太田述正コラム#6334(2013.7.17)
<日進月歩の人間科学(続x33)(その2)>(2013.11.1公開)
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 (1)欧米人における「懐旧」観念の不存在?
 欧米人には「郷愁」観念がない、と言ってよさそうなことを知った時、そう言えば、英語には「懐旧」を意味する単語がないのではないか、という気がしたので、さっそく調べてみました。
まず、’memory’です。
 研究社新英和中辞典にはこうあります。
【不可算名詞】 記憶 《★【類語】 memory は学んだことを覚えておくことまたは思い出す力; remembrance は物事を思い出すまたはそれを記憶にとどめておくこと; recollection は忘れかけていたことを努力して思い出すこと》.・・・
【可算名詞】 [しばしば修飾語を伴って] (個人のもつ)記憶力.
【可算名詞】 思い出,追憶.・・・
[単数形で; しばしば the memory] 記憶に残る期間,記憶の範囲.・・・
【不可算名詞】 死後の名声.・・・
【可算名詞】 記念.・・・
【電子計算機】
 【不可算名詞】 記憶(力); 記憶容量.・・・
 【可算名詞】 記憶装置,メモリー.
http://ejje.weblio.jp/content/memory
 メリアム=ウェブスター(Merriam-Webster)辞典にはこうあります。
1a : the power or process of reproducing or recalling what has been learned and retained especially through associative mechanisms
b : the store of things learned and retained from an organism’s activity or experience as evidenced by modification of structure or behavior or by recall and recognition
2a : commemorative remembrance
b : the fact or condition of being remembered
3a : a particular act of recall or recollection
b : an image or impression of one that is remembered
c : the time within which past events can be or are remembered
4a : a device (as a chip) or a component of a device in which information especially for a computer can be inserted and stored and from which it may be extracted when wanted; especially : ram
b : capacity for storing information・・・
5: a capacity for showing effects as the result of past treatment or for returning to a former condition–used especially of a material (as metal or plastic)・・・
Origin of MEMORY Middle English memorie, from Anglo-French memoire, memorie, from Latin memoria, from memor mindful; akin to Old English gemimor well-known, Greek mermera care, Sanskrit smarati he remembers
First Known Use: 14th century
http://www.merriam-webster.com/dictionary/memory
 ここから分かるのは、英和、英英辞典のいずれにおいても、「追憶」という意味は3番目にやっと登場するのですから、その意味での使用頻度は少ないらしい、ということです。
 また、英英辞典掲載の例文からすると、「追憶」と言っても、「懐旧」と言うよりは「記念」という意味合いのようです。
 英英辞典によれば、このmemoryという単語は、ラテン語→ノルマン語、から輸入され、14世紀以降の使用例しかありません。
 古英語にgemimorという「記憶」を意味する単語があったというのですから、印欧語として大昔の語源はmemoryと共通しているらしい、発音の似通ったgemimorを、イギリス人があえて捨ててまでして、外来のmemoryや後で登場するremembranceやrecollectionやreminiscenceというたくさんの単語に乗り換えたのはどうしてなのでしょうか。
 よほどgemimorの使い勝手が悪かったと見えます。
 gemimorには、「記念」の意味が含まれていなかった、というのもその理由の一つかもしれませんね。
 いずれにせよ、以上から、英語には、「懐旧」という意味だけを持つ単語はもとより、(「記念」という意味での)「追憶」という意味だけを持つ単語すらない、つまりは「懐旧」という観念そのものが大ブリテン島の住民には存在しない、という仮説を立てることができそうです。
 果たしてこの仮説がイイ線を行っているのかどうか、検証してみましょう。
 memoryの類似語であるremembranceについては、同じ英和、英英辞典にはこうあります。
【不可算名詞】 [具体的には 【可算名詞】] 覚えていること,記憶; 思い出,追憶 〔of〕《★【類語】 ⇒memory》.
【不可算名詞】 記憶力; 記憶の範囲.・・・
【不可算名詞】 記念,追悼 〔of〕.・・・
【可算名詞】 記念品,思い出となるもの,形見.・・・
[複数形で] (よろしくという)伝言,あいさつ.・・・
語源 Old French remembrance, from the verb remembrer, from Late Latin rememorari
http://ejje.weblio.jp/content/remembrance
Definition of REMEMBRANCE
1: the state of bearing in mind
2a : the ability to remember : memory
b : the period over which one’s memory extends
3: an act of recalling to mind
4: a memory of a person, thing, or event
5a : something that serves to keep in or bring to mind : reminder
b : commemoration, memorial
c : a greeting or gift recalling or expressing friendship or affection・・・
First Known Use of REMEMBRANCE 14th century
http://www.merriam-webster.com/dictionary/remembrance
 これでよりはっきりしました。
 英和辞典においてすら、「記念」・・「追悼」も「記念」の意味であると言ってよいでしょう・・や「記念品」という意味しか出ていませんし、しかも3番目以降に、ようやくこれらの意味が出てきますよね。
 英英辞典によれば、この単語も、14世紀からの使用例しかありません。
 また、英和辞典によれば、この単語も、ラテン語→ノルマン語、からの輸入です。
 次に、memoryのもう一つの類似語であるrecollectionについては、同じ英和、英英辞典にはこうあります。
【不可算名詞】 [また a recollection] 記憶(力); 回想,回顧,想起 〔of〕《★【類語】 ⇒memory》.
可算名詞】 [通例複数形で] 追懐,思い出,回想録.・・・
語源 From Late Latin reminscentiae (“remembrances”), from Latin reminscens
http://ejje.weblio.jp/content/reminiscence
1a : tranquillity of mind
b : religious contemplation
2a : the action or power of recalling to mind
b : something recalled to the mind
First Known Use of RECOLLECTION 1624
http://www.merriam-webster.com/dictionary/recollection
 英和辞典には、二番目に「追懐」/「思い出」・・「懐旧」にかなり近いですね・・が出てきますが、英英辞典には、一切その種の意味は出てきません。
 recollectionには、「懐旧」的な意味はもとより、「記念」的な意味すらない、と断定してよさそうです。
 英和辞典が、recollectionに、「追懐」/「思い出」、という訳語も挙げたのは不適切でした。
 なお、この単語は、(ノルマン語を経由しないところの、)ラテン語からの直輸入であり、1624年以降の使用例しかないのですね。
 最後に、memoryの更にもう一つの類似語であるreminiscenceについては、同じ英和、英英辞典にはこうあります。
1【不可算名詞】 回想,追憶.
2【可算名詞】 [複数形で]
a思い出 〔of〕.
b懐旧談,回想録 〔of〕.・・・
From Late Latin reminscentiae (“remembrances”), from Latin reminscens,
http://ejje.weblio.jp/content/reminiscence
1: apprehension of a Platonic idea as if it had been known in a previous existence
2a : recall to mind of a long-forgotten experience or fact
b : the process or practice of thinking or telling about past experiences
3a : a remembered experience
b : an account of a memorable experience –often used in plural
4: something so like another as to be regarded as an unconscious repetition, imitation, or survival
First Known Use of REMINISCENCE 1589
http://www.merriam-webster.com/dictionary/reminiscence
 この単語の語源も、recollectionの語源と全く同じラテン語の単語の(ノルマン語を経由しないところの、)直輸入なのですね。
 ただし、使用例はrecollectionより少しだけ早くて1589年です。
 この単語については、英和辞典では、三番目にようやく「懐旧談」が出てきますが、英英辞典では’an account of a memorable experience’、すなわち、「記憶に残っている(=忘れられない)ことについての話」であって、そこに情緒的な含意は何もありません。「懐旧談」では誤訳に近いでしょう。
 
 以上から見えてくるのは、(印欧語族の)イギリス人はもとより、(非印欧語族たる少数の)バスク人・・イギリス人の祖先!・・やハンガリー人を含むところの、(大部分が、ローマ人やケルト人やゲルマン人等の印欧語族である)地理的意味での欧州の住民(及び彼らの係累で世界中に移民した人々)には「懐旧」なる観念はなさそうだ、ということです。
 (本来、英語以外の欧州の言語の単語にもあたらなければならないのですが、ご勘弁願います。)
 そして、「懐旧」観念がない以上は、当然、彼らには、「郷愁」観念もないはずだ、ということになりそうです。
 我々日本人から見たこの異常な事実(らしきもの)の原因は、一体、どこにあるのでしょうか。
 バスク人
https://en.wikipedia.org/wiki/Basque_people
等のごく一部の人々を除けば、地理的意味での欧州の住民は、印欧語族についてはアナトリアないしロシア南部、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E7%A5%96%E8%AA%9E
ハンガリー人についてはヴォルガ川東方、を原住地とし、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3%E6%97%8F
それほど昔ではない頃に、現住地に定着し終わり、そこから更に、三々五々、世界全体に移住して行き、現在なお移住し続けている人々であり、未来だけを見つめているところの、「懐旧」、「郷愁」観念の極めて希薄な人々なのではないか、ということくらいしか、さしあたりは思いつきません。
(続く)