太田述正コラム#6140(2013.4.11)
<太平洋戦争における米兵のPTSD(その10)>(2013.7.27公開)
 この<ローズベルトの>態度は、移民一般、とりわけアジア系移民に関する彼の諸見解として知られているところのものとぴったり符合している。
 1920年に行われたインタビューの一つで、彼は、移民が都市を「混雑させている」ことをこぼし、「これを正すには、外国人達をこの国の各所に散らばらせることしかない」と述べている。
 1920年代の・・・一連の記事の中で、彼は、「非同化的な(non-assimilable)」移民達に米市民権を与えることに対して警告し、「アジア人の血を欧州人または米国人の血と混淆させると、10中9のケースで最も不幸な結果が招来される」との理由で日系移民に反対した。
 彼は、将来の移民は、「正しい種類の血」を持った者に限定されるべきことを推奨した。
 第二次世界大戦中における、ローズベルトによる、数千もの日系米国人の収容所への投獄の決定は、アジア人は彼らを信頼がおけなくするところの生来の人種的諸特徴を持っているとの彼の認識と整合性がある。
 同様、ユダヤ人の生来的諸特徴と解していたように思われるものを、彼は、明らかに侮蔑でもって見ていた。
 顕著な数のユダヤ系ないしアジア系の移民を認めることは、ローズベルトが抱いていた米国についての見解(vision)にとっては好ましくなかった(did not fit comfortably in)のだ。
 彼以外の米国の大統領達もユダヤ人について非友好的言明を行ってきた。
 ハリー・トルーマンが付けていた日記の中に、「ユダヤ人は、極め付きに利己的であることを私は見出した」といった記述がある。
 <また、>リチャード・ニクソンによる、ユダヤ人は「極めて攻撃的で不快だ(obnoxious)」という公然たる非難が、遅ればせながら、大統領執務室内での会話のテープによって明らかにされたところだ。」
 「ローズベルト時代からトルーマン時代にかけて、米国の自由民主主義の繁栄は国内での人種差別と国外での<ソ連等の>独裁者との癒着によって達成された」ことはまず間違いない(コラム#6059.#6121も参照)ところ、私が「当時の米国の人種主義は対外的にも貫徹されていて、そのこともあって、ローズベルトはソ連と手を結んだ<のだ>」と指摘した(コラム#6059)ことを覚えておられると思います。
 このシリーズでご紹介した、ローズベルト等の人種主義者ぶりを踏まえれば、上記の私の指摘は、完全に裏付けられたと言ってよいでしょう。
 そうである以上、先の大戦における日米戦争に関しては、日本の方が道徳的高みに立っていた、と断定してよさそうだ、ということです。
 最後に、杉原千畝がらみで、若干の補足しておきましょう。
 「「杉原手記」のなかで、「この国の内幕が分かってきました。若い職業軍人が狭い了見で事を運び、無理強いしているのを見ていやになった」と、千畝は述べている。ソ連と関東軍の双方から忌避された千畝は、満州国外交部を辞めた理由を尋ねられた際、関東軍の横暴に対する憤慨から、「日本人は中国人に対してひどい扱いをしている。同じ人間だと思っていない。それが、がまんできなかったんだ」と幸子夫人に答えている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
 陸軍批判については、ノンキャリの杉原を冷遇し、あろうことか、戦後、杉原を馘首したところの外務省に対する、「万事勉強不足で有名な外務省」という彼自身による批判と一対のものとして読むべきであり、外務省が日本の国内事情についても支那等の外国の事情についても不勉強な故に、「若い職業軍人が<自分の>了見で事を運び、無理強いし」なければならなかったということでしょう。
 問題は、杉原の言及するところの、戦前の日本人が支那人を「同じ人間だと思っていな」かった点です。
 世界中の民族の中で最も人種主義的でないはずの人間主義者たる日本人が、しかも、杉原が学んだハルビン学院がそうであったように、教育の場等で、人間主義者たるべきことを繰り返し教え諭されていた日本人の多くが、どうしてそんな支那人観を抱くに至っていたのでしょうか。
 そんな支那人観を多くの日本人が抱くに至っていたからこそ、日支戦争の間に、日本軍は組織として支那兵捕虜の殺害をさして良心的呵責を感じることなく行い、また、個々の兵士の少なからざる部分が、支那一般住民に対し、強姦を含む暴行陵虐を「嬉々として」行ったのでしょう。
 その理由についての私見はここでは繰り返しません。
 とにもかくにも、日本人は、その説明を行うことが求められています。
 それに成功して初めて、日本人は、(杉原等に言及しつつ、)胸を張って、日本が先の大戦において、米国のみならず、あらゆる戦争相手に対して道徳的高みに立っていたことを宣言することができる、と思うのです。
(完)