太田述正コラム#5527(2012.6.9)
<私の現在の事情(続x17)>(2012.9.24公開)
1 始めに
 本日は、ピアノと物置等の話題ですが、前者との関連で、もっと後の時点で書くことにしていた事柄も記しておきたい、と思います。
2 私の現在の事情
 1345頃、新居の工務店の係員が訪れました。
 指摘してあったところの、ちょっとした瑕疵の確認に来たのです。(実際に修理するのは別の日になります。)
 ついでに、入り口から玄関内にかけて床に貼り付けてあった保護紙をはがしてもらうとともに、建築資材で残っていたものも持ち帰ってもらいました。
 更についでに、新居の裏の空き地に物置を設置してもらうことにしました。
 三菱地所の担当者に相談したところ、物置なんてホームセンターで買うべきものですよ、なんて彼が言っていたために、アクションを起こすのが遅れたものです。
 三菱地所の担当者と言えば、12日(火)に練馬のマンションのガス器具が使えるかどうかの点検に行ってくれることになっています。
 また、早くも、同マンションが売りに出されました。
http://realnet.mecyes.co.jp/buy/detail/B023110191206004 ←同社のホームページ
https://suumo.jp/jj/bukken/shosai/JJ012FD010/?ar=030&bs=011&nc=80904744 ←スーモ(国土交通省肝いりの公示)
 同マンションの外観写真は彼が6月5日に撮ったものですが、記述内容と言い、この写真と言い、買う気をそそるようにできていますねえ。
 なお、私がこの中古マンション(1982年建造)を買った時、すぐに賃貸に出したところ、刑務所長の官舎として使われたため、汚れませんでしたし、私が2001年に4か月間選挙事務所として使ってからは、ほとんど使われることがなくなり、特に2007年3月からは、5年以上、全く使われなかったのですから、年数の割には極め付きにきれいです。
 しかも、カーテンも照明器具も空調機も備わっていますから、やや高級志向のお一人様のオフィスレディーあたりにはうってつけですよ。
 さて、前口上はこれくらいにして、ピアノの話です。
 1100頃、アートコーポレーションの関連ピアノ運送会社の関連ピアノ修理会社から電話がありました。
 その内容は、
 「ピアノは、普通1音につき3つの弦であるところ、4つの弦(うち1つは共鳴弦)という珍しいピアノですね。4つの弦があると、とりわけ高音部の音に深みが出ます。また、共鳴盤の材質も優れており、そもそも、とても良いピアノです。4つの弦のピアノは、かつての東独と西独でしか作られていませんでした。このピアノのメーカーである東独のブリュッツナーは、日本のヤマハとカワイの世界制覇に伴って、次々につぶれていった会社の一つです。
 このピアノをまともに弾けるようにするためには、弦の総張替えとフェルトの総取り替えが必要であり、修理費は150万円から200万円かかります。
 なお、ピアノの表のひびも修理するのなら、更に40~50万円が上乗せになります。
 ただし、ひびを修理しなくても、音には影響はありません。
 特注部品もあるので、現時点ではアバウトな見積もりしかできません。
 ちなみに、これくらいの大きさのセミ・グランドピアノの新品は700万円はします。
 また、そもそも、弦やフェルトは、20~30年に1回は総とっかえすべきものです。(弾いておれば、弦もフェルトもいかれますし、逆に、このケースのように弾かないでおれば、弦は錆び、フェルトは虫が食います。)」
というものでした。
 そこで、詳細見積もりを求めることにしました。(ひびの修理はしないとの前提です。)
 なお、修理は、同社の相模原の「工場」に持ち込んで行うので、往復の運送費が21,000円x2かかり、修理が終わるのは2~3か月後になるのだそうです。
3 所感
 何とも贅沢な話だと思われたかもしれませんが、亡父の私への最大のプレゼントを無下に捨ててしまうわけにはいきませんし、捨てない以上は、弾ける状態にして、使わなければもったいな過ぎる、と考えた次第です。
 しかし、考えてみると、私は結婚して官舎住まいをするにあたって、当時の実家にこのピアノ・・当時は、4歳の時にピアノを始めた時のヤマハのアップライトピアノもあった・・と本類はすべて置いて行きました。
 私にとって結婚生活とは、ピアノなし、本なしの生活であった、ということです。
 (結婚相手は、音楽に余り関心がなく、本もライトノベル以外はほとんど読みませんでした。)
 とはいえ、当時の新宿/代々木の官舎と豊島区千早町の実家の間は車で30分もかかりませんでしたし、私もしょっちゅう実家に戻っていました。
 その都度、ピアノを弾いたり、本の出し入れをしたりしていたわけです。
 それが、母親がなくなり、また、官舎が三田に変わり、更に、父親が再婚するに伴って、実家に戻る頻度は次第に少なくなって行きました。
 やがて、父親が亡くなったために、(アップライトピアノを捨てた上で、)私は一旦ピアノと本類をトランクルームに預け、役所を退職して選挙に出、落選してから、選挙事務所として使った練馬のマンションにこのピアノと書籍類を移した、という経緯があります。
 2~3か月後にこのピアノが修理を終えて新居に運び入れられた暁には、31年ぶりにピアノと本に囲まれた生活に私は戻ることになります。
 私にとって、結婚生活は、長い長い迂回路だった、と言えそうです。
 もっとも、同じことが、私の裁判の相手にとっても言えるのかもしれませんがね・・。