太田述正コラム#4310(2010.10.12)
<ジョージ・ワシントン(その4)>(2011.1.27公開)
 (3)ワシントンと黒人/インディアン
  多数の奴隷の所有者であることほど、ワシントンが人生において気がかりだったことはなかった。・・・
 チャーナウは、ワシントンが抱いていた奴隷制廃止論と彼自身の奴隷制に立脚した経済的福利との間の長きにわたる葛藤(ambivalence)に多くのスペースを割く。
 ワシントンの、個々の奴隷に対する強い個人的な肯定的な気持ちにかかわらず、ワシントンが抱いていた奴隷制に対するいかなる疑問も、公の場ではなく、私的な手紙類の中でしか表明されることはなかった。
 彼は、奴隷達の家族を壊すことには消極的だったが、奴隷達を売る算段になれば同じようには感じなかった。
 もちろん、遺言の中で奴隷の<ほとんど全員を妻の死後>解放をするものと記したことによって、ワシントンが、彼以外の奴隷所有者たる建国の父達が誰一人とることができなかった措置をとった<ことは確かだ。>・・・」(E)
 「・・・<これは、>彼が、「自分達の米国の存続を恒久化するには、<平等という>原則の共通の紐帯によって米国(union)を強化することに資するところの、奴隷制の根絶以外にはない」という確信に基づいて念のために(in good measure)行ったことだった。・・・」(D)
 「・・・<このように、ワシントンは、>奴隷達に対してまことに「ご大層な(hard-driving)」ふるまいを行った<わけだが、>・・・流布している神話とは違って、彼女の夫の死の<わずか>1年後に<、自分の死まで待つことなく、>自分達の奴隷を解放したのは、ジョージではなくて、マーサ・ワシントンの方だった。・・・」(G)
 「・・・彼の遺言が公開されたため、彼<等>の奴隷達はそのことを知るところとなり、マーサは身の危険を感じた。
 だから、彼女は・・・自分の死を待つことなく彼等を解放したのだ。
 米原住民に関しては、ワシントンは、彼の後に続く者達の多くと同様、インディアン達による米国人達への攻撃は、幾ばくかの正当性があるかもしれない、何となれば彼等は自分達の土地から追い出されたのだから、ということを理解することは決してなかった。
 そうではなくて、彼は、「我々の不幸な辺境の植民者達…」に対してインディアン達によって加えられた、<いわば>釣り合いの取れた残虐行為に対する処罰として、自分の軍隊が虐殺したり焦土戦術をとることを許可した。・・・」(F)
→チャーナウの本を離れますが、ワシントンは、自分のインディアン政策の正当化を以下のような理屈で行いました。(太田)
 「・・・ワシントンは、友達に書いた1767年の手紙の中で、私的個人に関してと同様、国に関しても、土地を確保する権利<がどのような者に認められるか>はあてはまると打ち明けている。
 「良い土地でくまなく狩りをするとともに、他人がその土地に定住することを妨げるために何らかの方法でその土地を自分のものとして区別する表示をを怠った者は、誰であれ、その土地を取り戻すことはできない」と。・・・」
http://www.latimes.com/entertainment/news/la-ca-barnet-schecter-20101010,0,1308627,print.story
(10月10日アクセス)
 (4)総括
 「・・・しかし、総括的には、チャーナウは、ワシントンはAプラスの成績の歴史上の人物であると信じているとする。
 彼は、自分が決して裏切られることがなかったところの「ビジョンの明晰さと目的意識」を持っていたからだ、というのだ。・・・」(G)
3 終わりに
 恐らくは一般読者向けの避雷針的リップサービスに過ぎないであろうところの総括の部分を除けば、チャーナウによるこのワシントンの伝記は秀逸だと思います。
 ワシントンが独立に身を投じたいきさつといい、白馬を使った自己PRや奴隷「解放」のエピソードといい、ワシントンの醜悪、かつ矮小な本質が実に良く分かりますね。
 ワシントンがイギリス人以上にイギリス人的であったとすれば、奴隷所有者であったことに良心の呵責がなかった方がおかしいわけですが、自分の生きている間は何もせず、他方で自分の死後の評判のことを計算高く考えてあのような遺言を残すとは、呆れるほかありません。
 ワシントンには(奥さんの連れ子はいたけれど)実子がいませんでした
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Washington
から、全く自分にとっては痛くもかゆくもない遺言内容だったわけです。
 しかも、奥さんに配慮したように見えて、全く配慮になっていませんでしたしね。
 こういう偽善の塊のような人物が建国の父達の総元締めとなって米国が建国されたのですから、その後、米国が偽善に満ちた歴史を展開することになったのは、当然のことだと言わなければなりますまい。
 
(完)