太田述正コラム#6118(2013.3.31)
<第一次世界大戦の起源(その3)>(2013.7.16公開)
 (2)著者の第一次世界大戦観
 「クラークは、帰責(blame)ゲームを慎み、デーヴィッド・フロムキン(David Fromkin)<(注6)(コラム#53、6081)>の『Europe’s Last Summer<: Who started the Great War in 1914>』(2004年)をけなしつつ、アガサ・クリスティー的な言葉の綾と「犯罪の決定的証拠(smoking gun)」発見に倣うことを拒否する。
 (注6)1932年~。米国の著述家、法律家、歴史家。シカゴ大学、及び同大学ロースクール卒。ボストン大学の歴史・国際関係論・法の教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Fromkin
 彼はまた、『The Rise of Anglo-German Antagonism 1860-1914』(1980年)における、「全員が有責だとしたり誰も有責ではないとしたりして犯人捜しから逃げること」は「柔弱だ」という、ポール・ケネディ(Paul Kennedy)<(コラム#54、96、208、312、858、1141、3794)>による突撃に対して勇敢に立ち向かう。
 1960年代以来のコンセンサスは、ドイツを犯人と見るものだった。
 クラークは、ドイツ帝国が、意図的に、孤立から逃れ世界大国に向けての賭けをする手段として戦争を選んだというテーゼを水で薄めたバージョンが支配的であることを認めつつ、「ドイツ人達は、唯一の帝国主義者達でもなければ妄想症に陥っていた唯一の者達でもない」とコメントする。
 彼のバルカン<問題の>強調とオーストリア・ハンガリーの苦境への同情は、自ずから、ショーン・マクミーキン(Sean McMeekin)<(注7)>が『The Russian Origins of the First World War』(2011年)で際立たせたところの、ロシアの諸政策と諸行動に対する議論へと導く。
 (注7)彼の経歴は分からなかった。どなたでも、ご教示いただけるとありがたい。
 しかし、クラークにとっては、有責者達は存在しないのだ。
 有責者の探索は、首尾一貫した諸意図を持った有責意思決定者達が存在したという考えへと導くが、実際には、諸意思決定を行う力と能力を備えた人々が欠如していたことこそが問題だったのだ。
 どこかの国の政治家達と将軍達が意図的に大紛争に向けて動いたどころか、欧州はそれに向かって夢遊病的に進んだ。
 参戦した諸国家中、真に責任のある国は一国もなかったのだ。・・・
 ・・・1914年の主人公達は、「警戒はしつつも見てはおらず、夢に憑りつかれ、彼らが世界にもたらそうとしていたところの戦慄的なものの実際について盲目であった、夢遊病者達であった、とする彼の結論」は、人々が戦争を意図的に計画したというシナリオよりも憂慮させるものがある。」(C)
 「クラーク氏は、諸主要国家、とりわけ、ロシア、オーストリア、そしてドイツの君主達が、主要な諸意思決定の効果的な調整点となっていたことを強調するが、彼らは、自分達の権威を押し付けることが困難であることを見出した。
 彼らの諸政府の中の利益諸集団が自分達自身が望む諸目的に政策を向けさせようと画策した。
 ロシアでは、皇帝は、自分自身の路線を定めるために必要な気質ないし知識を欠いており、競争しあっていた諸派の間で揺れ動き、最終的には強硬派と彼らのフランスのパートナー達を支持した。
 ドイツでは、大臣達が常軌を逸した皇帝ウィルヘルムを政策的諸意思決定から排除した。
 その修辞がどれほど強硬であっても、ウィルヘルムは戦争が現実性を帯びて来るといつもひるんだが、彼の政府内の軍事諸派はひるむことはなかった。」(A)
 「最近まで、多くの歴史家達は、<第一次世界大戦の起源について>の疑問は永久的に解決したと信じていた。
 出現しつつあったコンセンサスは、ドイツがロシアの力の増大に対する恐れから戦争を欲していた、というものだった。
 第一次世界大戦狂達にとって幸いなことに、このどんどん不毛になりつつあったところの、ドイツ中心的正統派的学説は、<クラークによる>新しい研究の重みによって押しつぶされつつある。」(D)
 「クラークは、硬直化した同盟下の諸約束、急速に成長を遂げつつあった軍事化された欧州大陸における予防戦争への諸誘惑、専制的意思決定の諸特異性、といった基本的な構造的諸原因の重要性は認める。
 しかし、これらの諸要因だけでは戦争<の勃発>を説明することはできず、むしろ<これらの諸要因は>平和をもたらした可能性すらある、と彼は信じている。
 彼は、一つ一つは、全くもって不可避ではなく、しかも多くの場合起こりえなかったにもかかわらず、関与した意思決定者達がしばしば完全に合理的には行動しなかったことによる、これら諸要素の複雑な結合の中からこの戦争は出現した、と主張する。
 彼らは、力の諸幻想、彼らの諸敵についてのステレオタイプ、そして時代遅れの主権の諸概念に耽溺していた。
 彼らは、束の間の国内の諸連合の諸要求に屈した。
 そして、彼らは、時にこれと言った理由もないのに、自分達の環境を誤認した。
 これら全てにおいて、これらの指導者達は、自分達がまさに発動しようとしていた戦争の戦慄的な帰結について一般に無自覚であるところの、夢遊病者達だった。
 この解釈は、第一次世界大戦について、現代歴史学が向かいつつあった方向に合致しているだけでなく、現代の諸紛争における意思決定<の様相>と驚くほど似ていて若干の違いしかないことをはっきりと示している。」(H)
(続く)