太田述正コラム#4974(2011.9.5)
<日進月歩の人間科学(続X23)>(2011.11.26公開)
1 始めに
 関連する記事とワンセットでコラムにしようと思いつつも、なかなかそんな記事が出現しないので、遅くなり過ぎないうちに、この記事
http://www.nytimes.com/2011/08/21/magazine/do-you-suffer-from-decision-fatigue.html?ref=magazine&pagewanted=print
(8月21日アクセス)
だけをソースとするコラムを書くことにしました。
 優秀で、どう見ても精神に異常をきたしていないあの人が、どうしてこんなできの悪いレポートをつくったのか、どうしてこんなトンデモ判断をしたのか、といった経験は、多くの読者がお持ちのことと思います。
 私も、何度か、同じような目に遭い、怒ったり、呆れ果てたりしたことがあります。
 このコラムを読まれた方は、私が上記記事を読んだ時のように、膝を打って「ああ、そうだったのか」と頷かれるのではないでしょうか。
2 意思決定疲れ(Decision Fatigue)
 「・・・受刑者からの申請を受け、委員会の他の委員からの助言も聴いた上で、裁判官達が仮釈放<の是非>について決定を行ったところの、1年間に及ぶ1,100を超える事例を分析した研究者達が発見したのは、裁判官達は仮釈放の決定を約3分の1行っていたところ、一日を通じて、仮釈放決定率が乱高下していたことだ。
 午前中に出頭した受刑者達の仮釈放決定率は約70%だったが、午後遅く出頭した者の仮釈放決定率は10%を下回っていたのだ。・・・
 この裁判官達の一貫性のない(erratic)判断は、ジョージ・W・ブッシュがかつて言ったところの「意思決定者(the decider)」であることに伴う職業病(occupational hazard)なのだ。
 個々の事案の実態(merits)いかんにかかわらず、次々に事案に結論を下すと言う精神的作業は、彼らを疲労困憊させるのだ。
 この種の意思決定疲れが、<アメフトの>クォーターバック達をしてゲーム末でいかれた選択をなさしめ、財務担当最高執行役員(C.F.O.)をして、夜遅く、破滅的な時間の空費をなさしめる傾向を出来させるのだ。
 それは、幹部であれ平社員であれ、金持ちであれ貧者であれ、あらゆる人々の判断を決まってゆがめるのだ。
 実のところ、それは貧者をとりわけ苦しめることになりうるのだが・・。
 ところが、このことに気付いている人さえほとんどいない。
 研究者達は、どうしてそれが起き、どうすればそれを防げるのかをようやく理解し始めている。・・・
 <疲れた場合に意思決定を行う一つの>手っ取り早い方法(shortcut)は、慎重さの放棄(reckless)だ:結果がどうなるのかをまず十分考える労力を費やす代わりに、衝動的に行動するのだ。・・・
 もう一つの手っ取り早い方法は、究極的な労力省きだ。<つまり、>何もやらないことだ。
 どのような意思決定を行うかについて苦吟する代わりに、選択を回避するというわけだ。 
 意思決定から逃げまくる(duck)と、しばしば長期的にはより大きな諸問題を招来するけれど、当面は、心理的緊張が緩和される。・・・
 <以下の>の実験が示したことは、自己統御(self-control)を遂行するための心理的(mental)エネルギーの在庫は有限であることだ。・・・
 ・・・被験者達は、全員、自己統御の古典的なテストをやらされた。
 それは、氷水の中にできるだけ長く手を入れるというものだ。
 気持ちとしては手を引き上げたいので、手を水中にとどめておくには自己規律を必要とする。
 <さて、>意思決定を重ねさせられてきた被験者達は、そうでない者より早く諦めた。
 彼らは28秒しかもたなかったが、これは、そうでない者の平均の67秒の半分にみたなかった。
 ・・・ すなわち、この実験において、一番目の集団は、最終的にどうするのかの意思決定を現実に行わされることなく、パソコンの様々な構成部品・・ディスプレイの型式、ハード・ディスクの大きさ、等々・・のメリットとデメリットとを熟慮させられた。
 二番目の集団は、あらかじめ定められたスペック群のリストを与えられ、様々な選択肢の中から、一つ一つ、当初に与えられたスペックに合致したものをクリックすることを繰り返す、という面倒なプロセスを踏襲させられた。
 これは、選択が遂行された時に、選択後の時期において何が起こるかのすべてを再現するためだ。
 三番目の集団は、自分のパソコンにどんな機能(features)が欲しいかを自分で考え、それを選ぶ過程を踏襲しなければならなかった。
 つまり、彼らは、(一番目の集団のように)単に選択肢を考慮したり、(二番目の集団のように)他人が行った選択を実行したりはしなかったのだ。
 彼らはサイコロを投げなければならなかったというわけだが、それこそ、三つのうちで最も疲れさせるものだったのだ。
 自己統御ぶりを計測すると、彼らは、ずば抜けて、最も、それを消耗させていたのだ。
 この実験は、ルビコン河を渡る<という意思決定を行う>ことが、河の両側で起こったこと・・ガリア側で座り込んでの選択肢の考察、及び、渡河してからのローマに向けての進軍・・に比べて、人を最も疲れさせる、ということを示した。・・・
 ・・・<なお、他の実験においては、>意思力は、後で、被験者がどれだけ長く握り(hand grip)を掴み潰しておられるかをテストすることによって計測された。・・・
 
 貧者に関しては、その財務状況が、彼らをして、余りにも多くのトレードオフに対処させるため、彼らには、自分達を中産階級に押し上げるかもしれないところの、学校、仕事、その他の活動に専念する意思力が、<金持ちに比べて>より少なくしか残されていないのだ。・・・
 <このことを裏付ける>もう一つの研究<がある。>
 貧者と金持ちが買い物に行くと、貧者はその間、より多く何かを食べがちであることが分かった。
 これは、彼らの弱い性格を裏付けているように見えるかもしれない。
 要するに、彼らは、食べやすい・・・スナック・・それは貧者の間におけるより高い肥満率をもたらす・・を買う代わりに、家で食事をすることで、出費を抑え、彼らの栄養状態を改善することができたはずだというわけだ。
 しかし、仮にスーパーに出かけることが、物を買うたびに、より大きな心理的トレード・オフが必要となるために、キャッシャーの所に到着するまでに、彼らの、<スナック類>に抗する、残された意思力(will power)がより少なくなっているであろうことから、金持ちよりも貧者に、より意思決定疲れを引き起こす<、だから、彼らは金持ちに比べて買い物に行った時に、より多く何かを食べがちになるのだ>とすれば、どうだろうか。・・・
 ・・・<ところで、>砂糖は意思力を回復させるが、人工甘味料にはそんな効果はない。
 ブドウ糖は、エゴの消耗を少なくとも緩和し、時には完全に回復させる。・・・
 人が、一日を徳高き意図の下で開始したとしても、朝食でのクロワッサンとランチでのデザートを控えたりすると、このような我慢の一つ一つが、その都度、当人の意思力を更に低めてしまう。
 意思力が午後遅くになって弱められるに至ると、人はそれを再び満たす必要がある。
 しかし、エネルギーを再供給するためには、当人は体にブドウ糖を与えなければならない。
 つまり、人は、栄養学的ジレンマ(catch-22)の罠にかかっているのだ。
 すなわち、
一、食べないためには、ダイエット志願者は意思力を必要とする。
二、意思力を持つためには、ダイエット志願者は食べなければならない。・・・
 <ある研究>結果の示唆するところによれば、人は一日3~4時間を欲望に抗することに費やしている。
 換言すれば、一日のうち、ある無作為に選んだ瞬間に4~5人の人に尋ねれば、その内1人が<その瞬間、>欲望に抗するために意思力を使っているだろうということだ。
 この・・・研究において、最も共通に抗されていた欲望は、食べ、寝ることであり、それに次いで、メモを書く代わりにパズルをやったりゲームをやったりして中休みをとるといった、レジャーへの衝動(urge)だった。
 <他者との交流の一種であるところの、>セックスへの衝動は、最も抗された諸欲望に次ぐ大きさであり、フェースブックをチェックするといった類いの他者との交流への衝動よりちょっぴり大きかった。
 被験者は、自分は、誘惑を払いのけるために様々な戦略を用いている、と申告した。
 その中で最も多くあげられていたのは、気晴らしを探すか新たな活動に従事することだった。
 ただし、それを、しばしば、直接抑圧しようとしたり、単に我慢してやり過ごしたり<する、と申告した被験者もい>た。
 もっとも、それに成功したかどうかは色々だ。
 人は、寝ること、セックスすること、そしてカネを使うことを回避するのには長けているが、TVやインターネットの魅力、或いは仕事の代わりにリラックスしたいという一般的誘惑、に抗することには長けていなかった。
 我々は、我々の祖先が、ブラックベリーや社会心理学者達が存在しなかった時代に、どれだけ自己統御を実践していたかについて、多くを知るすべはないが、我々の祖先の多くは、よりエゴ消耗的緊張の少ない状況下にあったように見える。・・・
 エゴが消耗した人は、縄張りをめぐる不必要な闘いに、より引き込まれがちだ。
 意思決定を行うにあたって、そんな人は、非論理的な手っ取り早い方法という、短期的な得と将来の費用増をもたら<すような選択をを行い>がちだ。
 消耗してしまったところの、仮釈放<決定を行う>裁判官達のように、彼らは、その選択肢をとることで誰かを傷つけてしまう場合でさえも、より安全かつ容易な選択肢をとりがちだ。・・・
 ・・・諸研究は、最も自己統御に長けた人というのは、自分の意思力の消耗を防ぐことができるように自分達の生き方を整えられる人であることを指し示している。・・・」
3 終わりに
 大組織のトップが行うべき意思決定を極端に減じるところの、日本型政治経済体制が、その限りにおいてはいかに合理的か、ということです。
 極端に言えば、日本型政治経済体制において、平時において、大組織のトップが心がけなければならない最も重要なことは、トップが行うべき意思決定がどうしても増えざるを得ないところの、危機管理にあたって、適切な意思決定ができ、かつ、意思決定疲れを極力回避できるような人物たるべき自己修養である、ということになるのではないでしょうか。
 問題は、かかる自己修養を怠っていたトップが多すぎることです。
 これは、日本型政治経済体制が本来的に持っている弱点の一つですが、この弱点は、国というメタ大組織のトップたる首相が、戦後、日本が属国なるがゆえに重要な意思決定を下す必要がない状態が続いてきたがゆえに、ついには、自己修養を怠っている人物が、この10数年来、歴代首相に就くに至っている、という事実によって増幅されている、と思います。
 もう一つの問題は、その日本において、大組織に属さないけれど、日本型政治経済体制下のエージェンシー関係におけるエージェントとして、重要な役割を果たしているところの、弁護士や、大組織に属してはいるけれど独立した意思決定を下す場面が多い裁判官の現状です。
 彼ら、とりわけ裁判官の少なからざる部分に意思決定疲れとしか考えられない判断回避や判断ミスが見られることに、私は、かねてから強い懸念を抱いているところです。
 残念ながら、これについては、どうしたらよいのか、いまだに考えがまとまっていません。