太田述正コラム#5948(2013.1.5)
<クルド人の国の誕生近し?(その2)>(2013.4.22公開)
3 ロサンゼルスタイムスの記事
 この私の疑問をほぼ氷解させてくれたのが、前掲のロサンゼルスタイムスの記事です。
 ミソは、この記事が、英ガーディアン紙の中東特派員を40年間にわたって務めたデーヴィッド・ハースト(David Hirst)によって書かれていることです。
 それだけで、この記事の信憑性の高さは折り紙付きである、と言ってよいでしょう。
 この記事のさわりは次の通りです。
 「バグダッドのサバハ(Sabah)紙が、数週間前に驚くべき記事を掲載した。
 同紙の編集長のアブド・ジャバル・シャッバウト(Abd Jabbar Shabbout)は、今や、イラクのアラブ人とクルド人との間の「古くからの問題」を、「クルド国家」の設立によって解決する時であることを示唆したのだ。
 アラブの界隈で、かつて、このような異端の見解が、かくも公然と表明されたことを私は寡聞にして知らない。
 しかも、これは尋常なる界隈ではないのだ。
 なぜなら、サバハ紙はイラクのヌーリ・マリキ(Nouri Maliki)首相の代弁者なのだから。
 シャッバウトは、交渉によって「アラブとクルドの間のパートナーシップを平和的なやり方で終わらせる」ことまでをも示唆した。
 彼は、この提案をプランBと呼んだ。
 プランAは、サダム・フセインの没落以降に出現したところの、イラクの中央政府と北部イラクのクルド地区政府との間の「対話」だ。
 しかし、プランAは機能していない(getting nowhere)、と彼は言った。
 権力と権威、石油と天然資源、領域と境界、を巡る相違が余りにも大きいため、対話は何度も失敗した。
 シャッバウトによれば、12月には、イラク軍とクルドのペシュメルガ(peshmerga)とは極めて緊張した空気の下で対峙し、ほんのちょっとした計算違いの結果として、武力衝突がいつ起こっても不思議ではなかった。
 しかも、シャッバウトだけでなく、マリキ自身が、仮に戦争が勃発すれば、それは、フセインの下でそうであったような、単なるクルド叛徒とバグダッドとの間の戦争ということにはならず、「アラブ人とクルド人との間の民族的(ethnic)戦争」になるだろう、と警告したときている。・・・
 2008年から、トルコ首相のタイイップ・エルドアンは、それまでの政策を逆転させ、「<トルコと>イラクのクルディスタンとの間の「完全な経済的統合」を追求してきた。
 一方、トルコのイラク中央政府との関係は、容赦なく悪化してきており、シーア派のイラン、マリキのイラク、バシャール・アサドのシリアとヒズボラ、に対するに、シリアの反体制諸派(revolutionaries)、大部分のスンニ派アラブ諸国、及びトルコ自身、という中東の大権力闘争<という図式>において、<トルコとイラク中央政府の>両者はそれぞれ反対陣営に属している。
 このような闘争<の図式>の下、トルコのイラクのクルディスタンとの間の関係は、経済的なものだけから政治的かつ戦略的なものも含むものへと変化してきた。
 クルド人達は、これまでのトルコの変化は、同国をして、遠からず、本質的にシーア派たるマリキ体制と決別させ、分解しつつあるイラク国家の他の主要構成要素であるところの、スンニ派アラブ人と、より<トルコにとって>重要なクルド人のおのおのと別個に取引をし始めさせるだろうと信じている。
 その見返りとして、独立したクルディスタンは、<トルコにとって>喉から手が出る豊富で信頼できる石油の潜在的<輸入>源として、また、<トルコの>親切な(accommodating)同盟者かつトルコと敵対的なイラク/イランとの間の緩衝<地域>として、更には、(トルコ自身のそれに匹敵する異常なる進路変更(turnaround)だが、)<トルコが>PKKを封じ込め、PKKと戦うにあたっての協力者として、役に立ちうる。
 <ちなみに、>エルドアンは、バルザニに対し、形成途上にあるクルド国家にイラク軍が攻勢をかけてきた暁には、トルコは彼らを守るだろうと約束をした、とさえ言われている。
 もっとも、マリキが、本当にプランB、すなわち、クルド人達が自身の自由意思に従ってやりたいことをやらせるという地殻変動的姿勢をとること、を考慮しているのだとすれば、決してそんなことにはならならないだろうが・・。・・・」
→「2009年12月11日、憲法裁判所は、クルド人中心の民主社会党(DTP)の活動禁止を決定した。そして、党首を含む二人のDTP 議員を国会から追放するなどの措置をとった。この決定直後に、欧州連合(EU)は公党の禁止措置は有権者の権利を奪うものだと主張、当局の民主的な対応を求めた。14日、同国のエルドアン首相は、「問題があるのであれば、個人を罰するべきで、党そのものを禁止してはいけない」と憲法裁判所の決定を批判した。 17日、トルコ政府は、上記の憲法裁判所の決定にも拘わらず、国内のクルド人の権利拡大政策を継続することを明らかにした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%89%E4%BA%BA 前掲
 以上からも窺えるように、エルドアン政権は、トルコ国内のクルド人に対して宥和的姿勢を見せてきたところ、これは、EU加盟のためのポーズと見られがちですが、このロサンゼルスタイムス記事を踏まえれば、エルドアン政権の狙いは、それよりもはるかに広壮なものだと考えた方がよさそうです。
 すなわち、トルコ国内のクルド人のクルド的アイデンティティの追求を認め、その居住地区の少なくとも一部への自治権の付与をも考慮する一方で、イラクのクルド地区との経済的政治的戦略的な提携関係を深めるとともにそのイラクからの「独立」を事実上支援し、更には、シリアの反体制派を支援することで、シリアのクルド人地区との経済的政治的戦略的な提携関係の構築とそのシリアからの「独立」への環境整備を行い、将来的には、これらの三つのクルド人地区の連合体の形成ないし合併を、トルコとの国家連合的な枠組の下で実現させる、的な大謀略を、エルドアン政権は周到かつ慎重に推進してきた、と見るべきではないか、と思うに至った次第です。
 エルドアン政権は、イラクのマリキ中央政府が、同国のクルド地区をもて余し、その切り離しを考え始めていることも、かなり前から掴んでいたのではないでしょうか。
 シリア内戦も、実際のところ、エルドアン政権がしくんだ部分も相当あるのではないか、とさえ思えてきました。(太田)
(完)