太田述正コラム#6301(2013.7.1)
<皆さんとディスカッション(続x1947)>
<太田>(ツイッターより)
 米NSAがEU本部等を盗聴していた件について、欧州議会議長が米国を強く非難。
 EUからの詰問を受け、米国は調査の上回答すると約束。
http://edition.cnn.com/2013/06/30/world/europe/eu-nsa/index.html?hpt=hp_t1
 どう回答するか見ものだ。
 政府/自民党はともかく、維新まで、これまで本件で一言も発していないのには呆れたね。
<雪之丞>(同上)
 盗聴をやらせていた米政府が、それを暴露した元CIA職員をスパイにでっち上げて国際手配とは、その破廉恥さには恐れ入ります。
 オバマは黒人大統領以前に、盗聴国家の大統領。スパイをやらせながら、片方で核軍縮だなんて、冗談すぎる。
<bonkers_blunder>(同上)
 在米日本大使館も盗聴されていたようですが、外務省はどうすんでしょうか?↓
 東京新聞:米、日本大使館も盗聴 英紙「38の在米公館が対象」:国際(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013070101001218.html
< http://www.guardian.co.uk/world/2013/jun/30/nsa-leaks-us-bugging-european-allies >
<太田>(同上)
米NSAによる電話・インターネット盗聴は一日平均で独は3000万通(話)、仏は200万通(話)だって。
http://www.spiegel.de/international/germany/nsa-spies-on-500-million-german-data-connections-a-908648.html
 エシュロン非加盟国は全て盗聴の対象で、旧敵国は<一般の米同盟国の10倍盗聴されてるわけだ。
 <これは、中共、イラク、サウディアラビアを対象とする盗聴と同程度の濃密さだって。>
 人口比からいって、さしずめ、日本は4500万通(話)かな?
<太田>
 前掲の<>内のガーディアン記事は、NSA(かCIAかFBIかはっきりしない)が、駐米EU大使館の暗号FAXに盗聴装置を仕掛けてあるとしてるね。
 
 EUの司法「大臣」は、ルクセンブルグ人だが、米欧版TPP交渉をこのまま進めるのは困難と述べたぜ。
 ((軍事目的は置いといて、)もっぱら経済問題を扱ってるEUを盗聴するってんだから、テロ対策のため、ちゅう言い訳は通らないってワケ。)↓
 ・・・“Partners do not spy on each other,” said E.U. Commissioner for Justice Viviane Reding at a public event in Luxembourg on Sunday. “We cannot negotiate over a big transatlantic market if there is the slightest doubt that our partners are carrying out spying activities on the offices of our negotiators.”・・・
 <ところが、EUのIT「大臣」は英国人であるところ、(自国も米国とつるんで同じことをやっているから自国を擁護してるつもりなんだろが、)盗聴はされるものと自覚してたと語る。(こんな調子じゃ、英国が自ら脱退するより前に、英国、EUから追放されちゃうんじゃねーの。)↓>
 “E.U. trade negotiators have always assumed someone listened,” said Robert Madelin, the British Director General of the European Commission for Communications Networks, Content and Technology,・・・
http://www.washingtonpost.com/world/europe/eu-fury-on-allegations-of-us-spying/2013/06/30/8fe223e2-e1bc-11e2-8657-fdff0c195a79_print.html
http://www.spiegel.de/international/europe/eu-officials-furious-at-nsa-spying-in-brussels-and-germany-a-908614.html
 独連邦検事局は、米国によるドイツの盗聴に対する捜査を開始したって。↓
http://www.spiegel.de/international/germany/german-prosecutors-to-review-nsa-spying-allegations-a-908636.html
 他方、エクアドルはスノーデンの亡命を受け入れそうもなく、スノーデンは進退窮まってるんじゃないかってハナシだ。
 ベネズエラが亡命を受け入れる可能性が残ってるみたいだが、ロシアによって香港に強制送還されるのが一番彼にとっていいんじゃないかってカンジだな。↓
http://online.wsj.com/article/SB10001424127887324436104578577541805987304.html?mod=WSJWorld__LEFTTopStories
<Ckk87GpG0>(「たった一人の反乱」より)
 日本化した仏教についての太田さんのお考えは分かりました。ありがとうございます。
 さて、もう一つ興味深い動画があります。
 宮崎 哲弥&呉 智英 – 「つぎはぎ仏教入門」塾
http://www.youtube.com/watch?v=eDuFi_KeETU
 キリスト教と仏教の構造の違いや、仏教の原始経典である阿含経典で語られているところの、釈尊の根本的な教え(十二縁起(十二因縁)、善根(善因)、輪廻からの解脱、中道など)を分かりやすく説明しているのが良かったです。
 それと、キリスト教は、グーテンベルクの印刷技術の革新により、庶民が直接聖書に読めるようになって宗教改革(プロテスタント)が起こったりしたが、仏教では、聖書にあたる阿含経典の現代語訳さえ出ているのに、キリスト教の教会にあたるお寺や宗派が、大衆が原始経典を読むことを嫌がるために、大衆が原始経典を読んでおらず、仏教はキリスト教世界における宗教改革以前の段階で止まってしまっているという話は興味深かったです。
 動画の中で言及された富永仲基については↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E4%BB%B2%E5%9F%BA
 さて、上記の動画も踏まえたうえでですが、太田さんはコラム4662,4707,4768等で、仏教は人間主義的な生き方の勧めであるという主張をされていますが、その根拠としているのは、もっぱら(日本化した仏教と小乗的残滓も含めた)大乗仏教もしくは禅についてであって、原典としての仏教とは、また違うのではないかという疑問があります。
 原始仏教=阿含経典で語られているところの釈尊の教え(常人にとってその実践はとても厳しい)と、人間主義の関係性を見出すことが私にはどうもできません。
無我、一切の執着の滅却、一切の欲から解脱した心穏やかな状態=涅槃寂静、といった実践を伴うこれらの根本原理と人間主義との関係性を形にして明示していただくことは可能でしょうか?
<JoXp52dK0>(同上)
 <Ckk87GpG0>さんは仏教について相当お詳しいみたいなんで質問させて頂きたいんですが、初期仏教における「痛み」ってどんな扱いなんですか?
 悟り開けたら「痛み」なんて感じなくなる?
http://www.j-theravada.net/pali/key-pancakkandha.html
2.vedanakkhandha (ヴェーダナーッカンダ:受蘊<じゅうん>)
で、痛みについて色々書いてるけど意味解からん。
 解脱遠いわ。
<太田>
 受蘊は三科のうちの五蘊の一つであり、初期仏教じゃなくって、後の時代の部派仏教の教え
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E6%B4%BE%E4%BB%8F%E6%95%99
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%A7%91
だから、「初期仏教における「痛み」」云々というキミの疑問自体が成り立たないよ。
 さて、Ckk87GpG0クンの質問だが、仕方なく、引用されてるユーチューブ映像2本を全部視聴したけど、「興味深い動画」どころか、時間返してくれっドロボー、て叫びたいくらいだ。
 呉智英は仏教徒でないことを宣明しているからまだいいようなものの、宮崎哲弥の方は仏教徒であることを自認している以上は、Ckk87GpG0クンらの衆生を惑わした罪は大きいぞ。
 しかも、宮崎は、第三者から得られた仏教「知識」を売り物にしてそれでもっても稼いでる、という「煩悩」の塊のような人物らしいから、なおさらだ。
 この二人、とりわけ宮崎には、滑稽にも自らが言及しているところの、「わたくしが理法(教へ)を説いたとしても、もしも他の人々がわたくしのいうことを理解してくれなければ、わたくしには疲労が残るだけだ。わたくしには憂慮があるだけだ。」という釈迦の嘆き(梵天勧請)
http://budda.exblog.jp/3882488/
は、まさに彼のような輩に向けられているってことを痛切に自覚して欲しい。
 いいかい、「釈尊の教え(常人にとってその実践はとても厳しい)と、人間主義の関係性を見出すことが私にはどうもできません。」とCkk87GpG0クンは言うが、「釈尊の教え」が本当にそんなもんだったとすりゃ、釈迦の死後、仏教が成立し、生き延びることなんてありえなかっただろう。
 釈迦の弟子達が、「無我、一切の執着の滅却、一切の欲から解脱した心穏やかな状態=涅槃寂静、といった実践」がそれほど困難なことではないと感じたからこそ、彼らは釈迦の教えを残し、広めたいと思ったに違いないのさ。
 だって、釈迦の教えは、人間は本来的に人間主義的であることを発見するための方法論を説いたものであるところ、その方法論とは、簡素な生活(煩悩から解放された生活)を送り、瞑想に耽りなさい、というだけのことだったんだから、やる気さえあったら困難じゃないのは明白だろ。
 宮崎らが持ち出した十二縁起
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%9B%A0%E7%B8%81
にせよ、輪廻
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB
にせよ、釈迦が懇請されてしぶしぶ語った方便
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%BE%BF
に過ぎないと見るべきであって、宮崎クン、そんなものの「解説」に現を抜かすことなく、仏教に関する口説の徒であることを擲ち、自分自身が早く悟りを開き(=人間主義者になり)、その上で、阿羅漢
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%BE%85%E6%BC%A2
として、他人を悟りに誘いなさい(=人間主義的実践を行いなさい)って言ってやりたいね。
 以上を踏まえて、ボクの、悟り(解脱)=人間主義者になること(人間主義者であることを発見すること)、という論について、関連コラムを読み返して改めてよく考えて欲しい。
 多分、今度は納得できるハズだよ。
 ところで、人間主義者になること(人間主義者であることを発見すること)には、(簡素な生活を送ることは同じでも、)瞑想以外に芸術に接するという方法もある、とボクが指摘していることにからめて、大急ぎでの若干の補足をしておこう。
 すなわち、まさに、庶民に「解脱」させるためにこそ、仏教は積極的に芸術を提供してきたと言えるだろう。
 (キリスト教だって芸術を提供してきたが、教理が非人間主義的なものだったから、庶民を人間主義化する効率は悪かった、とボクは見ている。)
 初期の仏塔
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%91
を芸術と言えるかどうかはムツカシイところだが、日本の木製の五重塔
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%87%8D%E5%A1%94
に至って、それは芸術化した。
 仏教のヘレニズム文明との接触によって生まれた仏像
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%83%8F
については、最初から芸術だった。
 寺院建築についてもそうだ。
 インドのアジャンター石窟群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%9F%B3%E7%AA%9F%E7%BE%A4
やエローラ石窟群、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9
そして、ジャワのボロブドゥール遺跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%81%BA%E8%B7%A1
等を想起して欲しい。
 日本の平等院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%AD%89%E9%99%A2
に至り、それは単に木造の寺院建築として画期的であっただけでなく、浄土式庭園
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%BC%8F%E5%BA%AD%E5%9C%92
を伴ったことで、仏教芸術は一層綜合性を帯びるに至った。
 これが、後に禅寺の枯山水
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E5%B1%B1%E6%B0%B4
につながって行くことになる。
 (ちなみに、支那の寺院にはめぼしい庭園はなさそうだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_garden )
 また、声明(しょうみょう)は日本で生まれたと考えてもよさそうだが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E6%98%8E
これは、和歌を吟じた日本の伝統に根差すものとも考えられ、ここに、仏教による芸術の提供はその綜合性において頂点に達した、と言ってよいのではないか。
 人間主義を唱えた和辻哲郎が『古寺巡礼』
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E5%AF%BA%E5%B7%A1%E7%A4%BC-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%92%8C%E8%BE%BB-%E5%93%B2%E9%83%8E/dp/4003314417
を残した理由はもはや明白だろう。
 それでは、その他の記事の紹介です。
 維新、大分持ち直したね。↓
 「・・・参院選の投票をするとしたら、比例区ではどの政党またはどの政党の候補者に投票したいと思いますか。次に挙げる政党の中から一つだけ選んで下さい。
自民44(45)▽民主7(7)▽維新7(5)▽公明4(5)▽みんな7(6)▽共産5(4)▽生活1(1)▽社民3(2)・・・」
http://www.asahi.com/politics/update/0630/TKY201306300054.html
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太田述正コラム#6302(2013.7.1)
<世俗化をもたらした宗教改革?(その2)>
→非公開