)>, ���mile Durkheim, Karl Marx, Ferdinand T���nnies, and Max Weber. While based primarily on the experiences of early modernizers like Britain or the United States, they sought to draw from them general laws of social development. ・・・
 <米国で戦後に生まれた近代化論のバカチョンぶりが描かれている。↓(太田)>
 If one were to sum up the Americanized version of modernization theory, it was the sunny view that all good things went together: Economic growth, social mobilization, political institutions, and cultural values all changed for the better in tandem. There was none of the tragic sense of loss that one sees in Weber’s concepts of disenchantment or the iron cage of capitalism, or in Durkheim’s anomie.・・・
 <ハンティントンの上記の本が、この近代化論を粉砕したってんだなあ。↓(太田)>
 Political Order pointed out that from the vantage point of the year 1968, political development was not occurring in much of the recently independent, former colonial world. The world was rather characterized by coups, civil wars, upheavals, and political instability. Huntington suggested that if the pace of social mobilization outran the ability of political institutions to incorporate new actors, you would get a condition that he called praetorianism, or political breakdown and political decay.
 It is safe to say that Political Order finally killed off modernization theory. It was part of a pincers attack, the other prong of which was the critique from the left that said that modernization theorists enshrined an ethnocentric European or North American model of social development as a universal one for humanity to follow. American social science found itself suddenly without an overarching theory and began its subsequent slide into its current methodological Balkanization. ・・・
 <だもんで、その後、米国で専制的移行論が登場したってわけ。
 ま、ボクのファシズムは自由民主主義化をもたらし易いって主張と相通じるものがあるねえ。↓(太田)>
 This laid the groundwork for a development strategy that came to be called the “authoritarian transition,” whereby a modernizing dictatorship provides political order, a rule of law, and the conditions for successful economic and social development. Once these building blocks were in place, other aspects of modernity like democracy and civic participation could be added.・・・
 <そして、ハンティントンの晩年に言い出した文化決定論/文化衝突論は、英米等が自由民主主義化を早期かつ容易に成し遂げた背景に彼がプロテスタンティズムを「見た」ことが契機になったってさ。
 フクヤマが指摘するように、こりゃ、トックヴィルやヘーゲルやニーチェが言ったことの焼き直しだが、遺憾ながら早トチリ説以外のなにものでもない。
 はばかりながら、ボクの説・・アングロサクソンの生来的自由主義→漸進的民主主義化・・の方が説得力あると思わないか。↓(太田)>
 <Later,> Huntington noted that the vast bulk of <democratization> had occurred in culturally Christian countries and that there was a distinct religious underpinning to the pattern of democratization in the late 20th century. The Catholic world, in particular, was catching up to the Protestant first movers, just as Catholic societies had come late to the capitalist revolution. ・・・
 Huntington is incontrovertibly right that historically the origin of modern democracy is, as he says, rooted in Western Christianity. This is not a new insight; thinkers from Tocqueville to Hegel to Nietzsche have all observed that in many ways modern democracy is in fact a secularized version of the universalism of Christian doctrine.・・・
http://www.foreignpolicy.com/articles/2011/01/05/samuel_huntingtons_legacy?page=full
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太田述正コラム#4482(2011.1.6)
<映画評論20:アビエイター(その3)>
→非公開