太田述正コラム#5346(2012.3.8)
<文化について考える(その6)>
4 エピローグ
 (1)序
 最後に、パゲルのこの本のテーマと関係の深い記事を二つ紹介しておきましょう。
 (2)(文化の目的の一つである文化内での相互)信頼確保に係る脳科学的説明
 「<神経経済学(Neuroeconomics)の研究成果の一端は次のとおり。>・・・
 我々はレストランで食事する時、コックが調理している姿は見えない。
 我々は一度も会ったことがない操縦士の飛行機に乗る。
 我々はありとあらゆるものをインターネットで購入する。
 <このような>信頼の水準の高い国はより繁栄している。
 <他方、>信頼の水準の低い国では経済取引が極めて少なく富を創造することがない。・・・
 君が誰かを信頼すると、その人の脳はオキシトシンを分泌する。
 君が誰かをハグすると、その人の脳はオキシトシンを分泌するだろう。
 ある人物が、信頼するに足る、気前の良い、親切な、同情心があって共感能力のある人物なら、近くにいてもらってよい、いい人だというわけであり、<所属集団の他の人々は、>この人物をこの社会的集団の中にい続けさせてくれる。・・・
 最も成功を収めているトレーダーは、ちょうどいい塩梅の(moderate)ドーパミン(dopamine)を与えてくれる遺伝子群を持っている。
 彼らは、いい決算(payoff)をもたらすように見える時にリスクを取り、大失敗につながりかねないように見える時にはリスクを回避する。
 これこそ、彼らがウォール街に成功裏にい続けることを可能にしたのだ。・・・
 <また、>我々は、テストステロン(testosterone)が高い水準だと、オキシトシンの分泌が止まり、それが、更に、信頼をも止めてしまうことを知っている。
 我々が実験で男性達にテストステロンを処方した時、彼らは、より利己的となり、かつ、他人が自分達に対して利己的であるとして<その他人を>罰しがちになった。
 いいふるまいをしていない(not playing nice)他人を罰するための資源に投資をするであろう人々を持っていることは、我々が協力を維持する一つの方法であることから、これ<(=こういう人が所属集団の中にいること)>は、<この集団にとって>役に立つことなのだ。・・・」
http://www.latimes.com/health/la-sci-neuroeconomics-paul-zak-20120303,0,7535702,print.story
(3月4日アクセス)
→特定の人種ないし民族における、オキシトシン、ドーパミン、テストステロン等のホルモンの分泌性向の平均値と分散が、当該民族の文化ないし文明の特徴を形成する、ということを予感させます。(太田)
 (3)各国の経済的豊かさの達成度の違いは何に由来するのか
 「・・・12年前に、ダロン・アゼモルー<(コラム#5336)>、サイモン・ジョンソン(Simon Johnson)、そしてジェームス・A・ロビンソン(James A. Robinson)は、植民者達が種々の熱帯病に斃れることなく生存することができた地は、<経済>成長を育くむ、衡平なる制度群を持った植民地へと発展した、と主張した。
 逆に、欧州人たる冒険者達にとって深刻な健康上の障害のある植民地においては、彼らは殴打して奪いとる戦術をとることが適合的であったことから、その地で制度群が創造されたとしても、それらは富を抽出することだけに傾きがちであり、その後に不平等で未開発な経済を残した。
→冒頭に登場したアゼモルーとジェームス・ロビンソンが一枚噛んでいるだけに、ここでも、文化論的ないし文明論的な説明が徹頭徹尾排除されており、やはり、まことにもって奇矯な主張である、と言うべきでしょう。(太田)
 2010年には、経済学者のウィリアム・イースタリー(William Easterly)とディエゴ・コミン(Diego Comin)とエリック・ゴング(Erick Gong)は、植民地時代において育くまれたものの帰結は、それよりずっと以前の、誰が植民の対象となり、誰が植民を行ったかを決定したところの、技術的かつ社会的諸要素の結果であることを示唆した。
 『米国経済学雑誌(American Economic Journal)・マクロ経済学』に載った彼らの論文は、1000年には、当時の文書(writing)や鉄器といった諸要素によって、各民族(nation)の富はおおむね決定されていた、と示唆した。<(注6)>
 (注6)イースタリー(1957年~)はニューヨーク大学の経済学教授、コミンはハーヴァード大学の経営学准教授、コングはミドルベリー単科大学(Middlebury College)の経済学助教。
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Easterly
http://drfd.hbs.edu/fit/public/facultyInfo.do?facInfo=ovr&facId=438581
http://www.middlebury.edu/academics/econ/facultyofficehours/gong
→このような主張は、「技術的かつ社会的諸要素」の違いの文化論的ないし文明論的な由来を説明しなければ何も説明していないに等しい、と言わざるをえません。(太田)
 <また、>エンリコ・スポラオール(Enrico Spolaore)とロメイン・ワジアーグ(Romain Wacziarg)は掛け金を更に増やし、本当は全ては歴史以前(prehistory)に帰着すると示唆した。
 彼らは、『季刊経済学雑誌』上で、アフリカからの人類の移住と関係がある、と主張した。
 すなわち、共通の祖先から分かれてから時間が短い<集団が住んでいる>国々は、現在の所得に関する互いの差異が少ない、というのだ。<(注7)>・・・」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2012/03/05/onward_and_upward?page=full
(3月6日アクセス)
 (注7)スポラオールはタフト大学の経済学教授、ワジアーグはUCLAの経済学教授。
http://www.tufts.edu/~espola01/
http://www.anderson.ucla.edu/x18147.xml
→原論文は、2008年8月の下掲のようです。
http://www.tufts.edu/~espola01/
 数学的表現を用いて厳密な書き方をしているせいもありますが、とっつきにくい論文です。半分ちょっとに目を通しましたが、韜晦されているものの、要は、民族(より端的には「人種」)によって経済的豊かさの度合いが決定されるというものであり、イギリス(アングロサクソン)民族至上主義的なアブナイ主張ではあるが、かかる主張を上出の神経経済学と組み合わせることで、人種ないし民族が体現する文化ないし文明が、経済的豊かさ(や政治的成熟度)を決定する、ということを経験科学的に立証できる日が近いかもしれない気がしてきた、というのが私の率直なとりあえずの感想です。
 理数系に強い読者有志が、この論文に挑戦し、私のこの感想の妥当性を検証していただくとありがたいです。(太田)
(完)