太田述正コラム#4581(2011.2.25)
<皆さんとディスカッション(続x1117)>
<太田>(ツイッターより)
 東部のベンガジで、首都「トリポリの戦い」に赴く市民義勇軍が編成されつつあるようだ。
 国連はカダフィの娘アイシャ(国連親善大使)を解任したとさ。
http://bbc.in/gd3AKz 
 こんな絵に描いたような革命が起きるとはねえ。
 (コラム#4372に関し)外部理事がいなかった頃の相撲協会の報告書ならこんなものだろうな、と思いつつ、外務省の報告書を紹介したこのコラムを読み返している。
 そんな報告書類に遭遇した場合、何のために作成されたか、考えるべきなんだよ。
<ΦδδΦ>(「たった一人の反乱」より)
≫<植田さん>の・・・太田コラム解釈、どこが誤解、曲解であるか、恐縮だけど、どなたか、復習を兼ねて書いていただける人いませんか。≪(コラム#4579。太田)
 ・・・太田さんが言わんとした事は、1917年以降の日本が・・・自由民主主義(的な日本)と相容れないところの・・・共産主義イデオロギーの東アジアへの波及を警戒し、近代日本の宿敵たるロシア(ソ連)に対し、コンセンサスとして『日本がアジアの自由民主主義化の旗手』として対決する姿勢を示し、そして実行した、と 言う歴史であります。
 そして、『北朝鮮・中共・ベトナムという悪の枢軸の存在』に対する責任は、一義的には共産主義に対する無知及び人種的偏見から日本の足を引っ張り続け、最後は直接的に日本帝国を崩壊に導いた米国に求められるのであり、二義的には戦後の日本がこのコンセンサスを放擲し、アジアにおける共産主義イデオロギーの波及とい う問題に対し無責任な態度をとり続けた事にある、と言うことです。
 だから、植田さんの太田さんに対する追従の中で述べられた「”戦後の“日本がアジアにおけるデモクラシーの旗手となった」等は太田さんの言説をまったくの誤解に基づいて曲解しておりますし、太田さんの言説に対する文書として意味不明です。
 こんな感じ?
 「たった一人の反乱」的な答え、他に有る奴だしぃや。
<δΦδΦ>(同上)
≫こんな感じで、彼、他人のあらゆる言説を誤解、曲解してゴミのように吐き散らしてるんだろね。≪(コラム#4579。太田)
 太田さんが言うところの、日本は戦前も戦後も民主主義だったし敗戦により「旗手」はやめてしまった、という言を、見事に自分の都合のいいように誤解、曲解していると思う。
 結局戦前の日本が民主主義であるはずもなく戦後も厳密に言えば民主主義とは言えない、いわんや日本がアジアの「自由民主主義化」の旗手などであるはずがないって言ってるんだよ。
 例のインタビューを読めば分かるけど律令理性が原因だってね。
 律令理性と自然理性という単純二元論で「すべて」のことは解明できると言わんばかりでさ。
 律令理性論というご自分の「宗教」のために太田さんの言動のうち自分に都合のいいものを選んで、自分の理論の「正しさ」を自分(の中だけ)で再確認したいだけなんじゃないかな、この方は・・・。
 違う見方で言うと、正しい物事の道理を見つけたと思いこんで、そこで思考停止をしちゃったんだよ。
 あ、氏の見解そのものへの批判をしちゃってるな。
 しかし今時デカルトやヘーゲルやハイデッガーなりの言ったことをこれだけ一字一句そのまま受け入れてる人って、珍しいと思う。
<太田>
 17世紀以来とだえていた日本と英国の国交が、幕末において、(その実質は英露戦争であったところの)クリミア戦争を契機として英国側のイニシアティブで再開され(コラム#4560(未公開))、その後日本は、私の言うところの横井小楠コンセンサスの成立(コラム#1609、1610、1613)を経て、五箇条のご誓文(コラム#1608、2973、2983、2998、3001、3666、3742、3903、4170)に体現されているような、英国流の自由民主主義を追求する近代国家として再スタートを切ります。
 この東アジアにおける自由民主主義の旗手たる近代日本にとって、その最大の仮想敵国が最初から専制国家ロシアであったこと(コラム#4500)は当然です。
 日本は、日英同盟の下、議会開設国として日露戦争を議会非開設国たるロシア・・議会ができたのは1906年
http://en.wikipedia.org/wiki/Duma
・・と戦い、これに勝利しました。
 そして、日本は大正時代に名実ともに自由民主主義国になります。(女性参政権だけは実現されていませんでしたが・・。)
 他方、ロシアは、その後、一党独裁制で強力な間接侵略性を持つ赤露になったところ、日本は、引き続き、東アジアにおいて、このようなロシアと対峙する安全保障政策を一貫して推進して行くのですが、その日本を背後から襲い、日本帝国を瓦解させたのが米国であり、不幸なことにこの米国の逸脱行動を手引きしたのが、欧州における目前の敵たるナチスドイツに目を奪われた英国であったわけです。
→以上のやりとりが、余計な部分を切り落とした形で、植田さんのサイトに投稿されていますよ。(太田)
<δδΦΦ>(同上)
>例のインタビューを読めば分かるけど律令理性が原因だってね。<(δΦδΦ)
 あの「インタビュー」は謎だな。
 天皇「崇拝」の根源は先祖崇拝だとかなんとかいうくだりが特に。
 あと、日本の「律令システム」が何か特殊なもののように言っていたが、それを主張するのなら他文明の「法」システム(立法・行政・司法)との比較が必要不可欠だろ。
 でもこれって膨大な歴史・行政史研究と、法(学)知識と、他文明理解が必要だと思う。
 太田さんでも無理だろwww。
 この人の「律令理性」って何を言っているのか分からなかったが、「統治(法)の正当性(権威)を天皇に求めること」と理解すれば、主張の意味は何となく分かる。
 要するにこの人は、共和主義者なんだな
 「自然理性」とやらは、太田さんが言う「カトリシズム」に近いのかな?
<δΦδΦ>(同上)
 この自然理性というのは自然科学という意味に近いと思う。
 ようは近代合理主義ってことで。
 ”日本独特の不合理主義 VS 「西洋」の合理主義”という単純二元論なわけだ。
>でもこれって膨大な歴史・行政史研究と、法(学)知識と、他文明理解が必要だと思う
 その辺の努力が見当たらないどころか、すっぽり抜け落ちてるっぽいよね。
<太田>
 それでは、記事の紹介です。
 まずは、リビア革命関連から。
 
 <カダフィ体制側の「反撃」が行われている。↓>
 Thousands of mercenary and other forces struck back at a tightening circle of rebellions around the capital, Tripoli, on Thursday・・・
 <トリポリのすぐ西のザウィヤではかくのごとし。↓>
 The bloodiest fighting centered on Zawiya, a gateway city to the capital, just 30 miles west of Tripoli. Early Thursday, Colonel Qaddafi’s forces arrived and unleashed an assault using automatic weapons and an anti-aircraft gun on a mosque occupied by rebels armed with hunting rifles, ・・・the battle lasted four hours and had killed at least 100. ・・・
 <カダフィは三度目のTV出演。(ただし、電話を通して声だけ。)ザウィヤのことが気になって仕方ない様子。↓>
 Colonel Qaddafi, speaking in an impassioned 30-minute phone call to a Libyan television station, appeared particularly incensed by the revolt in Zawiya, close as it was to the capital, and addressed the citizens there directly. ・・・
 Qaddafi loyalists also attacked in Misurata, where opponents of the government had claimed control Wednesday. Using rocket-propelled grenades and mortars, they struck at rebels guarding the airport, who seized an anti-aircraft gun used by the militias and turned it against them,・・・
 <だけど、首都トリポリの四囲の市は次々に反体制派の手に落ちている。↓>
 Fighting intensified in other cities near Tripoli as well — Misurata, 130 miles to the east, and Sabratha, about 50 miles west. Zuara, 75 miles west of the capital, had fallen to anti-government militias, other reports said.
http://www.nytimes.com/2011/02/25/world/africa/25libya.html?_r=1&hp=&pagewanted=print
 ・・・Anti-Gaddafi forces were also reported to have taken over Zuwara, further west towards the Tunisian border, after army units sided with them and police fled.・・・
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/24/muammar-gaddafi-libya-offensive
 <また、リビアの海岸線は、東部を中心に少なくとも半分は反体制派の手中にある。↓>
 To the east, at least half of the nation’s 1,000-mile Mediterranean coast, up to the port of Ra’s Lanuf, appeared to have fallen to opposition forces・・・
http://www.nytimes.com/2011/02/25/world/africa/25libya.html?_r=1&hp=&pagewanted=print 前掲
 <海岸線における体制派と反体制派の東西「境界」で体制派が攻撃をかけたがはねかえされた。↓>
 Fierce gun battles were reported as loyalist forces attacked rebels holding Misurata, Libya’s third-largest city, about 125 miles east of Tripoli. The loyalists assaulted a small airport outside the city but were repelled by rebels who seized an antiaircraft gun and turned it against the attackers, news agencies said. Mutinous air force personnel then joined rebels in overrunning a nearby military air base, where they disabled fighter jets to prevent them from being used against the uprising・・・.
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/02/24/AR2011022402884_pf.html 前掲
 <第二の都市たる東部のベンガジ付近の油田攻撃を命ぜられた空軍のパイロットが後席のパイロットが銃を首筋につきつけていたのに、座席を(後部座席とともに)射出させて、搭乗ジェット戦闘機を墜落させたんだって。↓>
 ・・・the father of a defecting air force pilot wept with pride as he explained the exploits of his son, who had been sent to bomb three oilfields near Benghazi. The father’s account confirms those reported by workers at the Bregga oilfield of two men parachuting to earth and a jet fighter crashing nearby.
“My son was ordered to take off by a man with a gun pointing at his back. He said no and pulled the lever to eject them both. He is a hero. Even if he died I would still be proud. He refused to kill the people.”・・・
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/24/libya-benghazi-muammar-gaddafi
 次は、バーレーン情勢だ。政治犯300人が解放されたが、彼らがアジって反体制派は更にボルテージが高まってるようだ。↓
 At least 300 people were freed early Wednesday from Bahrain’s jails, but rather than calming the waters, the releases could very well intensify the nation’s already charged atmosphere.・・・
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-bahrain-prisoner-release-20110224,0,3261774,print.story
 私のコラム#4579での指摘は、当たらずと雖も遠からずか。↓
 「・・・ビルの居室部分は倒壊したが、エレベーターシャフトがあるとみられるコア部分は残っている。コアの耐震壁で水平力を負担し、柱は鉛直荷重しか持たせないという設計思想に基づく構造だったようだ。こうした構造では、コアと居室部分をつなぐスラブが接合部となるので、しっかりとつくっておかないと弱点となる。また、現地から送られてきた映像を見る限り、梁はしっかりしているが、柱は細い。柱に曲げ強度がないので、いったん傾くと、ピー・デルタ効果が働いて、崩壊に至ってしまう。・・・
 なおピー・デルタ効果とは、建物が変形すると自重の影響が加わり、変形がより大きくなる現象。」
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20110223/545973/
————————————————–
太田述正コラム#4582(2011.2.25)
<ジョージ・サンソムの過ち(その1)>
→非公開