太田述正コラム#0174(2003.10.22)
<アラディン通信:イラクと日本の関係(その3)>

 アラデディン・タイムール氏によるコラムの三回目です。
                               太田述正
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FROM JAPAN with LOVE(日本より愛を込めて)
                          By Aladdin Timur
イラクと日本の関係(その3)
―MIG15戦闘機―   
私が操縦した経験ではソ連のMIG15戦闘機は名機でしたが、1960年代の始め頃には、中東においてさえ、もはやはおもちゃ扱いされていました。すでにMIG 17, 19そしてデルタウイング式の21型が出廻っていた頃の話です。ちなみに、エジプトは中東の軍事大国ですからシリアよりも一足早いペースで最新のソ連の兵器が入ってきていましたが、当時の最新鋭のMIG21は、パイロットの中でもエース級しか搭乗することが許されなかったので、たまにしかお目にかかれませんでした。
一般にはあまり知られていないことですが、MIG15の最大の欠点は「全天候下で使えない」ということです。MIG15を始めとするMIGシリーズの初期のものは、雨の時と夜間はダメ、という極めて原始的な代物だったのです。
MIGシリーズの話は、このコラムの中でまた取り上げるつもりです。
―軍事と利権―
「良い子の朝御飯、ケロッグ・コーンフレークス」というCMのキャッチフレーズを懐かしく感じる世代の人もおられるでしょう。私がMIG21に搭乗してさまざまな体験を重ねていたのと同じ時期に日本ではこの可愛いCMが盛んに流れていました。その頃を思い出しますね。
ところが今、このCMのイメージにはそぐわないのですが、ケロッグ社が(ブラウン社と合併して)KBRとして、イラク駐留米軍のケータリングサービス、衣類の洗濯から食料、歯磨きセット類の供給等まで、生活に必要なありとあらゆる備品の供給を請け負っています。巨大なカネと力が動いているのです。
実はKBRはハリバートンの小会社です。チェイニ??現米副大統領はハリバートンの重役手当を現在もなおもらっています。これはアメリカでもちょっとした「話題」になっています。しかも、アリバートンの関連企業の役員リストにはそうそうたる元高官達が名をつらねています。
「アイク(IKE)」の愛称で親しまれたアイゼンハワ??米大統領は、1960年の安保闘争騒ぎで来日を断念しましたが、その、アイクが最も懸念していたこの「軍産複合体」の構図が、米国で1980年代の始めからより鮮明になってきています。
このように米軍と企業が癒着していることにイラクの人々は気付いています。私が最も懸念しているのは、これから行われる日本のイラク復興支援も米国のそれと同じようなものだ、とイラクの人々に誤解されることです。
イラクの人達から見れば、米軍の攻撃がなかったなら、そもそも「復興支援」など必要ないわけです。そもそも、米軍の攻撃以前には最低限の電気、水、食料は確保されていました。もっと言えば、一方的に米軍が土足でイラクに上がって来て、劣化ウラン弾やクラスター爆弾(デイジーカッター)で罪のない多くの人々を殺したのがこの戦争です。イラクの人達にとって、米軍によるイラク占領の「屈辱」は今もなお継続しています。その上、テロリストが入り込み、イラクは無法地帯になってしまいました。このすべては米軍の攻撃から始まったのです。
だから、米軍主導型の復興支援にイラク国民は強い拒絶反応を示しているのです。国際社会の大勢も米軍による占領体制への協力を拒み続けているのはご承知のとおりです。その上、こういう状態を奇荷として第三の勢力が更なるトラブルを起こしています。この連鎖がイラクでは続いているということです。
私は1950年代の後半に英特殊部隊(SAS)の訓練法をエジプトのエリート空挺部隊たる25師団等に採用、普及させた人間ですが、今、イラク国内に進出している「復興支援」企業の安全を守るセキュリティ会社の元SAS隊員の数が、本国イギリスの現役SAS部隊の人数を上回っているということはご存じでしょうか。驚きますね。ちなみに、彼らの一日の手取り手当ては600??700ドルだそうです。ただ、リーダー格のS君が苦笑いしています。「こんなことはいつまでも続かない」と。同じ仕事をイラク人は一月60ドルでこなすのですから…….。
たまりかねてイラク駐留駐留米軍の司令官、が独断で米企業の6百万ドルの見積もりをけってイラク人に3万ドルでこの事業をこなしてもらったというケースも出てきているくらいです。軍事に「利権」はつきものなのです。
―日本のイラク復興支援のあり方??
当然のことですが、日本の出すお金は日本の納税者から集めたものです。ですから、責任を持ってそのお金の行方と復興効果を公表することが重要です。日本の人道支援は、あくまでも国際社会の一員として国連主導の下で行われるべきです。米国のいかなる圧力に屈することなく、主権国家としての決断の結果としてイラク復興支援をやる、というスタンスを日本は明確に打ち出すべきです。
その上でこの日本のスタンスを、イラクや周辺のアラブイスラム諸国に理解してもらう必要があります。
91年に日本は140億ドルもクウェート解放のための湾岸戦争に拠出しながら、その感謝リストから外された、という重い事実をどう受け止めるかが改めて問われているのです。

―危うい日本―

アルジャジ-ラ衛星TVの報道によると、オサマ・ビン・ラデンが日本に警告を発したそうです。米国の「罪」にこれ以上荷担したら日本への攻撃も辞さない、と。日本は、ビン・ラデンであろうと誰であろうと反感をかう理由などないことを堂々と世界に表明すべきです。
数年前、筑波大学のI教授が、イスラム圏ではタブーとされていた「悪魔の唄」(サルマン・ラシュディー著)という本を、翻訳しないように警告されていたにもかかわらず、警告を無視し、日本語に翻訳して殺されました。
価値観の相違を侮ってはいけません。
アラブ世界では「兵器(へいき)」より「息(いき)」で守るのだという原則があります。自分の立場と相手の立場をお互いによく理解しあえば「兵器」など無用だ、という原則です。
日本は、日本の立場を理解させようという気持ちは持っていますが、日本以外の人々の価値観を尊重した上で行動する機能とノウハウを持っていません。
先日イラクから帰国した何回目かの日本の調査団、およびイラク駐在のオランダ部隊の司令官から、それぞれ自衛隊との協力体制の構築をうたう発表がありました。しかし、自衛隊とオランダ部隊の組み合わせ、と聞くと私にはすぐ思い出す事件があります。
数年前、ボスニア紛争の最中にNATO軍がセルビアを叩くことになった時、改良型MIG21/23型でセルビアの移動式ミサイル発射台を攻撃するのでこれにパイロットとしてこれに参加しないか、と私にお誘いがありました。結局参加はしませんでしたが、その後、ボスニアの安全地帯で虐殺が起きてしまいました。国連の日本人高官のA氏が軽装備のオランダ部隊しかいない区域を「安全地帯」と宣言したため、イスラム系住民がここに逃げ込み、セルビア人勢力がオランダ兵を人質にして住民を何千人も虐殺した事件です。
世界では、「A氏を国際刑事裁判に引きずり出せ!」と言っている人々も多く、当時の英BBCはTVドキュメンタリ-で、生々しい悲劇を克明にしっかりと写し出すとともに、A氏を名指しで告発しています。
その元国連高官のA氏は現在、日本国内で良いポストに天下って「安全」に毎日を送っています。
―終わりに??
諸刃の剣のように、無頓着さと背中合わせの目覚ましい能力が日本には備わっています。他国に真似できない日本の創造性をイラク復興や自衛隊派遣でいかに発揮させるか、が問われています。
日産はゴ-ン社長を起爆剤として再起しました。が、いくらゴーンさんといえども、日産のやる気のある優秀なスタッフの実力を発揮させるチャンスに恵まれなければ成功をおさめることはできなかったでしょう。
そのためにも日本の壮年よ、大志を抱け!