太田述正コラム#0131(2003.7.16)
<スペイン・ラテンアメリカとは何か(その1)>

 米国留学中の1975年の春休み、友人二人と一緒に私の車でメキシコ旅行に出かけました。サンフランシスコの近郊のスタンフォード大学からロサンゼルス、更にはカリフォルニア州最南端のサンディエゴへと一気に南下し、その日の午後のうちにメキシコのティファナに入りました。
 今でもその時のショックがまざまざと脳裏によみがえります。国境の検問所を通った瞬間、片道六車線のハイウェーが魔法のように消え失せ、片道二車線のでこぼこ舗装の道路に変わってしまったというショックです・・。少し行くと、工事中の区間となり、何と舗装道路どころか砂利道になってしまったのです。道の両脇に立ち並ぶ建物も小さく安普請で薄汚れた感じで、何もかもが米国とは様変わりでした。缶入りのコーラが姿を消し、瓶詰めコーラしかなくなったことにもびっくりしました。(ちなみに、同じ年の夏休みにはやはり車で今度は北のカナダにでかけたのですが、カナダのコーラは細長の小さい缶入りでした。)
 この時、米国はかつてイギリスの植民地だったし、メキシコはかつてスペインの植民地だったけれど、恐らくかつてのイギリスとスペインは文明を全く異にしたに違いない、という思いが頭をよぎりました。この時の思いが出発点となって私のアングロサクソン文明・欧州文明対置論へと至る、長い模索の旅が始まったのでした。
 
 実は、スペインとポルトガルというイベリア半島の二カ国、そして(メキシコを始めとする)ラテンアメリカ諸国は、かつて欧州文明の後進地域であっただけでなく、今もなお後進地域であり続けています。一人あたりGDPで申し上げると、欧州の非スラブ諸国、もしくは非正教諸国中ブービーがスペインで$14,730、ビリがポルトガルで$11,100ですが、ラテンアメリカ諸国に至っては、最も豊かなトリニダードトバゴですら$6,507、次点のメキシコが$6,154でしかありません。ちなみに米国は$35,317で、アングロサクソン諸国のトップです(The Military Balance 2002-2003による2001年の数字。但し、米国は2000年)。1975年当時も、相対的な状況はほぼ同じであったはずです。
 ですから私は、アングロサクソン文明に属する諸国のうちで最も豊かな国である米国と、(ラテンアメリカ諸国の中ではマシな方であるとは言え、)欧州文明に属する諸国のうちで最も貧しい国の一つであるメキシコとの落差を身にしみて味わったことになります。
 これは幸運なことでした。現在では英国より豊かな欧州諸国は少なくないので、私が旧大陸しか知らなかったとすれば、そもそもアングロサクソンと欧州の違いに関心を持つことはなかったかもしれないからです。
 しかし、19世紀までは、英国と欧州諸国の豊かさの違いには決定的なものがありました(コラム#54参照)。

 この二つの文明のかつての違いがどんなに大きかったか。そのことを改めて教えてくれるのが、ヘンリー・カーメン(Henry Kamen)による、「スペインの帝国への道」(Spain’s Road to Empire, The Making of a World Power 1492-1763, Penguin Books 2003(ハードカバー本は2002年))に至る一連のスペインの中近代史に関する著作です。
(続く)