太田述正コラム#5904(2012.12.14)
<日本の対米開戦はスターリンの陰謀?(その4)>(2013.3.31公開)
 (4)雪作戦の立案
 「・・・天皇は、米国やロシアによるところの、日本の経済的かつ軍事的諸利益、とりわけ、米国の石油へのアクセス、への脅威に屈服するようなことがあれば、自分の将校達に暗殺されることを恐れていた。
→ここは、コスターの言を書評子が果たして忠実に要約しているのかどうか定かではありませんが、終戦の玉音放送は昭和天皇が自ら言い出して行ったという史実
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81
を思い起こすにつけ、彼が、将校達に暗殺されることを恐れていたとも思えませんし、何よりも、当時の日本において、天皇は既に君臨すれども統治せぬ存在となっており、天皇の意思で外交・安全保障政策の基本が決まるようなことはありえなかったのであり、ナンセンスです。(太田)
 他方、ロシア人達は、予期されたところの、ドイツによる西方からの侵攻と同時に、日本の東方からの脅威にも対処する、というようなことはできないことを知っていた。
 <そもそも、>1939年のノモンハンにおける一連の小競り合いは、ソ連軍の深刻な諸弱点を暴露していた。
→ノモンハン事件でのソ連軍敗北を当然視していることは注目されます。(太田)
 KGBの前身であるNKVDは、米国との戦争が、日本をしてそのモンゴルとシベリアに係るその野心・・それが赤軍の25%を拘束していた・・をそらせるであろうこと、それがロシアをして、その全軍事力をドイツのために配備することを可能にすること、を知っていた。
 スターリンにとって幸いであったことに、彼の諜報機関は、米日戦争を引き起こすためには完全にふさわしいところの、米財務省の高級役人であるハリー・デクスター・ホワイトという「影響力ある工作員」を持っていた。・・・」(A)
 「・・・<1940年>の9月に、ローズベルトは、ニューファウンドランド島(Newfoundland)<(注11)>とバミューダ諸島(Bermuda)<(注12)等>での基地を得ることの見返りとして、第一次世界大戦の時の古い駆逐艦50隻を英国に送った。<(注13)>
 (注11)「カナダの東海岸に位置する大きな島<であり、>・・・ノース人<(バイキング)>の北米入植地のうち唯一、実際の入植跡が確認されている場所である。・・・1854年、ニューファンドランド植民地は責任政府の樹立をイギリス本国から認可された。・・・<ところが、>第一次大戦の戦費や大恐慌で苦境に陥り、1934年に責任政府を返上しロンドンの直轄植民地に戻ることになった。第二次世界大戦<中>・・・島の各地の岸辺に大西洋の兵站網を守るための<米>軍の基地ができ・・・た。・・・<そして、戦後の>住民投票で、・・・カナダ支持派<が>イギリス支持派<を>・・・僅差で<上回り、>1949年・・・カナダ<に>加入<し>た。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%B3%B6
 (注12)「北大西洋にある諸島でイギリスの海外領土<だが、>・・・<英>女王を国家元首とする独立国 (Commonwealth) に近<い。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%80%E8%AB%B8%E5%B3%B6
 (注13)駆逐艦と基地の交換協定 (Destroyers for Bases Agreement)。1940年5月にフランスがドイツに降伏した時、ローズベルトは、ニューファウンドランド、バミューダ、トリニダードにおいて、米国に空軍基地を貸与するよう英国に求めたところ、チャーチルが見返りを要求したため交渉は難航したが、9月の初頭にようやく交渉が妥結し、米国は、ニューファウンドランド(とその対岸のラブラドル)、バハマ諸島の東部、ジャマイカの南部海岸、セント・ルシアの西海岸、トリニダードの西海岸、アンティグア、及び英領ギアナのジョージタウンから50マイル以内、に米空軍基地を設けて99年間維持する権利と、バミューダ内の二箇所とニューファウンドランドの南部・東部海岸の英海空軍基地の共同使用権を与えられた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Destroyers_for_Bases_Agreement
 次いで、1941年3月には、ローズベルトは、武器貸与法(Lend-Lease Act)<(注14)(コラム#1383)>に調印し、<米国は、>英国に資金と軍事装備を提供することになった。・・・
 (注14)「<米>国が1941年から1945年にかけて、<英国、ソ連>、中国、フランスやその他の連合国に対して、・・・軍需物資を供給するプログラム・・・。1939年9月の第二次世界大戦勃発から18ヵ月後の1941年3月から開始された。
 総額501億ドル(2007年の価値に換算してほぼ7000億ドル)の物資が供給され、そのうち314億ドルが<英国>へ、113億ドルが<ソ連>へ、32億ドルがフランスへ、16億ドルが中国へ提供された。逆レンドリース(Reverse Lend Lease)は、航空基地を提供するなどアメリカに対するサービスで構成されている。額にして78億ドル相当で、そのうち68億ドルは<英国>と<英>連邦諸国によって提供された。・・・<ただし、>ソ連に対<する>・・・援助<は、見返りなしの>・・・「無条件の援助」<だった。>・・・
 <ちなみに、>1943年から1944年にかけて、<英国>の使用した弾薬の4分の1はレンドリースによるものであった。<英国>に対する援助物資のおよそ4分の1が航空機(特に輸送機)で、続いて食糧、車輌、船舶の順であった。
 <また、>ソ連は鉄道輸送に強く依存していたが、兵器生産に必死であったため戦争の全期間を通じてたったの92両の機関車しか生産できなかった。この点で、<米国>の支援した1,981両の機関車の意味が理解できる。同様に、<ソ連>空軍は18,700機の航空機を受け取り、これは<ソ連>の航空機生産の14%、軍用機の19%を占めた。赤軍の戦車のほとんどはソ連製であったが、<米国>からM3軽戦車、M3中戦車、M10駆逐戦車などが貸与され、特にM4中戦車は・・・エリート部隊である親衛戦車師団に優先配備された。兵站も何十万両もの<米国>製トラックによって支援されており、1945年の時点で赤軍に配備されたトラックの、ほぼ3分の2は<米国>製であった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%B3%95
 ソ連政府は、米国が戦争の埒外にとどまってくれて英国とフランスが敗北することを期待していたため、ローズベルトの米国を動員する計画に反対していたが、ドイツによる侵攻が始まる数日前にヒットラーを潜在的脅威とNKVDが見るに至った<ことで、考えを変えた>。・・・」(C)
 「・・・「雪作戦」は、日本を、ロシアではなく米国と戦わせるよう転換させるために、ロシアによって考案されたものだ。
 1941年6月22日にドイツがロシアを攻撃した後、スターリンは、日本に極東ロシアを攻撃させないことを欲し、日本をして米国攻撃を得心させるべく、自分の最良のスパイ達を用いた。
 <私が>自宅のコスターに電話でインタビューしたところ、彼は、ソ連は、<日本向けに>多くの軍事資源を控置していたので、ドイツとの戦争には敗れるだろうと考えていた、と私に伝えた。
 <ドイツの攻撃を受けた>1941年6月22日以降、ソ連は、連合国が欧州に二番目の戦線を開くことを欲していたが、自分達が脆弱な太平洋の下腹において第二戦線が開かれることは欲していなかったのだ。・・・」(B)
(続く)