太田述正コラム#0021
切迫する危機に備えていない「有事法制」の欠陥
(月刊誌「選択」2002年3月号の「私のAltキー」欄(108-109頁)に掲載) 
有事法制が、今国会に上程される運びになった。一口に「有事」と言うが、その全体像を報道などからまとめると、想定される有事はおおむね次頁の表の通り四つ?日本有事の「武力攻撃事態」、「大量破壊兵器攻撃事態」、「武器攻撃事態」、そして「海外有事」である。この順序は、起こる可能性が低いと私が考える事態から高い事態へと並べたものだ。
「武力攻撃事態」がありえないというのはいささか常識に反するかもしれない。しかし旧ソ連の「脅威」が最高潮に達した冷戦期でさえ、米国の前方展開兵力や米本土待機兵力に自衛隊を合算すれば、旧ソ連は北東アジアでは兵力的に劣位にあり、その劣位を押して、(そもそも困難な)渡洋侵攻を日本に敢行することなど到底不可能だった。ソ連が崩壊した今、日本は米本土並みに「安全」になったと言っても過言ではない。
他方、「大量破壊兵器攻撃事態」は起こりうる。核ミサイル時代に入ってからは、旧ソ連(と中国)の核ミサイルは日本にも照準を合わせおり、誤算などに基づく核ミサイルの発射も理論上ありえたからだ。現在でも中国の核ミサイルには警戒が必要だし、これに加えて北朝鮮の核ミサイル疑惑がある。
次の「武器攻撃事態」が既に起き、今後とも起こりうることについては誰も異論があるまい。日本は、かねてから北朝鮮の武装工作船などの侵攻に継続的にさらされてきたところだし、現在、日本もイスラム過激派のテロ攻撃の標的にされている可能性が高い。
最後に「海外有事」。冷戦時代やポスト冷戦期を通じて、武力紛争などは世界中で絶えることなく続いている。そのうち日本の安全に直接かかわることになった代表例が朝鮮戦争、湾岸戦争、それに昨年来の対国際テロ戦争だが、日本の経済大国化に伴い、日本は自らの安全に直接かかわるものはもとより、世界のあらゆる武力紛争などの解決に積極的な関与を求められるようになっている。

以上から言えるのは、冷戦期であれ、ポスト冷戦期の現在であれ、日本が有事法制を整備するとしたら、一番起こりやすい事態であり、従って法制整備の必要性が高い「海外有事」に関するものから始め、次に「日本有事」、なかでも「武器攻撃事態」、「大量破壊兵器攻撃事態」、「武力攻撃事態」の順に整備していくのが筋だということだ。
ところが、表を見れば分かるように、1980年代前半に実施された研究の場合と同様、今回の法制化にあたっても、政府は最も優先度の低いところから有事法制に取り組もうとしている。
さて、米国の立場から日本の有事法制問題を見てみよう。
日本が武力攻撃を受ける事態を米国が想定していないことは、78年に「日米防衛協力のための指針」ができるまで、日米安保を具体化する日米防衛協力のスキームがなかったことが(逆説的に)物語っている。米国からすれば、日本は米軍が出撃する安全な拠点であって、守るべき対象ではなかったということだ。
ではなぜ「指針」ができたのか。それは米国が、無視できないほど大きくなってきた自衛隊を、「海外」での米軍のオペレーションに協力させたいと考え始めたからだ。それ以降の80年の日本のリムパック演習参加、87年の国際緊急援助隊法成立、91年湾岸戦争終結後の掃海部隊ペルシャ湾派遣、92年の国際平和協力法(PKO法)成立、99年の周辺事態安全確保法成立・・・という歴史を見れば、日本がいかに憲法(解釈)上の制約を口実に米国の要請に正面から向き合うことを回避し、小出しで時期遅れの対応を繰り返してきたかがよく分かる。
また、99年3月の北朝鮮不審船事件は、米国からの通報が海上自衛隊艦艇などによる大追跡劇の端緒となったことは公然の秘密だ。これはかねてから「武器攻撃事態」に対する日本の無関心ぶりを心配していた米国が、既に世界各地で米軍や米国大使館にイスラム過激派のテロ攻撃を受けていたこともあり、危機感を募らせて日本に警告を発したと受け止めるべきだろう。
そして、85年に米国が対弾道ミサイル防衛構想(スターウォーズ構想)を唱え、日本などに協力を要請したのは、「大量破壊兵器攻撃事態」に関し日本に注意を喚起する意味もあった。現在、日本はこの構想の延長線上にあるミサイル防衛(MD)構想の実現に向けた研究に「慎重に」協力しているものの、民間防衛についてはいまだ手つかずである。
こうして見てくると、米国もおおむね海外有事、武器攻撃事態、大量破壊兵器攻撃事態、武力攻撃事態の優先順位で(有事法制を含めた)日本政府の対応を期待してきたことは明らかだ。

米国の忍耐がそろそろ限界に近づいている証拠が、リチャード・アーミテージ氏(現国務副長官)らが日本に集団的自衛権の行使を求めた2000年10月の報告書だ。そこへ昨年9月、同時多発テロが勃発した。あわてた政府は、対米配慮から急遽、テロ対策特別措置法を成立させ、時限立法ではあるが、周辺事態安全確保法の諸規定を一歩進めるともに、「平時」法たるテロ対策特別措置法の下で、インド洋に自衛艦を派遣し、運用実態面で事実上集団的自衛権の行使に踏み込ませるというアクロバット的対応を行った。
北朝鮮のミサイルの日本列島越し発射や度重なる不審船事件の発生、そして昨年の同時多発テロなどで国民の意識も大きく変わりつつある。米国のイラク攻撃が目前に迫っている今、政府が行うべきことは、埃をかぶった80年代前半の有事法制の研究成果を引っ張り出してきて国会に上程し、またもや問題の先送りを図ることではない。「海外有事」への取り組み、すなわち憲法問題への取り組みこそ日本の有事法制の最大の課題であることを国民に率直に訴えるとともに、武器攻撃事態に関し、必要最小限の有事法制を応急整備することだろう。


                       
(注)?@「武力攻撃事態」とは、日本が着上陸侵攻を受け、防衛出動命令が出されるような事態を指す。「大量破壊兵器攻撃事態」とは、核や生物化学兵器がミサイルで日本に打ち込まれるような事態を指す。「武器攻撃事態」とは私の造語であり、日本が(武力攻撃には至らないが)武器を携えた海外分子によって侵攻され、警察や海上保安庁では対処しきれない事態を指す。具体的には、昨年の同時多発テロや、北朝鮮による武装工作船の侵入。
?A1、2は80年代前半に実施された有事法制研究の対象。国内や周辺諸国で議論を呼ばないよう、憲法問題や米軍との共同対処は考えないことにし、着上陸してきた相手に対し、国内から一歩も出ずに自衛隊が単独で戦うという非現実的なシナリオの範囲に限定された。1は有事における自衛隊(防衛庁)の活動に関する法制で、そのうち、防衛庁所管法制は第一分類(自衛隊による土地の利用、物資の収用に関すること等)、防衛庁以外の省庁所管法制は第二分類(自衛隊への特例措置)。2は有事における(防衛庁以外の)日本政府の活動に関する法制で、第三分類(住民保護、電波統制、捕虜に関すること等)と呼ばれてきた。1と2は研究成果が得られているが、3は研究が進んでいない。
?B今後は、日本有事(狭義)に関し、「自衛隊の行動の円滑化」「米軍の行動の円滑化」「国民の安全確保・生活の維持」「国際人道法の遵守」という分類に従って有事法制の整備が図られるという。今国会に提出される有事法制は1(基本的に80年代前半に実施された研究の成果に限定)及び3( 部分)、次国会以降での提出をめざす有事法制は2及び4?6ということになろうか。ちなみに、3は対米配慮から急遽付け加えられたと聞く。武器攻撃事態については、有事法制の整備とは切り離して法制整備が検討されるという。海外有事の取り扱いは不明。 

<お断り>
1 表は、テキストファイルしか掲載できない関係上、忠実な再現ができていません。
2 前回の#20中の文章の訂正をお願いします。
・「外国のメデイアは、次の六つ。」を「外国のメディアは、次の七つ。」に改める。
・「英BBC:世界の出来事を網羅的かつ簡潔に、そして偏見なく紹介しています。」と「米スレート(メルマガ):米国のホンネが分かります。ポスト、タイムズだけが米国・・・」の間に、「英ファイナンシャルタイムズ:ウォールストリートジャーナルやわが日経が霞む、質量ともに世界一の経済紙です。」を入れる。