太田述正コラム#5303(2012.2.16)
<皆さんとディスカッション(続x1465)>
<太田>(ツイッターより)
 米スポーツ・イラストレーテッド誌(タイム社)の水着特集版のカバーガールに選ばれたKate Upton(19歳)の眩いような写真集だよ。
http://blog.sfgate.com/sportsevents/2012/02/14/kate-upton-graces-sports-illustrated-swimsuit-cover/#3106-1
日本人のこんな天才少年ピアニストが出現してたんだね。
しかも、カワイイ。
http://news.livedoor.com/article/detail/6284604/
http://www.youtube.com/watch?v=1ZMejOJeXy0
http://www.youtube.com/watch?v=BZj-N-DmyLk&feature=related
<太田>
 「天皇」スレッドでの議論、私に言及されることなく続いているが、興味深いので、本日も、その一部をコピペしておこう。
<n8iG5U0n>(2012.2.15)http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1329191799
 ・・・戦後日本を「民主化」して戦前の治安維持法を廃止させたGHQを設置した当のアメリカが、戦後になって治安維持法と同等の役割を果たしたレッドパージを行った・・・。
 つまり、アメリカは自身が非民主的であるとした治安維持法と同等のものを、法と運動という形式の違いはあれ導入したということである。
 治安維持法は非民主的であるというアメリカの考えに従うと、戦後のアメリカは、共産主義を弾圧する点で、日本と、それも戦前の日本と同水準の非民主的な社会に陥ったということになる。滑稽である。
<vvgbHYcf>(同上)
 比較の手法に対する妥当性云々とは別に、アメリカにおけるレッドパージって、治安維持法で生じた獄中で100人以上の死者(by 日本共産党)が出る程の苛烈なものだったのだろうか?
(マッカーシーの赤狩り)
 同委員会の名が特に世間に知られるようになったのは、第83回議会でウィスコンシン州選出のJoseph McCarthy議員(共和党)が議長に就任してからである。
 同議員は議長在任中の1953~1954年の間に653人をスパイ容疑等で同委員会に呼び出し169回の公聴会を開催した。
 そのうちの83人はスパイ容疑を否認し、自分の氏名が公表されることも拒否した。
 これら一連の行為が、「マッカーシーの赤狩り(McCarthy’s red scare)」又は「マッカーシズム」という名で知られる事件である。
 多数の科学者、ジャーナリスト、俳優等がその対象とされた。
http://www.zeikei-news.co.jp/kobore_bn/kobore_091005_1.html
 捕まったのは635人。
(治安維持法)
 政府発表は治安維持法の送検者七万五千六百八十一人、起訴五千百六十二人ですが、一連の治安法規も含めた逮捕者は数十万人、拷問・虐待による多数の死者が出ました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-02-13/2002-0213faq.html
 一方で、治安維持法で逮捕されたのは数十万だって。
 別に俺も共産党は好きじゃないけど、ちょっと違いがありすぎるじゃないかなー。
 ”<n8iG5U0n>”さんは、どのように思いますか?
・・・
<n8iG5U0n>(同上)
 たしかに、日米間の逮捕者数の数は多い。
 よって、現時点の判断としては、戦前の日本のほうが、共産主義思想に関する自由の度合いが低かったかもしれない。
 ただし、自由の度合いの程度の差は単純な逮捕者数だけで決めることはできない。
 まず単純に、治安維持法で逮捕されたのは数十万ではない。
 治安維持法で逮捕されたのは、共産党も挙げている政府発表の通り、約7万5千人。
 その他の治安法規によって弾圧された人数については、単純なスパイ活動や破壊活動に対して適用されたものかもしれず、共産主義の弾圧が残虐であった証拠としては使用できない。
 例えばスパイ行為を行い、国防保安法違反で捕まった者がいたとしても、共産主義の弾圧が発生した証左とは言えない。
 もし関連法案が共産主義の弾圧に使用されたとするならば、自ら典拠を探し出してくるべきである。
 次に1930年代の日本は、戦後の米国よりも、はるかに共産主義の脅威に直面していた。
 日本は、極東地域において、単独で共産主義に立ち向かわなければならなかったからである。
 当時、共産主義勢力は、ソ連及びコミンテルンの指導を受けた国民党、中共が存在しており、日本は他に共産主義と闘う勢力もいない中で、そこまで高くはない国力で戦わなければならなかった。
 一方で、戦後の米国は、極東地域や欧州において、フィリピンや日本、北大西洋条約機構加盟国などと共闘することができた。
 しかも、米国の国力はずば抜けて高い。
 こうした日米の状況の違いに伴って、共産主義への寛容度もまた違いが出てくるのは当然であろう。
 ただし謎なのは、戦時中はある程度自由主義が退行のは当然であるが、にも関わらず、戦争開始後逮捕者数が激増しているわけではない。
 実際、法政大学大原社会問題研究所の『第32表 治維法事犯捜査事件数および被疑者人員数』によると、1931年のシナ事変以降から1937年の日支戦争勃発までの間に逮捕された人数は約1万8000人。1937年の日中戦争から1943年までの間に逮捕された人数は約6000人。44年以降は記録がない。シナ事変から1943年までの約13年間の間に逮捕された人数の累計は、約2万4000人に過ぎない。44年と45年に逮捕された人数を足しても、4万人には届かないであろう。
 このように、治安維持法が施行された20年間のうち、シナ事変までの約6年間と、シナ事変から43年までの約12年間を比べても、特に戦争後の方が逮捕者が多いわけではないのである。むしろ、同法施行後からシナ事変までの相対的に短い期間の間に、シナ事変から43年までの12年間よりも多いくらいの人数が逮捕されている。
(典拠:http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-119.html
 治安維持法に詳しい方は説明をお願いしたい。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1329191799/
<太田>
 昨日も記したように、法治主義は自由主義の必要条件(十分条件じゃない)だが、戦前検挙された人間で拘留中に不審死した「アカ」等の数を調べた上で、下掲の[参考]に出てくる戦前の米国の黒人リンチ殺人数3,500人弱と比べてみな。
 言うまでもなくどっちも違法行為(=法治主義違背行為)だけど、戦前の米国じゃ、「クロンボ」に対するリンチ殺人は、(少なくとも)白人たる南部の知事達によって黙認されていたと言っていいから、末端における行き過ぎた取調べが黙認されてた(?)戦前の日本と、政府の関与の度合いっちゅうか責任は似たようなもんだろう。
 戦前、米国の方が日本より、非法治主義度、すなわち自由主義度、が低かった可能性が高いんじゃないのかい?
 [参考]
 ・・・Between 1882 and 1968, the Tuskegee Institute recorded 1,297 lynchings of whites as well as the 3,446 lynchings of African Americans・・・
 Since <African Americans in the South virtually> could not vote, they could not serve on juries. They were without official political voice.・・・
 The ideology behind lynching, directly connected with denial of political and social equality, was stated forthrightly by Benjamin Tillman, governor of South Carolina and later a United States Senator:
 We of the South have never recognized the right of the negro to govern white men, and we never will. We have never believed him to be the equal of the white man, and we will not submit to his gratifying his lust on our wives and daughters without lynching him.・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Lynching
 それでは、その他の記事の紹介です。
 国家公務員や地方公務員の給与等の切り下げだって、これほどドラスティックじゃなくって長期的だけど、基本的に同じ結果をもたらすんだぜ。↓
 「・・・東電は原発事故による経営環境の悪化や民主党政権の「脱原発依存」「東電解体」の動きを受け、人材流出が止まらない。東電の内部資料によると、昨年3月の事故後の退職者(定年退職は除く)は約300人と例年の3倍以上のペースで増え、年度末を控えて「退職予備軍」も200~300人にのぼるとみられている。
 退職者は「技術系の若手」や「中堅・若手の優秀層」が中心で、転職先は総合商社や食品大手、外資系金融機関など。・・・」
http://mainichi.jp/select/biz/news/20120216k0000e020181000c.html
 イスラエル政府は、インド、グルジア、タイでの爆破ないし爆破未遂事件の爆弾のタイプは、基本的に同じである、だから犯人はイランないしイランの息のかかったテロリストの可能性が高いと言明した。↓
 Israeli officials said Wednesday that magnetic explosive devices found after a series of explosions in Bangkok on Tuesday were similar to bombs used a day earlier to target Israeli diplomats in New Delhi and in Tbilisi, Georgia.・・・
http://www.washingtonpost.com/world/israel-saysthai-bombs-similar-to-those-in-india-georgia/2012/02/15/gIQA0pDkFR_print.html
 イギリス等から移民者とインディアンとの関係は、双方が出会った瞬間から緊張をはらみ、17世紀末からは、前者による後者の迫害の歴史に入り、それがずっと続いて行くことになったとさ。↓
 ・・・in many places <of North American English colonies,> colonizers and natives initially worked out grudging, ingenious compromises that enabled peaceful co-existence. “A period—often a surprisingly long period—of mutual accommodation and cooperation was the rule along much of the First Frontier,” Mr. Weidensaul notes. Only at the end of the 17th century did such arrangements collapse under pressure from the growing numbers of colonists and the growing greed of their leaders.・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204136404577209090436389380.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion