太田述正コラム#0040(2002.6.12)
<日本型経済体制(その1)>

 私の著作の中に「「日本型経済体制」論」があることにお気づきの読者の中には、防衛庁勤務であった私がどうして?と思われた方もおられるかもしれません。
 しかし、考えても見てください。経済や経営の専門家で軍事や安全保障に関する本を書いておられる方は少なくありませんし、かつての経済企画庁関係者の中にも安全保障論をものされた方が何名かおられます。だから、逆に安全保障の分野の人間が経済のことを書いてもいいのではないでしょうか。

 私が日本の経済体制について関心を持ったのは、1971年に防衛庁に入り、国の安全保障にたずさわることになって、一体自衛隊は何を守るのか、について考えざるをえなくなったからです。
日本は、安全保障条約で米国と結ばれている以上、「西側」(・・今となってはなつかしい表現です・・)の一員であることは明白でしたが、日本は、理念を共有しているという意味でも「西側」、すなわち「自由主義陣営」、の一員であると私は考えました。日本が守るべきものは「自由」なのだというわけです。
そこまではごく常識的な話なのですが、私にとっての最大の問題は、それでは、『果たして「西側」諸国の中でユニークな、日本独特の「守るべきもの」があるのか』ということでした。
 私は、子供の時に外国で生活していたこともあって、大方の日本論や日本人論を、必要に迫られ、或いは知的好奇心から読みあさっていました。しかし、この種の話は翻訳するのがむつかしいし、無理矢理翻訳したところで、「日本人は変なやつらだな」と思われるだけのことだ、とかねてからあきたらないものを感じていました。
 そこで、1971年当時、まだ続いていた経済高度成長に目をつけたわけです。高度成長をもたらしているシステム(体制)こそ、日本にとってユニークな、守るべきものであり、かつ普遍性のあるものなのではないのかと。
 (現在の私の考えは違います。当時はそう考えていたということです。)

 このような問題意識を持っていたことと、私が1974年から二年間、人事院の制度で米国のスタンフォード大学のビジネススクールに留学したこととは直接関係はありません。
 しかし、ビジネススクールに行ったおかげで、アングロサクソン的経済体制と日本の経済体制との違いが私の頭の中でより明確になりましたし、そこで出会った「エージェンシー(Agency)」理論は、私にこの日本の経済体制を分析するツールを与えてくれました。

 帰国してから一年半後。雑誌「技術と経済」(1977年12月号)に掲載した拙稿「マネジメント・コントロールの発展」の末尾の部分で、私は次のように書きました。

 ・・わが国においては、いわゆる日本的経営管理の考え方で組織体の運営が行われているとされており、その諸特徴の実証研究(イギリスとの比較研究)はR・P・ドアーの労作に詳しい。しかし、これらの特徴がどうして生じたのか、また特徴相互の関係をどのようにとらえたらよいのかといった理論的解明が十分行われてきたとは言い難い。「理論的」ということは、安易に文化論や風土論に逃げることなく、できるだけ欧米の「普遍的」な概念や方法論を用いて「日本的経営」の核心に接近するということである。別の言い方をすれば、一定の歴史的条件下では、多くの人間社会は同一の文化、同一の行動様式をとると考えて分析すべきであるということである。これはよりマクロ的に「日本的経済社会システム」を取扱うときにも心すべきことであろう。
 従来の非「理論的」な日本人論等においては、ややもすれば欧米と日本の違いが強調されるあまり、外国人に対していたずらに日本は「神秘的」な国だという印象を与え、かえって国際理解を阻害してきた面があるし、日本人に対しても、口あたりのよい現状肯定的イデオロギーを提供してきたという側面を否定できないからである。
 現在日本は低成長の下で、なおかつ真の意味での国際化を図ってゆかねばならないという困難な課題に直面しており、己れの長所と短所を明確に把握しておくためにも、「日本的経済社会システム」の理論的解明が強く要請される。
 現在の日本の経済社会システムの特徴は一言で言って、「エージェンシー関係の重層構造」にあると考えている。・・・(104-105頁)

 それから二年半後、ようやく私は「「日本型経済体制」論 ――「政府介入」と「自由競争」の新しいバランス」を書き上げます。この論考は、「日本の産業5 産業社会と日本人」(筑摩書房1980年6月)に収録され、いくつかの書評でとりあげられ、また、フォーリン・プレス・センターによって英訳され、広く世界に配布されるに至ります。 (続く)