太田述正コラム#5216(2012.1.4)
<ダニエル・カーネマンの世界(その3)>(2012.4.21公開)
 (3)快楽主義心理学
 次ですが、カーネマンの第三フェーズにおける快楽主義(hedonistic)心理学とはどのようなものなのでしょうか。
 「「経験する自身」を幸せにするものは、「記憶する自身」を幸せにするものと同じではない。
 とりわけ、記憶する自身は、持続期間・・どれだけ長く気持ちいい経験または気持ち悪い経験が続くのか・・に関心がない。
 逆に、それは、経験を、遡及的に(retrospectively)痛みや快楽の頂点の水準、及びその経験がどのように終わったか、でもってランク付けする。
 この記憶された幸福に係る二つの奇妙な態度(quirk)であるところの、「持続期間無視(neglect)」と「頂点・終末法則」<(注1)>は、カーネマンによる、より痛ましい諸実験の一つでもって明確に示された。
 (注1)「頂点・終末法則」ないしは「ピーク・エンドの法則(Peak-end rule)とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まるという法則のことである。」(カーネマンに関する前掲日本語ウィキペディア)
 二つの集団の患者達に痛ーい結腸内視鏡検査を行うことにした。
 集団Aの患者達は通常の施術をされた。
 集団Bの患者達もそうだったが、彼らは、あらかじめ告知されることなく、当該検査が終わってから、軽微な(mild)不快感を伴う追加的な数分間を体験させられた。
 どちらの集団がより苦しんだだろうか。
 よろしいか、集団Bは、集団Aが味わった全ての痛みに耐えた上、更に若干<の痛みに>耐えさせられたのだよ。
 だが、集団Bの結腸内視鏡検査の延長は施術がより少ない痛みで終わったことを意味したため、この集団内の患者達は遡及的に痛みをより少なくしか気にしなくなったのだ。
 (この本には載っていないが、それより前の学術論文の中で、カーネマンは、この実験において集団Bが晒された追加的不快については、それが彼らが爾後検査に戻ってきたい気持ちを高めるとすれば、倫理的に正当化できるかもしれない、と示唆している!)
 <この>結腸内視鏡検査について言えることは、人生<全体>についても言える。
 采配を振るう(call the shots)のは記憶する自身なのであって、経験する自身ではない、ということなのだ。
 カーネマンは、例えば、大学生が春休み<にやったことを再び>繰り返すかどうかは、前回の休みの瞬間瞬間が実際にどれだけ面白かったか(或いはひどかったか)ではなく、前回の休みに適用されたところの、頂点・終末法則によって決定されることを、研究を引用して示す。
 記憶する自身は、一種の「暴政」を、声をあげることのないところの、経験する自身に対して行うわけだ。
 「奇妙だと思えるかもしれないが、私は記憶する自身なのであって、実際に生活を送っているはずの経験する自身は、私にとっては異邦人のようなものなのだ」とカーネマンは記している。・・・」(F)
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 <脚注:幸福の科学の成果>
 この際、快楽主義心理学ないし幸福の科学についての現状を概観しておきましょう。
 「・・・神経科学も社会科学も、我々が現実的であるというよりは楽観的であることを示唆している。
 平均的に言って、我々は、物事が実際にそうなるであろうところよりもよい結果になることを期待するものなのだ。
 人は、自分が離婚し、失業し、或いは癌と診断される確率を大幅に過小評価する。
 人は、自分の子供が著しく天分があると期待し、同僚達より業績をあげると心に描き、(時には20年或いはそれ以上、自分の)寿命を過長推計する。・・・
 未来が過去と現在よりずっと良くなるという信条は、楽観主義偏向として知られている。
 それは、あらゆる人種、宗教、そして社会経済層に<遍く>存在するのだ。・・・
 2007年に行われた調査によれば、70%<の人>が一般の家族について、父親の時代より成功を収めていないと考える一方で、回答者の76%が自分自身の家族の将来については楽観的だった。・・・
 楽観主義者達は、<そうでない人達に比べて、>一般により長時間働きより多く稼ぐ傾向がある。
 ・・・楽観主義者達は貯蓄率でさえ、<そうでない人達>より高い。
 彼らの離婚率は<そうでない人達と>同じだが、彼らの再婚率はより高い。
 <楽観主義者達の>このような行動は、サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)<(コラム#225、2901、3754、3941、4197)>記すところの、希望の経験に対する勝利というやつだ。・・・
 
(続く)