太田述正コラム#5392(2012.3.31)
<松尾匡『商人道ノススメ』を読む(続)(その1)>(2012.7.16公開)
1 始めに
 コラム#5370で「松尾<匡>の考え方の根底にあるのは岸田<秀>の・・・日本人統合失調症・・・説であるようです」と記したところですが、たまたまコラム#4923で、読者・・松尾の本を提供してくれた読者とは別人・・がジェイン・ジェイコブズ(注1)の『市場の倫理 統治の倫理(Systems of Survival: A Dialogue on the Moral Foundations of Commerce and Politics)』を紹介していたくだりを思い出し、松尾の考え方の根底にある、というか、それなかりせば、松尾が『開放個人主義原理』と『身内集団原理』の二元論を言い出すことなどありえなかったところの、典拠がこの本であることにこれまで触れていなかったこと、従ってまた、この点に関連してのジェイコブズと松尾に対する批判をこれまで行っていなかったことに気付きました。
 (注1)Jane Jacobs。1916~2006年。米国「の女性ノンフィクション作家・ジャーナリスト。郊外都市開発などを論じ、また都心の荒廃を告発した運動家でもある。・・・ロバート・ソローは、<ジェイコブズの>著作「経済の本質」への書評で、<彼女>の批判対象についての無知と、きちんとした既存の資料を調査検証なしに、少数の逸話を過度に一般化する傾向について強く論難している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%82%BA
 松尾が、同じく自分の説を構築するにあたって大きく拠っているところの、岸田秀と同様、ジェイコブズも学問的訓練と学者間批判を受けたことがないことは、偶然の一致とは思えないものがある。 
 しかも、松尾は、ジェイコブズの場合、岸田の場合よりも更に困ったことに、ジェイコブズの「専門」分野以外の著作をもとに自分の説を構築したことになるわけだ。
 そこで、遅ればせながら、これをやろうと思い立ちました。
2 ジェイコブズの主張
 松尾は、『商人道のススメ』の中で、ジェイコブズに拠って以下の表を掲げています。(28頁)
・市場の倫理:暴力を締め出せ/自発的に合意せよ/正直たれ/他人や外国人とも気安く協力せよ/競争せよ/契約尊重/創意工夫の発揮/新規・発明を取り入れよ/効率を高めよ/快適と便利さの向上/目的のために異説を唱えよ/生産的目的に投資せよ/勤勉なれ/節倹たれ/楽観せよ。
・統治の倫理:取引を避けよ/勇敢であれ/規律遵守/伝統遵守/位階尊重/忠実たれ/復讐せよ/目的のためには欺け/余暇を豊かに使え/見栄を張れ/気前よく施せ/剛健たれ/運命甘受/名誉を尊べ。
 その上で、「市場の倫理(Commerce Syndrome)」はすなわち自分の言う商人道(開放個人主義原理の倫理)、「統治の倫理(Guardian Syndrome)」はすなわち自分の言う武士道(身内集団原理の倫理)である、とした上で、「ジェイコブズによれば、両者各々の系統の内部では徳目どうしが整合的に支えあっているが、両系統の間では徳目どうしが矛盾してしまう。そして両系統の徳目を適当にまぜあわせると最悪の腐敗が生じる」(28~29頁)としています。
3 松尾批判
 (1)身内集団原理(統治の倫理)は狩猟採集時代由来!?
 さて、このジェイコブズの本についてのウィキペディア(上記読者紹介)
http://en.wikipedia.org/wiki/Systems_of_Survival
によると、彼女は、統治の倫理は狩猟<採集>社会由来であるとしているので、この点も松尾は踏襲したことになります。
 身内集団原理の倫理(統治の倫理)が狩猟採集社会由来であるとの松尾の主張に対する批判は既に(コラム#5378で)行ったところです。(注2)
 (注2)ジェイコブズは、「狩猟者達は獲物を欺く(deceive)」(ウィキペディア上掲)から、としているが、「待ち伏せ攻撃する捕食動物は、通常、偽装と瞬時の動きでもって獲物を襲う。多くの種・・魚類、爬虫類、蜘蛛類、そして哺乳類さえ・・が待ち伏せ攻撃を行う捕食動物である、と考えられている」
http://www.wisegeek.com/what-is-an-ambush-predator.htm
ところ、だからと言って、これらの種が必ずしも同種同士で殺し合いをしたりするわけではない
http://potemkin.jp/archives/50437658.html
上、殺し合いをする場合があったとしても、その際に欺く(偽装して待ち伏せ攻撃する)とも限らないことを考えると、人類に関して、彼女が自分の本の中でどういう説明を行っているのか、はたまた説明を行っていないのか、知りたいところだ。
 より深刻な問題が2点あります。
 (2)松尾はジェイコブズをつまみ食い
 まず、松尾は、ジェイコブズが、市場の倫理と統治の論理は「どちらも有効(valid)であり必要(necessary)である」(ウィキペディア上掲)としているというのに、松尾は、現代日本について、それが身内集団崩壊時代にあるとした上で、「身内集団道徳<(=身内集団原理の倫理)>」、すなわち統治の倫理は、もはや「害悪」でしかないので、日本は、「開放個人主義原理の倫理や価値観・・・に転換する必要がある」(77~78頁)、と主張しているのですから、ジェイコブズの主張のつまみぐいをしていることになります。
 しかし、このようなつまみぐいをするのであれば、まずもって、この点について、ジェイコブズ批判を行わなければならないはずです。
 それをネグって平然としている松尾は、何度も同じ表現を繰り返して恐縮ですが、社会科学者としていかがなものか、という感を深くします。
 (3)松尾はジェイコブズ本を誤読?
 このつまみぐいと関係していると私が勘繰っているのが、松尾がジェイコブズの本を誤読している可能性です。
 ジェイコブズの本の翻訳者は、’Guardian Syndrome’ を「統治の倫理」ではなく「保護者症候群」と、’Commerce Syndrome’ を「市場の倫理」ではなく「商業症候群」と、そして ‘monstrous moral hybrids’を「最悪の腐敗」ではなく「道徳の恐るべき雑種」と、それぞれ直訳すべきであったのではないか、と私としては思います。
 皆さんにもお分かりでしょうが、どちらも、原文と邦訳とでは、ニュアンスが大きく異なってしまうからです。
 松尾は、(岸田の本とともに、)ジェイコブズのこの本に自分の主張の基本的な部分を負っているのですから、直接原書にあたって、自ら最適な訳語を考えるべきでした。
 しかし、松尾は、遺憾ながら、原書に一切目を通していないのではないでしょうか。(注3)
 (注3)そもそも、松尾は、『商人道ノススメ』の巻末の注の中で、日本語以外の文献(英語文献)をたったの3つしか挙げていない(279、278、277頁)。しかも、そのうちの一つは、三人の日本人による共同執筆論文(277頁)だ。
 壮大なテーマと取り組んだ本であることを考えると、松尾は英語文献から逃げている、としか思えない。
 私が何を言いたいかというと、松尾は、上記のように、キーワードを含め、誤訳に近い意訳をされた邦訳本しか読んでいないために、ジェイコブズの真意に反して、「保護者症候群」ならぬ「統治の倫理」を集団的なものであると誤解ないし曲解し、それを「身内集団原理の倫理」という言葉に置き換えたのではないか、ということです。
(続く)