太田述正コラム#0028(2002年4月14日)
<日本の閉塞状況について(その2)>

4 不祥事まみれの現在の日本

 もう私の言いたいことはお分かりでしょう。吉田ドクトリンを墨守した、つまりは安全保障を疎かにした結果、日本のリーダーは払底し、政官界は不祥事まみれとなった。これが地方自治体や企業にも波及し、日本の現在の閉塞状況がもたらされた、ということです。
 このことを具体的な事例を通じて見て行きましょう。

 (1)政治
最近の不祥事暴露合戦等をとらえて、劇場型政治と言う人がいますが、日本の戦後政治は一貫して劇場型政治であったと思います。劇というのは、役者が演技をして舞台上で自分とは別の人格に成りきるわけですが、日本の戦後政治は、ホンネでは安全保障問題など眼中にないくせに、タテマエ上は安全保障問題を重視するふりをして国会での論争にあけくれてきたのですから・・。これが55年体制であり、自社なれあい体制の本質です。言うまでもなく、自民党が親米・改憲、社会党が反米・護憲の役割を分担して来たわけです。この55年体制の自民党内での現れがYKKであると私は考えます。YKKは、親米・改憲の山崎拓さん、反米・護憲の加藤紘一さん、そして安保外交に関心のない、いわばホンネむき出しの小泉純一郎さん、という世にも珍妙な野合仲良しクラブです。山崎、加藤御両名もホンネは小泉さんと同じだとお見受けするのですがね。
保守本流とは、自民党の改憲勢力と社会党等の護憲勢力を操ること等によって、権力の維持を図る、権力の維持を至上命題とする自民党の護憲グループのことだと考えてください。
以上を前提に、最近の話題の人々を交えて55年体制を一表にすると以下の通りです。

保守本流
  加藤紘一(K):「本流ハト」宮沢喜一←池田勇人←吉田茂
橋本龍太郎・額賀福士郎:「本流ハト」←田中角栄←佐藤栄作←吉田茂
鈴木宗男:「本流タカ」←同上
田中真紀子:「本流ハト」←同上
改憲派
森喜郎:「傍流タカ」←福田赳夫←岸信介・・・小泉(K)
村上正邦:「傍流タカ」←中曽根康弘
山崎拓(Y):「傍流タカ」←河野一郎
護憲派
社会党(社民党)、55年体制の片割れ、権力の維持ならぬ議員の職の維持を至上命題とする。
(土井たか子・辻本清美:はこの「傍流ハト」のなれの果て)

 (注)民主党は、党内に保守本流、改憲派、護憲派を三つとも抱える、文字通りの55年体制政党です。

 (2)ケーススタディー??・・加藤紘一
  私は、拙著「防衛庁再生宣言」(2001年6月)の中で次のように書きました。
「昨年、自民党内で「反乱」を試み、一転悲劇(喜劇?)の人となった加藤紘一氏こそ、宮澤氏の愛弟子であり、保守本流のなれの果てを象徴する人物である。評論家の屋山太郎氏は、「加藤さんの周囲から聞こえてくるのは鉄鋼加工メーカー『共和』から金が流れたという話や北朝鮮のコメの利権に絡んでいるといった利権の話ばかり。あるいは山形県内の建設業を仕切って、"山形の金丸信"と呼ばれているとかね。要するに加藤紘一は斡旋利得を政治と心得ている。少なくともそれを保守本流だと思い込んでいる」と言っているが、このことは、山形県を管内に抱える仙台防衛施設局の局長であった私が、職務上実感したことだ。
 この加藤氏が、防衛庁長官として初入閣した1984年(すでに宏池会のプリンスと言われていたが)、年末の防衛庁キャリアの会に出席して次のように挨拶した。「防衛庁長官にという話がきたとき、なんで自分が防衛庁長官なんぞにならなきゃいかんのかとがっかりした。しかし、ヨーロッパでは、国防大臣になるのは一流政治家への登竜門だ。とすれば、防衛庁長官を経験することも、悪くないかもしれないと思い直した。それにしても、皆さんは、よくもまあこんなところで一生勤めておられますね」と。
 このような志の低さ、政治の矮小化(=ハイポリティックスの放棄)が、政治家をして利益誘導・斡旋利得に勤しませ、政権政党たる自民党を中心とした政治の構造的腐敗をもたらしたのである。このことこそが、自民党と結びついた既得権益グループを通じて日本の社会全体を腐食させ、現在の日本の長期にわたる閉塞状況をもたらしているといえよう。
 牛は8000年前に家畜化されたが、その結果、防衛本能が低下し、脳のシワが少なくなり、また一年中発情するようになったという。安全保障に関心を持たず、カネまみれになっている自民党の政治家たちを見ていると、彼らがみんな牛に見えてくる。
 昨年の「加藤の乱」は、加藤派対(森総理をバックアップする)橋本派という保守本流同士のコップの中の争いに他ならず、究極の茶番劇であったと言うべきであろう。」(前掲書PP47-48)

 この加藤紘一氏が、秘書で加藤氏の事務所代表を務める佐藤三郎氏が建設業者から「口利き料」などを受け取り、加藤氏の政治資金や自分の個人所得に充当していた問題に司直の手が入り、これに関連して加藤氏自身の公私混同の不祥事が明らかになり、先般議員辞職に追い込まれ、政治生命が絶たれました。
 それにしても長くかかったものです。
 昨年の「正論」(産経新聞社)二月号での屋山太郎氏による厳しい指摘や、私自身による拙著での指摘のほか、本年1月15日の朝日新聞のサイトでとりあげられた「佐藤・・秘書が・・<「口利き料」などを>・・受け取っていたといううわさがあったことは聞いている」という山形県の高橋知事の発言(http://www.asahi.com/politics/update/0115/004.html)等からすれば、少なくとも昨年の初めから、日本中で加藤氏をめぐる疑惑を知らない人がいない状況だったにもかかわらず、今回司直の手が入るまで、ジャーナリズムも野党も全くこの問題を追及することなく放置してきたわけです。さなきだに不祥事に甘い世論が、「ハト派」に対しては更に甘くなるという典型例がここに見られます。

(3)官僚機構
外務省
   拙著をお読みになれば、日本は文字通りの米国の保護国であることがお分かりになることと思います。保護国であるということは、日本に外交自主権などなきに等しいということを意味します。だから、日本には外務省という名前の役所はあっても、外交ならぬ、対米連絡事務所的業務ないし社交パーティー業務があるだけであり、外相ポストも外務省そのものも鴻毛のように軽い存在なのです。だからこそ、田中真紀子さんのような人物を外相にすえられるのです。鈴木宗男事案等を通じて白日の下に晒された外務省の底知れぬ堕落、惨状は、そういう、本来業務をやらせてもらえないという環境の下、防衛庁と同様、組織が生活互助会化したところにもってきて、外務省キャリアの鼻持ちのならないエリート意識があり、もたらされたものであると私は見ています。
   外務官僚についてのケーススタディについては、やはり拙著で岡崎久彦氏を批判した箇所をお読み下さい。質疑応答の際、時間があれば、拙著で書いたことを若干敷衍したいと思っております。

防衛庁
 防衛庁における生活互助会化のあきれ果てた実態についても拙著に譲ります。拙著の読者の中には、防衛庁、とりわけその中枢たる内局がひどいひどいと太田は言うが、民間企業ではありふれた話だ、大したひどさではないという読後感をお持ちになる方もおられるかもしれません。しかし、そのような民間企業はつぶれるだけですが、防衛庁はつぶれることはありません。しかもそんな防衛庁が実質世界第二位の軍事費を運用し、国の存立に関わる業務を行っていくことをどうお考えになるかです。
  
 (4)ケーススタディ??・・秋山昌廣

 本日は、防衛庁にまつわるつい最近明るみに出たお話をしようと思います。98年に調達実施本部不祥事のハンドリングミスをとがめられて防衛事務次官を辞職に追い込まれた秋山昌廣氏についてです。
 ちなみに、加藤紘一氏も秋山昌廣氏も私の高校、大学の先輩です。大学は学部も同じです。加藤氏に至っては、中学の先輩でもあります。いささか私の追及が厳しすぎると思われるかも知れませんが、私がお二人の後輩であるということで御宥恕いただければ幸いです。
 本日お集まりの皆さんは、台湾問題についてご関心のある方が多いと思いますが、秋山さんの話は台湾と関わりがあるので取り上げたという意味もあります。

 台湾で李登輝政権当時の90年に、予算の剰余金を流用して密かにつくられた1億ドルにのぼる機密費の存在が台湾や香港のメディアにリークされ、大騒ぎになっています。
 台湾政府の国家安全局は、この機密費から得られる利子をスパイ活動や対外工作に使ってきたと報じられています。
 台湾政府は、内容を報道しようとした台湾の雑誌社の壹週刊と新聞社の中国時報を家宅捜査し、出版を差し止めました。しかし、香港の新聞社の星島日報は中身に渡る報道を行い、その結果、台湾の対中国本土スパイ網の存続が危機に瀕していると言われています(http://newssearch.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_1887000/1887708.stm
http://newssearch.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_1892000/1892690.stm
http://newssearch.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_1893000/1893971.stm)。

 日本のかつての植民地だった隣国(あえて「国」と言わせてもらいます)のこのようなビッグ・ニュースを日本のメディアがほとんど伝えていないのは理解に苦しみますが、その中で毎日が見過ごすことのできない記事を報じました。

「台湾の情報機関、国家安全(国安)局の機密費疑惑で、25日付の香港紙「星島日報」は、・・同紙が入手した・・99年12月15日付の文書によると、・・97年9月に決まった日米防衛新指針(ガイドライン)で重要な役割を果たしたとして、当時の防衛事務次官を米ハーバード大学に留学させ、学者として台湾に協力させる計画も記載。機密費から10万ドル(約1300万円)を米国の別団体にいったん振り込むなどして支援が表面化しないことを確認している。元次官は98年11月、防衛庁調達実施本部の背任事件に絡む証拠隠滅疑惑で依願退職していた。橋本政権下で決まった日米防衛新指針では、日米が協力する「周辺事態」に台湾を含むかどうかで論議を呼んだ。日本政府は地理的な特定はしなかったが、当時の李総統は新指針を評価する発言をしている。」(2002年3月25日23時32分)(http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20020326k0000m030159000c.html
 これだけではニュースソースが一つだけで、しかも計画に終わったのか、その計画が実施に移されたのか判然としませんが、英国の4月4日付のガーディアン紙は、クロスチェックをした上で次のような記事を報じました。
 「香港の星島日報が報じた文書によれば、2000年初頭に、現在東アジア太平洋担当の国務次官補であるジェームス・ケリー氏に10万ドルが支払われたが、これは、契約をめぐる不祥事で1998年10月に防衛事務次官を辞任させられた秋山昌廣氏を二年間ハーバード大学で過ごさせるためのものであったという。
 当時、ケリー氏は、ワシントンの戦略・国際問題研究センター(CSIS)の関係団体であるホノルルの太平洋フォーラムの会長をやっていた。CSISの副会長で広報担当のジェイ・C・ファーラー氏は、秋山氏のfellowship(客員研究員学費)目的で、ペン氏から、ペン氏の台湾 Transport Machinery Corp.を通じて、1999年と2000年に5万ドルずつ受け取ったことを昨日認めた。
 ファーラー氏は、太平洋フォーラムが、秋山氏の客員研究員学費として約4万ドルの小切手をハーバード大学に送ったと語った。同氏は、ペン氏が<(秋山氏の?)>一般的支援のため、太平洋フォーラムに5万ドル渡したとも語った。
 国務省のスポークスマンは、ケリー氏が本件についてコメントすることを拒否していると語った。秋山氏は、彼の学費が台湾によって支払われたことを否定しているが、日本と米国によって開発されているミサイル防衛システムへの台湾の加入について研究を行った。」(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A63444-2002Apr4.html

  仮にこれらの記事が事実だとすると、ことは重大です。
 第一に、記事の中でも言及されているように、当時秋山氏は「防衛庁調達実施本部の背任事件に絡む証拠隠滅疑惑で依願退職し」たばかりであり、本来、謹慎しておられなければならないところ、自分のカネならぬ、他人の、しかも素性の定かでないカネで「遊学」されたこと自体が問題です。
 第二に、このカネが「日米防衛新指針(ガイドライン)で重要な役割を果たした」ことへの謝礼の意味があったことが問題です。秋山氏本人は否定されるでしょうし、私個人としても、そんなことはありえないと断言したいところですが、カネを受け取った以上は、カネで国策を売ったというそしりを受けても仕方がないでしょう。
 第三に、「学者として台湾に協力させ」られたことも問題です。ガーディアン紙が報じるハーバードにおける研究もまさに台湾寄りの内容であったであろうことが研究テーマからしても明らかですが、このほか、私のかすかな記憶だけでも、秋山氏のハーバード在籍中、北京寄りのクリントン政権の台湾政策を批判する内容の同氏の投稿記事が朝日新聞に掲載されています。どこの国の前国防省次官であっても、世界ではその発言は重く受け止められますが、経済大国日本の前国防省次官ともなればなおさらです。(前防衛事務次官であれ誰であれ、元防衛庁幹部の発言など省みられない日本国内が異常なのです。)百歩譲って、秋山氏が本当に持論を展開されただけだったとしても、カネをもらっている国の利益になるような研究や発言は慎むべきでした。
 
 秋山氏は現在、笹山系の財団に籍を置いておられますし、更に学習院大学の先生にもご就任になったと聞きます。その秋山氏には、滞米中に元大阪証券取引所副理事長(大蔵OBで告発されている)から勤務実体がないのに顧問料として900万円を受け取っていたとして、大証から返還を求められているという日本の新聞報道もあると言います。もっともこれは、友人から聞いた話で私自身が直接記事をチェックしたわけではありませんが・・。秋山氏は、台湾の中国時報やガーディアンに対し、台湾からカネを出してもらったことを否定されておられるようですが、現職に就かれた経緯も含め、これら事案について、是非とも日本の国民向けに事実を明らかにしていただきたいものです。これが中国による台湾政府の権威失墜をねらった国際陰謀、又は台湾内の反台湾独立派による李登輝氏や民進党等の台湾独立派の権威失墜をねらった国際陰謀であり、秋山氏の潔白が証明されることを私は願っています。

 とまれ、日本のメディアは、毎日に記事が一回出ただけで、私自身がフォローしている範囲では、台湾秘密資金と秋山氏との関係について全く後追い報道をしていません。劇場型政治の大根役者達を連日連夜追っかけ回す暇があったら、このような事案こそ取り上げて欲しいものです。
 もっと問題なのは、政治家達です。日本の安全保障に関わる重大事案にこれまでのところ何ら関心を示していないことは、彼らの中にステーツマンがいないことを如実に物語っています。

5 終わりに
 
 私は小学校1年から5年にかけてエジプトのカイロで過ごしました。ご存じのように、エジプトでは輝かしい古代文明が栄えました。そのエジプトが植民地になるのは、さかのぼればギリシャ系のプトレマイオス王朝が成立した紀元前です。その後、ローマ、更にはアラブによる征服があり、やがてトルコの支配を受け、そしてイギリスの保護領となり、第二次世界大戦後ようやく完全な独立国になります。
 そういう意味では、エジプトは植民地歴の最も長い国、いわば筋金入りの植民地であったと言えるかも知れません。
 植民地であるとは、その国ないし地域の原住民自身の手で、その国にとって最も重大なことを決めることができないということです。そのような環境においては、エリートから志や自律心(行人偏の「りつ」です)が失われてしまいます。そして、このようなエリートの堕落は、国民全体を堕落させてしまうのです。一旦国民全体が堕落してしまうと、「独立」しても容易にこれを改めることはできません。
 なつかしい国の悪口を余り言いたくないのですが、家のメイドやサーバント等のエジプト原住民の行動様式、・・具体的には、これも時間があれば、質疑応答の際、ご説明します・・それと日本人等のそれとを比べて、そのあまりの違いに子供ながらに衝撃を受け、日本に帰ってきてから、長年わたって記憶を反芻しながら出したのがこの結論です。

しかし、悲しいかな、日本は次第にエジプトに似通ってきてしまいました。
 私は、日本もまた、植民地シンドロームに犯されていると見ているのです。これをもたらした元凶が吉田ドクトリンなのです。
(注釈的に申し上げますが、吉田ドクトリンの世界史上の特異性は、それが、政府の自由意志によって選択された「当分の間の」保護国化戦略であり、それが結果として長期化したところにあります。歴史上、自由意志によって他国に吸収されたり、また、他国に無理矢理征服され、その状態が長期化したりするケースはめずらしくありませんが、戦後の日本のような変わったケースは初めてではないでしょうか。)

 周りを見渡してみると、お隣の中国がつい最近まで、そして私の見るところ今でも、依然として植民地シンドロームに呻吟しています。ご存じのように、蒙古のくびきを脱して14世紀に明が成立したのもつかの間、17世紀には漢民族は女真族、清の植民地となり、清末の19世紀末からは欧米、ロシア、日本の半植民地状態となった結果、中国は買弁的人物、或いは魯迅の言うところの阿Q的人物が跋扈する世界になってしまいました。
 私が家族ぐるみのお付き合いをしたある中国人の行動様式を、質疑応答の際に時間があればご紹介しましょう。
 朝鮮半島もまた、植民地シンドロームに犯されている地域です。朝鮮の歴代王朝は中国を中心とする華夷秩序の下、中国の冊封(さくほう)を受け、中国の歴代王朝に臣従してきたのですが、李氏朝鮮(・・文部省の今年の教科書検定方針によれば、「朝鮮」の前に「李氏」をつけてはならないそうですが、古代の「朝鮮」である「箕氏朝鮮」と区別することもさることながら、地域呼称としての「朝鮮」と国号たる「朝鮮」の混同を避けるためにも、「李氏朝鮮」と呼んだ方が私はよいと思います・・)は1637年に清と戦って破れ、文字通り清の保護国化してしまいます。
 元来は朝鮮独立論者であった伊藤博文は、自ら志願して朝鮮統監となった1907年、統監府の幹部達の前で次のように語りました。「・・韓人は、今日に至っても尚、外交権を回復するだけの実力を養う努力をしようと<していない>、・・けれども、どんな国にせよ、他国のために、自国の財力と国民の生命を犠牲に供するものはない。・・およそ国家は、自ら、独立する要素がなくて、単に、他国に倚りかかっているだけで、立っていけるものではない。今日のままで進むとすれば、韓国を亡ぼすものは、他国ではなく、韓国自身ではなかろうか。・・」(朝鮮総督府「朝鮮の保護及び併合」より。勝岡寛次「韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する??歪曲された対日関係史??」(小学館文庫2001年8月。PP98-100)より孫引き)
 この中の「韓国」を「日本」に変えれば、そのまま現在の日本の批判になるのではないでしょうか。
申すまでもなく、伊藤の自己実現的予言は的中し、清の保護国、そして伊藤の晩年における日本の保護国の期間を経て、韓国はついに覚醒することなく、日本に併合される形で自ら国を亡ぼすに至るわけです。

  いわゆる「先進国」がポスト帝国主義、ポストネーションステート時代を迎えつつある現在、幸か不幸か日本が他国に併合される形で亡国に至るはずがありませんし、いまだに帝国主義、ネーションステート時代の真っ只中にある中国や朝鮮半島の二ヶ国、そして半(半分の半です)国家である台湾を隣国として持つ日本に、EUのような国家連合を形成してネーションステートをアウフヘーベンして行く贅沢もまた許されません。このままでは、日本には、ただただ経済衰退と人口減少の形で立ち枯れていく将来が待っているだけでしょう。(このポスト冷戦期の世界観については、イギリスのブレア首相の知恵袋である外交官、ロバート・クーパーに関するイギリスオブザーバー紙の4月7日付の記事
http://www.observer.co.uk/worldview/story/0.11581.680095.00.html)を参照。クーパーは、ポスト冷戦期の国家群を、??ポストネーションステート群、??帝国主義・ネーションステート群、??フェイルドステート群、の三つに分け、ポストネーションステートたるイギリスや日本は、??、??、??に属する国とは、それぞれ異なった関係を取り結ぶべきであると主張しています。)
 本日の話はイギリスのリーダー像から始めましたが、日本にもイギリスばりのリーダー達が輩出した時代がありました。その一つが幕末・明治維新期です。この頃の日本をリ??ドしたのが、古典的教養のほか、兵学と武道を身につけ、高い倫理感と安全保障感覚を持った武士階級出身者でした。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の戦間期においても、現在に比べれば、よほどリーダーらしい人が沢山出ています。
 私がお願いしたいことは、皆様が私の話を聞いて、共鳴された部分があれば、それをもっともっと多数の人々、とりわけ若い人々の間に広げて行っていただきたいということです。
 そして、政界再編をなしとげ、吉田ドクトリンを打破しようではありませんか。吉田ドクトリンを打破して日本が自立して初めて日本に再びリーダーらしいリーダーが輩出してくるのです。そして、その新しいリーダー達に日本の閉塞状況からの抜本的脱却の方途を託そうではありませんか。今からでも決して遅くはないのです。

 ご静聴有り難うございました。(終わり)

http://www.atimes.com/atimes/Global_Economy/EF12Dj02.html(ロバート・クーパーの補足)。2003年6月12日

<瀬戸弘幸>(2006.8.22)
シリーズ・加藤紘一研究??
共和・リクルート、巨額脱税事件!
私設秘書と裏社会! 北朝鮮の利権と闇!

 加藤紘一元自民党幹事長のこれまでの政治家としての経歴は華々しいものがあった。最近は各テレビ局に出演しては小泉首相や安倍官房長官に対する批判を強めている。(以降加藤氏の敬称を略します)
 一部ではもう終わった政治家という見解もあるが、それは正しくない。何故ならば、今後の東アジアの情勢を考えれば、加藤紘一が自ら掲げる反米護憲という政治スローガンの下に<左右>の反米勢力が結集する軸として祭り上げられる可能性もあるからだ。
 共産中国は東アジアにおける覇権の交替を米国に迫るだろうが、米国もそう簡単にはこのヘゲモニーの争奪戦から降りることは考えられず、米中対立という将来予想される東アジア情勢の中で、共産中国に祖国を売り渡そうとする政治家の息の根を止めねばならない。
 その意味からこの政治家に対する徹底的な批判、政治的影響力を排除する運動を中央政界は勿論のこと、加藤紘一の地元でもある山形県においても行なわなければならない。
 この加藤紘一とその周辺の闇の部分を徹底的に浮かび上がらせることによって、利権屋という顔を隠したエリートの姿を国民の前に暴き出し、加藤紘一が民主主義の守護者のような扱いを受けることのないように警鐘を鳴らしたい。
 それでは先ず加藤紘一とはどのような人物なのか?その人物評をネットで書いている人がいたので、それを今日は紹介することにしましょう。太田述正という方のHPがある。この太田さんは東大法学部から防衛庁に進んだ異色の経歴の持ち主である。30年間防衛庁に勤務、2001年の参院選挙に民主党から出馬したが落選している。この太田述正氏が2002年4月に書いた記事(コラム#28)の中に次のような文章があった。
 「(2)ケーススタディー・・・加藤紘一 私は、拙著「防衛庁再生宣言」(2001年6月)の中で次のように書きました。「昨年、自民党内で「反乱」を試み、一転悲劇(喜劇?)の人となった加藤紘一氏こそ、宮澤氏の愛弟子であり、保守本流のなれの果てを象徴する人物である。評論家の屋山太郎氏は、「加藤さんの周囲から聞こえてくるのは鉄鋼加工メーカー『共和』から金が流れたという話や北朝鮮のコメの利権に絡んでいるといった利権の話ばかり。あるいは山形県内の建設業を仕切って、"山形の金丸信"と呼ばれているとかね。要するに加藤紘一は斡旋利得を政治と心得ている。少なくともそれを保守本流だと思い込んでいる」と言っているが、このことは、山形県を管内に抱える仙台防衛施設局の局長であった私が、職務上実感したことだ。
 加藤氏が、防衛庁長官として初入閣した1984年(すでに宏池会のプリンスと言われていたが)、年末の防衛庁キャリアの会に出席して次のように挨拶した。「防衛庁長官にという話がきたとき、なんで自分が防衛庁長官なんぞにならなきゃいかんのかとがっかりした。しかし、ヨーロッパでは、国防大臣になるのは一流政治家への登竜門だ。とすれば、防衛庁長官を経験することも、悪くないかもしれないと思い直した。それにしても、皆さんは、よくもまあこんなところで一生勤めておられますね」と。
 このような志の低さ、政治の矮小化(=ハイポリティックスの放棄)が、政治家をして利益誘導・斡旋利得に勤しませ、政権政党たる自民党を中心とした政治の構造的腐敗をもたらしたのである。このことこそが、自民党と結びついた既得権益グループを通じて日本の社会全体を腐食させ、現在の日本の長期にわたる閉塞状況をもたらしているといえよう。」
 この文章を読まれて皆さんはどのように思われたでしょう。まさに加藤紘一という人間性が垣間見れるのではないか。この太田氏は多分このような加藤氏が許せないと思い政治家を志したのかも知れない。