太田述正コラム#0057(2002.9.1)
<苦悩する自衛隊――インド洋への海上自衛隊の派遣をめぐって――>
(民主党の機関誌「Discussion Journal「民主」」no.2 2002 autumn の90-95頁 より転載)

ディフェンスアナリスト 太田述正(元防衛庁官房審議官・主著「防衛庁再生宣言」日本評論社01年)

インド洋への海上自衛隊の艦艇部隊(海自艦)派遣に関わる集団的自衛権問題を紹介するとともに、その関連で一つの新聞記事をとりあげ、防衛問題に関心のある人々に、防衛問題について認識を深めてもらうのが本稿の目的です。

問題の所在

昨年の9月11日に同時多発テロが起こり、インド洋への海自艦の派遣が取りざたされていた同月末、私はテレビ朝日のインタビューを受けました。その時私は、集団的自衛権問題をクリアしない限り、派遣はできないはずだと答えました(9月26日のお昼の番組「スクランブル」の中で放映)。
そして、その後、私のホームページ(http://www.ohtan.net)に、次のような趣旨の書き込みをしました。
海自艦がインド洋に派遣された場合、いかなる集団的自衛権問題に直面することになるかを考えてみましょう。
 第一に、軍事作戦に従事している米軍等を、海自艦がインド洋で補給、輸送、衛生等の兵站面で支援するということは、日本に対する武力攻撃に対処するための個別的自衛権の発動を根拠とするものではない以上、集団的自衛権の発動ということにならざるをえないと思います。
 第二に、海自艦が、米海軍の部隊と近接海域にいる場合は、どちらかがどちらかの指揮を受けることになっています。実際、米海軍との訓練・演習の際は必ずそうしています。今までは訓練・演習時だからという言いわけができましたが、今度のように、米海軍の部隊が軍事作戦に従事している時には、正面から集団的自衛権との関係が問われることになります。
 第三に、海自艦が米海軍部隊に「敵」に関する情報を提供し、その情報をもとに米海軍部隊が「敵」を攻撃した場合、この情報提供そのものが集団的自衛権の行使ということになりかねません。
そもそも、海自艦と米海軍の部隊とは、共通の暗号を使用した共用性のあるデータリンクシステム(リンク)でつながれており、米海軍側は、海上自衛隊側が得た情報を自動的に吸い上げるしくみになっています。自衛隊側は「敵」に関する情報だけは伝えないといった選別はできません。
 第四に、例えば、何らかの理由で「敵」の攻撃から自らを防御する能力が不十分となった米国等の艦艇を、たまたま近くにいた海自艦が防護すれば、これも集団的自衛権の行使ということになります。
第一を広義の集団的自衛権行使の問題、第二??第四を狭義の集団的自衛権行使の問題と呼ぶこともできるでしょう。後者のうち、第二は指揮、第三は情報提供、そして第四は他国部隊の防御、の問題です。
 昨年11月にテロ対策特別措置法(テロ対策法)が成立し、この法律に基づいて実際にインド洋に派遣された海自艦は、広義、狭義の集団的自衛権問題にどのように対処したのでしょうか。
 
政府の対応

第一の広義の集団的自衛権行使の問題は、テロ対策法の第二条に、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域で活動する。また、一切武力の行使は行わない」という趣旨のおまじないのような文言を入れることによってクリアされたことになっています。
しかし、昨年の同時多発テロは、そこで戦闘行為が行われる可能性など皆無だと思われていたニューヨークやワシントンで発生したという点だけをとっても、こんな文言がナンセンスであることは明らかです。
現に、テロ対策法が成立した時、BBCやCNNといった英米のメディアは、日本がついに戦後の憲法上の禁忌を乗り越えたと報道しました。これが常識的な受け止め方というものでしょう。
第三の問題については、中谷防衛庁長官が、国会で「自衛隊艦艇が得た情報が他国に提供されて、結果としてそれが他国の武力行使と関連があっても、それが一般的な情報であるかぎり武力行使との一体化の問題は生じないと認識している」と答弁(産経新聞朝刊01.10.26)し、政府は強引にクリアしました。
しかし、現地米海軍部隊と連接してよいはずのリンクが、実のところ長期間にわたって連接できなかったという話に後でふれます。
第四の問題については、政府はそのような状況に海自艦が陥らないことをひたすら祈っているというところでしょう。海自艦の活動地域で戦闘行為が始まり、しかも、たまたまそばにいる米国等の艦艇が危機的状態になった、という事態に遭遇するといった類の希な可能性には目をつぶるというわけです。(万一そんな事態に遭遇したらどうするか。海自艦の指揮官がクビを覚悟でその艦艇を守る命令を出してくれるであろうことを私は密かに期待しています。)
では、残された第二の指揮の問題はどうか。
複数の信頼できる筋から確認したところ、海自艦は米軍の指揮を受けてはいません。
 確かに、補給活動だけであれば、米軍の指揮を受けなくても致命的な問題は生じないでしょう。しかし、万一「敵」が空中、水上、あるいは水中から接近してきたとき、米軍の指揮を受けていなければ、近くにいる米軍部隊と最も効果的・効率的な形で連携した防御行動をとることはできません。
 しかし、中谷防衛庁長官は、国会で「直接、他国から指揮命令を受けないよう、我が国が主体的に行動する」と答弁している(朝日新聞02.6.16朝刊)ところです。
そこで、海自艦は、やむなく上述の軍事的リスクを甘受して行動しているのだそうです。

新聞記事の真偽

 他方、防衛庁海上幕僚監部の派遣チームが昨年11月、バーレーンの米中央軍第5艦隊司令部で当時のムーア司令官に会い、インド洋での対テロ戦争の補給作戦で海上自衛艦が戦術指揮統制を、米海軍の「第5艦隊53任務群司令官(後方支援担当)に委ねることは可能ではないかと考える・・」と述べ、米海軍の戦術指揮下に入ることを容認した、そして「米軍事筋は、海自艦が・・実際に53任務群司令官の戦術指揮統制下に入っていることを認めた」、という朝日の記事(上記02.6.16と同じ記事)があります。
 一体指揮を受けているのかいないのか。この記事の信憑性を検証してみましょう。
 第一に、なぜ11月末の話が翌年の6月中旬まで記事にならなかったかです。この話がリークされたのが遅かったのか、記者が記事にするのを故意に遅らせたのかは分かりませんが、極めて不自然です。
 第二に、この記事は、海幕の派遣チームの長は防衛班長だったとしているので、上記発言は防衛班長の発言ということになりますが、いくら海幕の重要な班の班長だとはいえ、中将の司令官を前にして、果たして一介の1佐たる班長がこのような重大な発言をするだろうかと疑問がわきます。
第三に、私の確認したところでは、その場には外務省の職員も同席していました。外務省の職員の前で、政府の方針に反するような発言がなされるはずがありません。
第四に、記事は、この会談が海自艦が洋上補給を開始する1週間前の11月25日に行われたとしていますが、既に海自艦が活動を開始していた土壇場の時期にこんな発言が出るのはおかしい。「可能ではないかと考える」と発言したとされる以上は、指揮を受けるとの方針はその時点ではまだ決まっていなかったはずで、それから(少なくとも)海幕内での方針の決定並びに決済の上、自衛艦隊司令部を経て、米海軍と海自艦にその旨を伝達ないし指示する必要があったことを考えてもみてください。
第五に、海自艦乗員約1,000名中、幹部以外が9割を占めており、その中には三年任期の士クラスの隊員も含まれています。しかも交替によって派遣経験者数はどんどん増えています。米海軍との指揮通信関係に携わっている隊員の中にも幹部以外の者がおり、政府の方針に反することをやっておれば、それに気づいた隊員から早晩話が漏れることは必至です。今年二月には海自艦に防衛記者達が招待されて自由な取材が行われましたが、その時にも一切そんな話は出ていません。
以上から、この記事の信憑性には大きな疑問符をつけざるをえません。朝日はガセネタをつかまされた可能性が高いと思います。
ここで、NATO主要国の海軍の佐官クラス以上のクロウト筋向けに、海自艦が米海軍の指揮を受けていない決定的な証拠をお示ししましょう。
私が調べたところ、11月末の時点では、海自艦と現地米海軍部隊のリンクが連接される見通しがたっていなかったという事実が出てきました。
その原因については、日本のある軍事禁忌の存在が障害となったらしいとだけ申し上げておきましょう。この問題が技術的にクリアされ、リンクが連接されたのは今年の5月に入ってからです。とすれば、私の在職中の知識に照らせば、リンクが連接されていなかった12月??4月の間は、両者は民間船舶並の秘匿性の乏しい通信手段を使って通信をするほかなかったはずです。つまりこの間は、海自艦が米海軍の(軍事的な)指揮を受けるために必要なインフラが存在していなかったということです。
これに対し、突発的事情で、半年弱、海自艦が米海軍の指揮を受けたくても受けられなかっただけだろうなどと半畳を入れるのは、下司の勘ぐりが過ぎるというものです。(伏せ字だらけの説明で申し訳ありませんが、)私はこれこそ、もともと海自艦が米海軍の指揮を受けるつもりなどなかったことの決定的証拠だと思うのです。
いずれにせよ、米海軍の指揮を受けない上にリンクが連接できない、つまり、米軍から一切「敵」に関する情報提供を期待できない、という事情があったことを考えると、海幕がイージス艦の派遣を強く希望したのは当然でしょう。海自艦にとって、一番こわいのは空からの脅威ですが、イージスでない護衛艦の対空レーダーの探知半径はたかがしれているところ、イージス艦であれば、その探知半径が5倍も延びるのですから。

得られる教訓

以上を一つのケーススタディーに見立てて、このケースからいかなる教訓が引き出せるか考えてみましょう。
第一に、日本の防衛問題といえども、軍事問題である以上、軍事常識を身につけることなくして防衛問題を理解することはできないということです。
二つの国の部隊が共同対処行動に従事する場合は、共通の暗号を使った相互通信手段を確保した上で、片方の国の部隊がもう片方の国の部隊を指揮するのが原則である、というのが軍事常識の一例です。
しかし、軍事をいわば擲った戦後の日本で、自衛隊関係者以外の人間が日進月歩の軍事常識を身につけようと思っても、容易なことではありません。
しかも、いくら軍事常識を身につけたとしても、自分の知らない機密事項がからんでくるとお手上げです。困ったことに、日本では次に述べる軍事禁忌が存在するがゆえに、軍事機密の範囲が諸外国よりも肥大化しています。「伏せ字」の箇所を思い出してください。
第二に、日本では、諸外国には見られない、憲法上の制約を始めとする様々な法的・政治的な軍事禁忌が存在するので、これを熟知している必要があることです。
しかし、戦後、吉田ドクトリンという「大戦略」はあるものの、細部については偶然が積み重なって今日の姿になったと言っても過言ではない、日本の様々な軍事禁忌を、的確に理解するのは容易なことではありません。本稿でその一端をご紹介した集団的自衛権論議一つとっても、このことがお分かりいただけると思います。
第三に、日本では、軍事禁忌との抵触を回避する必要から、軍事常識に反することが起こりがちであることに注意しなければならないということです。
軍事常識をふまえた私の予想に反し、海自艦と米海軍のリンクは連接されていななかったし、海自艦は米海軍の指揮を受けていないのでしたね。
もう一つの例として、そもそも軍事常識に照らせば、海自艦の派遣などありえないはずなのに、ありえない派遣が実際に行われていることがあげられます。
海自艦は、インド洋派遣米海軍(と英海軍)の艦艇の燃料需要の3割以上を無償で補給している勘定になりますが、その分米海軍等のインド洋派遣補給艦等が減らされたわけではありません。海自艦による燃料補給分を日本政府がカネで直接米国政府等に提供すれば、米海軍等は、通信もままならない見慣れぬ海自艦から苦労して燃料を補給してもらうより、はるかに効率的に自前の補給部隊から補給を受けることができるはずです。しかも日本としても、5隻もの自衛艦(交替のための準備期間を入れれば、5隻を超える)を、しかもこれら自衛艦の燃料代等の追加的コストをかけ、かつ乗員の生命を危険にさらしてまでして長期間海外派遣することによって、日本自身の海上防衛体制に穴を開け、なおかつ日本国民の財政負担を不必要に増大させることもないはずです。
第四に、日本の防衛庁の中央組織は、諸外国の国防省には見られない、文官だけの「内局」ですが、かねてから私が主張しているように、内局は機能停止状態に陥っています。
その症候がNECなどからの部品調達価格の水増しが問題となった98年の「調達実施本部事件」であり、今年に入ってから明るみに出た「秋山元防衛事務次官台湾秘密資金受領疑惑事件」や「防衛庁リスト事件」です。
機能停止状態であっても、いや、機能停止状態であるからこそ、防衛庁内における文官支配体制を従来通り堅持すべく、内局がなりふり構わずあらゆる策略を弄していることは公然の秘密です。私は、前述の朝日の記事も、インド洋への海自艦派遣等に伴って発言権の増してきた海上自衛隊を牽制するため、内局の人間があえて朝日の記者にガセネタを提供したのではないかと疑っています。
今後とも、この種の内局発の「ノイズ」が次々に発せられることが予想されるだけに、これら「ノイズ」に惑わされないよう、心して防衛問題をフォローする必要があるということになります。
それにしても読者の皆さん。軍事的に無意味な補給業務に、それが初めての「有事」への関与であるがゆえに喜びいさんで従事している海上自衛隊、そしてその程度の任務すら与えられず、悶々と無為の日々を過ごしている陸上自衛隊並びに航空自衛隊に対し、かくも厳しい財政事情にもかかわらず、合算して世界有数の防衛費を支出し続けている日本は、まことに不思議な国だとお思いになりませんか。