太田述正コラム#0076(2002.11.17)
<国際情勢予測のむつかしさ>

 松井茂「イラク 知られざる軍事大国」(中公文庫1991年2月)を読むと、国際情勢を予測することのむつかしさを痛感させられます。
1991年1月17日の湾岸戦争(Operation Desert Storm)開戦直後に上梓されているというのに、松井氏は、「イラクおよび軍事知識を欠く中東研究家、地域研究をやろうとしないデスク上で兵器年鑑をひもとくのみの軍事研究家が、マスコミに依頼されて、めだとうとしたばかりに、誤った解説の連続となった。こうした・・いかにも物知顔で発言するという厚顔ぶりの是正なくして、本物の中東研究は日本では成立しないのではないか」(同書293-294頁)という問題意識の下、「米空軍による爆撃が功を奏し、米地上軍がクウェートを奪回したとしよう。だが、総兵力がイラク軍より格段に劣る米地上軍は、イラク本土を席巻する余力はないであろう。またイラク軍の火力によってかなり損傷を出すであろうし、イラクの対空火器によって、米空軍の撃墜機、被弾機の数も増加してこよう。そしてクウェートに進駐した米軍は、イラクのミサイル、火砲、重迫撃砲による火力攻撃と特殊部隊によるコマンド攻撃に悩まされよう。・・こうした中、クウェート国防軍を強力に育成して引き揚げるなど不可能である・・クウェートを今後、何十年も保持することは、米国にとって困難となろう。結局、クウェートは、イラクのものとなる可能性が高い。またイラクに現在のような強力な組織力を持つバース党政権とサッダーム・フセインのような傑出した指導者が健在な限り、たとえ一時的にクウェートを手放しても、また奪回するであろう。・・もし国際経済制裁が長引いても、もともとイラク・・は農耕に適した土地であり、・・いざとなれば自ら耕して穀物や野菜を自給できるのである。・・国際経済制裁は失敗することになろう。」(同書269-270頁)、と大見得を切り、その予言がことごとく外れたのですから。

 例えば、地上軍や空軍等の被害状況は以下の通りです。

          <イラク>                  <多国籍軍>

装備

損失

イラク南部・クウェート展開数

損失 

湾岸展開数

戦車

4,000

4,230

4

3,360

火砲

2,140

3,110

1

3,633

装甲車

1,856

2,870

9

4,050

ヘリコプター

7

160

17

1,959

航空機

240

800

44

2,600

 なお、イラク軍側の犠牲者は6万名から20万名であったのに対し、多国籍軍の犠牲者はわずかに293名(うち米軍は148名)。このうち戦死者は148名で、残りの145名は事故ないし友軍の誤爆によるものでした(http://news.bbc.co.uk/1/shared/spl/hi/middle_east/02/iraq_events/html/。11月21日アクセス。ただし、米軍の犠牲者数はhttp://www.desert-storm.com/War/(11月16日アクセス)による)。

 しかも、開戦後、クウェートを奪回し、多国籍軍が一方的に停戦するまで、わずか5週間しかかかりませんでした(http://www.desert-storm.com/War/chronology.html。11月16日アクセス)。

 また、国連による経済制裁の「威力」については、コラム#70を振り返ってください。

  一体、松井氏は、どうしてこんな大恥をかくはめになったのでしょうか。
 それは、松井氏が、自ら誇っておられるところの即物的軍事知識と土地勘はあっても、見えないものを見ようとする努力を怠られたからだと私は思います。
 氏に見えていないものの第一はイデオロギー(宗教を含む)であり、ファシズム、独裁制なるがゆえにイラクが抱える弱点です。氏が、「強力な組織力を持つバース党政権とサッダーム・フセインのような傑出した指導者」とおっしゃるところを見ると、氏はファシズム、独裁制に係る歴史を勉強されていないとしか思えません。独裁制が長く続けば、独裁者の周りにはイエスマンしかいなくなってしまい、またファシズム(=上からのインドクトリネーション)が長く続けば、国民の間から発想の多様性や革新的精神が失われてしまうのが通例だということが氏にはお分かりになっていないのでしょう。
 氏に見えていないものの第二は軍事の本質であり、軍事力の強弱とは何かということと、軍事力の弱い側が例外的に戦争に勝つのはいかなる場合かということです。
まず、軍事力の強弱については、兵力ないし兵器(或いは火力点数)の総計などによってではなく、その国(ないし勢力。以下同じ)の軍事・非軍事の総合力とその総合力をシステマティックに軍事目的に結集する能力によって判断すべきだということです。
むろん、ベトナム戦争のように軍事力の強い侵攻国が弱い国に負けることがありますが、それは例外であって、ゲリラ戦のような非対称戦略で弱い国が勝利を収めるためには、支援してくれる有力な第三国があり、その支援ルートを聖域化でき、かつ被侵攻国の国土がある程度広大で山岳地帯やジャングル等が多く長期にわたるゲリラ戦に適しており、更に被侵攻国の経済発展の度合いや国民の人権意識が低く長期のゲリラ戦に伴う苦境・荒廃に耐えうること、等の条件がすべて整わなければならないのです。
 氏には、米国の軍事力のすさまじさもゲリラ戦の限界も分かっておられないことは明白です。これは、恐らく氏が軍人又は軍人OBと意見交換されておらず、また戦史をひもとかれておられないためでしょう。

 その松井氏が、ご自分以外の日本の軍事専門家や地域研究家は(もっと)お粗末だと言っておられるのですから何をか言わんやです。私には、この本が上梓されてから10年以上たった現在、このような情けない状況が余り改善されているようには思えません。
 戦後、植民地を全て失い、かつ、日本型経済体制下の中央集権化状況が続いたこと等により、日本国民の金太郎飴化が進行し、世界には様々なイデオロギー(宗教)があり、人間皆同じでは必ずしもないということが分からなくなり、また、吉田ドクトリンなる国家戦略の下、米国に安全保障を丸投げし、軍事を放棄して軍事音痴化が進行したため、海外渡航者の増大にもかかわらず、それに反比例して日本人には国際情勢音痴が増えてしまい、もはや病膏肓に入った感すらあります。

 皆さん。せっかく計算の仕方によっては世界第二位にもなる防衛費を日本は支出してきているのですから、せめて防衛庁勤務経験のある人々の軍事等に関する見識をもっと活用しようではありませんか。駐在武官等の海外経歴のある自衛官等(及びOB)の中には、軍事に関する見識だけでなく、人間皆同じでは必ずしもないことを体得しておられる人々も決して少なくありませんよ。