太田述正コラム#5680(2012.8.24)
<戦前の衆議院(その12)>(2012.12.9公開)
 「・・・今日の国民生活の不安と云う問題は、之を一言にして盡せば、資本主義経済組織が一時代の役割を果たして、今日は下り坂になって、国民生活を支えて行く力を失って来たと云うことに帰着すると私は思うのであります。何故私がそう言うかと云えば、<欧州大戦の終わった後の>大正九年<(1920年)>の後半期に起こって来た恐慌以来、此の十数年間に日本の国民生活は全く一変して居る。私共社会運動を始めまして二十年になりまするが、此の二十年間は実際農民諸君、労働者諸君、或いは没落して来た所の中小商工業者諸君と、其の生活を兎に角一緒にして来たのである。支配階級から眺めた社会の世相と、其の実際の生活の線に沿うて戦って来た吾々とは、大分観方が違うのである。・・・馘首と云う・・・<のは>賃銀が安いか高いかと云う問題ではなしに、是は生死の問題である。農村に於いても最初は地主と小作人の問題でありましたけれども、何時の間にか小地主、自作農が非常な勢いで没落をして来て、遂に農村全体の窮迫と云うことが、今日は軍隊の中まで反映して行くようになって来た。・・・此の十数年間政権を取って居られた所の政友会、民政党の政府は此の政治的に解決を要する所の国民生活窮乏の問題に対して、何等の解決を施して呉れなかったのである。単に之を施さなかったばかりじゃない。少なくとも斯うした主張を持って議会に進出しようとする所の、其の新興階級の勢力は事実に於いて出る所の途が塞がれて居った。社会は茲に改革を要し、改革をする者が合法的に議会に出て、之を叫ぼうとする途が塞がれて居るならば、何処かに何等かの非合法的な爆発点が生まれざるを得ないのである。私は此の十年間日本の有為なる所の青年の中に、共産主義を懐くような青年が沢山出来て、そうしてそこに大きな犠牲を払わせられたと云うことも、意識はされないかも知れぬけれども、斯うした自然的な現象の結果であると私は信じて疑わない。
→麻生は、二大政党が(政争に明け暮れ)、大戦後の恐慌や大恐慌に苦しむ農村を中心とする民意をくみ上げ政策を展開することを怠ってきたことを糾弾しているわけです。
 麻生の反共意識がうかがえる箇所でもあります。(太田)
 更に斯の如き政府が続いた結果は遂に五・一五事件の勃発となり、最近の不祥事を惹起するに至った。冷かに考えて見まするならば、物の由って来る所には、それだけの社会的な原因があるのである。私共が今日自分のことを本当に自ら反省して、それを直すと云う気持ちにならなければ、此の非常時を解消することは出来ないと私は信じて居る。斯うした結果、齋藤内閣が生まれ、岡田内閣が生まれた。併し此の両内閣は此の生まれて来た所の事実を的確に認識することが出来ずして、徒に現状を維持し、もう一遍昔に還そうと云うような意図の下に政治を行った結果、国民大衆は失望し、不幸なる事件の後に現内閣が生まれたのであるが、首相は今日の非常時を正しく認識しなければならぬと言われるのである。」(171~173)
→五・一五事件後、せっかく挙国一致内閣ができたというのに、猟官と政争にあけくれる政党に迎合する政治が引き続き行われていることを指弾しているわけです。(太田)
 「・・・斯うした時代の認識に対して本当に非常時を考えられて居るならば、此の一つの気持ちを捉えて資本主義改革に向かっての一歩を踏み出される所の真の意思が、各閣僚の間にありや否やと云うことを私は御伺したいのである。私は第二点に於いて国防の問題に対して軍部大臣に御伺いをしたい。曩に陸軍省は「国防の本義」と其の強化と題する「パンフレット」<(コラム#2878、5372)>を出して、是から先の国防は単に軍備のみを以ては足りない、国民生活の真の安定と云うものが基礎にならなければ本当の国防は出来ない、国民生活安定の為に、若し今日の経済組織が邪魔になるならば、宜しく之を改造して、国民生活の安定の出来る経済組織を立つべしと云うのが、其の結論であったと私は思うのである。吾々は此の軍部の広義国防の立前に対しては、全く賛意を表するのでありますが、併しながら其の後に於ける所の予算の状態を見まするならば、或る意味に於いては軍部自らが此の広義国防の立前を蹂躙した精神に立って居わしまいかと云うことを、吾々は感ずるのである。動もすれば国民の中には、なに軍部は国民生活安定などと言うけれども、結局予算さえ取れば宜いのじゃないかと云う言葉が、ちらほらと聞こえて来るようになって来た。私は実に之を遺憾とする者である。考えて見まするならば、そう云うことはあってならないことであるけれども、万一将来に於いて世界の強国と強国との間に戦争が起こりまするならば、それは最早日清、日露のような単純な戦争ではあり得ない、世界戦争の経験を以てしましても、恐らく此の次は若しそう云う戦争が起こるならば、世界各国は恐らく大動乱であろうと思うのである。斯う云う深刻なる戦争は、真に水も漏らさない所の挙国一致の出来る立前を、其の国は其の国の制度の上に持って居なければ、此の深刻なる試練に耐えて、民族を守って行くことは不可能であると、私は考えるのであります。欧羅巴戦争の経験を見まするならばどうであるか。其の最後は結局単に戦いの勝敗に依らずして、一国の制度の崩壊の中に終わって居る国が多いのである。露西亜然り、独逸然り、其の他欧羅巴の多くの国は戦争の結末を、制度の崩壊、一国の崩壊の中に終わらしめて居る。私は此の現状を考える時に、万一そう云う場合に於いて、日本を絶対にああ云う結果に終わらしてはならぬと、自ら憂慮する者である。私は斯う云う意味に於いて、資本と云うものの非国家性を色々考える。・・・動もすれば国家を超越して利に走るのである。・・・資本主義は利潤に向かっては、動もすれば国を超越して其の利を追う結果は、利の在る所、国は如何になっても利に附いて外国にさえ走って行く危険を持って居るのである。露西亜の帝政末期に於ける革命前は、軍人の上層部と財閥と、斯う云うものが結託をして、遂に色々な収賄事件を起こし、其の為にそう云うことが暴露して、遂に革命の端緒を開いたと云うことを聞いて居る。」(174~175)
→麻生の言う非常時とは、経済的非常時であると同時に安全保障的非常時であったことが分かるくだりです。
 彼は、かかる非常時を好機として、日本における修正資本主義の実現を期そうとしていた、ということです。
 それにしても、彼が、あたかも、太平洋戦争の勃発とその帰趨をも予感していたかのようであることには驚きます。
 幸いなことに、彼は、日本に壊滅的な敗戦をもたらした太平洋戦争の勃発を目にする前に亡くなり、また、不幸なことに、彼は、この敗戦にもかかわらず、彼が実現に向けて腐心した日本の修正資本主義体制・・日本型政治経済体制・・が、崩壊することがなく維持されたのを見届けることなく亡くなったことになります。(太田)
(続く)