太田述正コラム#6324(2013.7.12)
<日進月歩の人間科学(続x32)(その6)>(2013.10.27公開)
 日本の中性文化については、約3年半前にコラム#3072で読者諸公によるまとめがなされてから、取り上げておらず、当時気付いていた、或いは指摘された問題点の解明をネグったままですが、ここでは、日本の中性文化を所与のものと受け止め、それが、男性の性衝動の減殺に資すことから、回りまわって女性の性への貪欲さの顕在化を防止している面があることに注意を喚起したいと思います。
 
 和服(着物)が男女同じであるとの武田佐知子の指摘を(コラム#6306で)紹介したところですが、それは、女性から、衣類によって男性にセックスアピールする手段の大半を奪っています。(せいぜい、色や柄でアピールできるだけだ、ということです。)
 つまり、和服の特性上、バスト(注6)やくびれ(注7)やスカートのチラリズムで、男性にアピールすることができないわけです。
 (注6)「古来、日本の文化では、女性の乳房は大きすぎない方がよいとされていた。これは乳房が大き過ぎると、伝統的な衣服である和服を着用する際にずんぐりとした体に見える上、不様に着崩れしやすく、粋な美しさがなくなると考えられたためである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A7%E4%B9%B3
 (注7)欧州で生まれた「コルセット<は、>・・・ヒップの豊かさの強調と対比的に、胴の部分を細く見せ<るのが目的だっ>た。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88
 また、日本の舞踊である舞い、踊り、振りのいずれも、振り付けには男女の違いが殆んどありませんし、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%9E%E8%B8%8A
男女が一対一で組んで踊るものもありません。
 これでは、女性は舞踊でもって、男性を誘ったり、とりわけ、特定の男性を誘ったりするのは容易ではありません。(注8)
 (注8)欧州には、女性ダンサーにストリップめいた衣装をつけさせ振りをさせるバレエ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8
があるし、男女が一体一で組んで踊る社交ダンス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9
も盛んだ。
 このようなことは、日本の男性の性衝動の減殺、ひいては男性の中性化に資しただけでなく、女性にも中性化を促すとともに、その性への貪欲さの顕在化への強力なブレーキとして作用した、と、私は考えるに至っています。
 本来は、欧米以外の衣類や舞踊とも比較しなければならないのですが、私の能力と時間には限りがあるので、基本的にパスさせていただきます。
 ここで、予想される疑問は、どうして、女性の性への貪欲さの顕在化の抑制を旨としてきた欧州において、衣類や舞踊における男女区別、そして、かかる区別を活用したところの、女性から男性へのセックスアピール、そして誘い、を認めたのか、でしょうね。
 とりあえずの私のお答えは、女性の性への貪欲さの潜在化に成功し、男性も女性も女性の性の貪欲さを忘れてしまったという状況の下で、基本的に男性にだけしかないということとされた性衝動を男性がバーチャルに満足させるとともに、男性に対し、一方的に女性を選択させ、性衝動をアクチュアルに満足させるきっかけを提供するため、です。(注9)
 (注9)「中世のヨーロッパでは高貴な女性は貧乳が是とされた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A7%E4%B9%B3 前掲
ということから、欧米では、一夫一婦制の相手方にはセックスアピールを求めず、性衝動を充たすための相手方にはそれを求めたことが窺われる。
 つまり、中性化は、日本が(本来)究極の男女平等社会であったことを示しているのに対し、男女区別は、欧米が(本来)究極の男女差別社会であったことを示している、と私は考えるのです。(注10)
 
 (注10)支那の漢人社会もまた、(本来)究極の男女差別社会であったことを象徴するのが、かつてのそのグロテスクな纏足文化だ。
 「纏足文化ができた原因は、小さい足の女性の方が美しいと考えられたからである。・・・足が小さければ走ることは困難となり、そこに女性の弱弱しさが求められ<、また、>・・・それにより貴族階級では女性を外に出られない状況を作り貞節を維持しやすくした・・・<更にまた、>バランスをとるために、内股の筋肉が発達するため、女性の局部の筋肉も発達すると考えられていた」からだが、実のところ、この点でも支那と欧米は意外に似通っている。
 欧州「でも、大きな足は労働者階級のものという認識があり、貴族階級では小さな足が好まれた。特に17世紀、ヨーロッパでバレエが流行・定着して以降は、きついバレエシューズによって小さくなった足は、貴族の証となっていく。人によっては、冷水に足を浸けて小さい靴に無理矢理足を入れていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%8F%E8%B6%B3
 ところで、明治維新以降の欧米化政策、つまりは男女差別政策と、先の大戦における男女の役割分担の明確化、の名残、及び、都市化等による夜這い文化の消滅により、縄文モード下にあるにもかかわらず、現在の日本が男女差別社会の様相を呈していることはご承知の通りです。
 (とはいえ、世界では稀なことに、家庭では女性が財布を握っているのが通例であり(典拠省略)、このような点からも、縄文時代に由来するところの、日本の男女平等性、より正確には、女性優位の男女平等性が、日本で完全に失われているわけではありません。)
 しかも、欧米化に伴い、日本で、男女の衣服は欧米並みに区別されるようになっていますし、欧米流のダンスも普及するに至っています。
 そういう中で、私に言わせれば、新たな中性化手段が日本で生まれてきています。
 それがカワイイ文化です。
 カワイイ文化にあっては、欧米から輸入された「魔女」はその性的パワーや魅力を、下掲のようにカワイく減殺された上で、世界に再輸出までされています。
 「日本の魔法少女物アニメ番組は、過去40年以上にもわたり放映されているという。少女メディア文化において、これは世界的にも稀(まれ)なケースだ・・・。西欧では魔女は成人女性の力、美、知の象徴であり、それゆえ恐怖の対象として描かれてきた。たとえ善き魔女が描かれても、「奥様は魔女」のように白人美女が定番。だが、日本のアニメ世界に輸入されたとき、魔女は少女と合体し、可愛らしく活発な「ガールヒーロー」に変身した。・・・
 そもそも、成人女性ではなく少女が好まれる背景には、女性の過剰なセクシュアリティが忌避される日本の文化気風がある。セクシーな女性キャラが大抵敵役なのもその証左であろう。」
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013070700007.html?ref=comtop_list
(7月10日アクセス)
 また、2000年代に入ってからは、女性のカワイイ衣服が登場し、流行し、これがまた世界に再輸出されるに至っています。
 一つは「エロかわいい」衣服(注11)です。
 「「エロかわいい」は、「エロい」+「可愛い」の合成語であり、セクシーさや性的魅力を含んだかわいらしさを示す概念である。・・・セクシーな要素としては、肌の露出が多い、ランジェリー風のデザイン、シースルーの使用、黒色の使用などが挙げられる。逆に可愛い要素としては、フリル、リボン、レースの使用、水玉模様の使用、ピンク色の使用などが挙げられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E6%84%9B%E3%81%84
 すなわち、エロティックな衣類をカワイくすることで、性的パワーや魅力を減殺しているわけです。
 もう一つはロリータファッションです。
 この場合、「ナボコフはロリータの定義を年齢的に幼く(10代前半位)、言動や容姿が小悪魔的でコケットリーなニンフェット(ニンフ)でなければならないと細かく定義したが、日本において「ロリータ」という言葉は、ニンフとはほぼ逆の「実際はもう大人なのに、・・・幼く魅せている<(性的なパワー、アピールをあえて減殺した(太田))>女性」か「本当にまだエロスの欠片も身体に宿していない少女」を指す」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
ことが重要です。
(続く)