太田述正コラム#6212(2013.5.17)
<米孤立主義とリンドバーグ(その5)>(2013.9.1公開)
 (4)ローズベルト
 「政府の中では、介入主義者達は、陸軍長官のヘンリー・スティムソン(Henry Stimson)<(コラム#2498、3796、4464、4671、4923、5148、5153)>とローズベルトによって支援されていた。
 しかし、オルソンは、ローズベルトは、一般に記憶されているよりはるかに臆病だった、と主張する。
 ニューディールを指導した際の大胆さと比べて、「日本が米国土に攻撃を仕掛ける前の2年間は、特に用心深くしり込みしがちだった」とオルソンは記す。」(B)
 「ローズベルトは、米議会の民主党議員達と共和党議員達が、一緒になって、社会保障を含む彼の国内諸計画を支持する判事達を大勢任命する形で米最高裁の判事数を増やそうという彼の試みを挫折させ、それに彼が脅威を感じた時以来、政治的趨勢(political curve)より先んじることを行うのを尻込みしがちになった、というわけだ。
 1936年に、彼は、地滑り的再選を果たしていたにもかかわらず・・。
 こういうわけで、ローズベルトは、余っていたところの、第一次世界大戦時の駆逐艦群を英国に引き渡すことを躊躇した挙句、最終的に、カリブ海における英国の基地群<の米国への供与>を見返りとしてそうすることに同意した。
 彼は、連合諸国(Allies)を助けるための武器貸与法(Lend-Lease Act)<(コラム#1383、5904)>を米議会で通すことに成功したが、それを実行するペースは狂気じみた遅さだった。
 <また、>彼は、平時の徴兵制を勝ち取ったものの、それを延長することに対してはあいまいな態度をとった。
 彼による公的諸声明はしばしば大胆なものだったが、同じくらいしばしば、その声明の後に彼がやることと言えば、熱意があるのかないのか分からない感じだった。
 そして、しばしば、彼は何も言おう<(声明しよう)>とすらしなかった。
第一次世界大戦時の駆逐艦で商船団に随伴していたところの、ルーベン・ジェームズ(Reuben James)<(注20)>を大西洋上でドイツのUボートが撃沈し、115名の米国人の命が失われた後でさえ、ローズベルトは奇妙なほど沈黙を守った。・・・
 (注20)「第二次世界大戦が始まると、ルーベン・ジェームズは中立パトロールに参加し大西洋、カリブ海での船団護衛に従事した。1941年3月にルーベン・ジェームズはイギリス向け物資の保護を目的として設立された船団護衛部隊に加わる。この護衛部隊はアイスランドまでの船団護衛を行い、アイスランド以降はイギリス海軍の護衛部隊が任務を引き継いだ。・・・10月31日の05:25、ルーベン・ジェームズはドイツ潜水艦U-552より雷撃を受け<、>・・・沈んだ。艦長・・・を含む115名が死亡し、44名が救出された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)
 仮に日本が米国を真珠湾で攻撃しなかったならば、フランクリン・D・ローズベルト大統領は、傍観し続けることで良しとしたかもしれないように見える。・・・
 沿岸部から物理的に遠い諸地域、とりわけ中西部諸州、は一番孤立主義的だった。
 我々が学んだところによれば、真珠湾に停泊していた米艦隊を英国行きの船団を守るために大西洋に移して欲しいとの累次の懇願をローズベルトが拒絶した後に起こったところの、日本によるこの艦隊への攻撃によって、以上の全てが変わったのだ。・・・
 オルソンの記述は、我々に一つの疑問を残す。
 仮にドイツが対米宣戦をしなかったとならば、果たして米国は欧州での戦争に赴いただろうか、という疑問だ。
 その答えは、次のごとくであるように思える。
 すなわち、<米国は、>ことによると(maybe)そうしたかもしれないどころか、十中八九は(probably)はそうしなかったことだろう。」(C)
→このシリーズ冒頭でも触れたところの、ローズベルトの人種主主義性についてはここでは繰り返しません。
 結局のところ、当時の米国の孤立主義(非介入主義)も介入主義も、どちらも人種主義に立脚していたのですから、それは、あくまでも白人圏である地理的意味での欧州に関する対立軸なのであって、(モンロー宣言の時代から明らかなように、)有色人種の住む、米国の裏庭たる中南米に対しては介入主義しかなかったところ、理の当然として、有色人種が住む、東アジア等の世界のその他の地域に対しても、介入主義しかありえなかったわけです。
 ですから、東アジアにおける日支間の紛争に関しては、米国のローズベルト政権は、介入主義的に、一貫して支那(の蒋介石政権)の側に物心両面の支援を与えることを躊躇せず、ついにはフライングタイガーという偽装米軍部隊を派遣して日本と戦わせることまでやってのけたのです。
 たまりかねた日本が窮鼠猫を噛む思いで対米開戦をするや、有色人種の国が米国にはむかったというので、米国の指導層が・・国民一般もそうですたが・・殆んど全員一致して、即刻、対日戦争に全力を挙げることになったのは、当然のことだったわけです。
 なお、日本がナチスドイツに共同対米開戦を事前に求めず単独で対米英開戦に打って出たことも、ナチスドイツが日本の対英米開戦直後に対米宣戦をしたのも、どちらも、改めて、摩訶不思議な話であると思います。
 後者については、ヒットラーの気まぐれによる戦略的大失策であったことに間違いありませんが、前者については余り研究がなされていないのではないでしょうか。
 私は、三国同盟は、日本として、(潜在)敵の敵と便宜上結んだだけで、ドイツに対して強い不信感があったところ、それはドイツとしても同じであり、だからこそ、ドイツは対ソ開戦を日本に事前通知すらせずに敢行したのであり、このこともあって、日本も対米英開戦をドイツに(事前協議どころか)事前通知すらせずに敢行した、と見ている次第です。(太田)
(続く)