太田述正コラム#6381(2013.8.10)
<日支戦争をどう見るか(その20)>(2013.11.25公開)
四 同性愛
 米国におけるキリスト教原理主義とリベラルとの対立が欧米において拡大した形で展開されているのが、同性婚を認めるか否か、の問題です。
 「欧米文明における肛門性交禁止諸法(sodomy laws)の大部分は、古代末期におけるキリスト教の成長に起源を持つ。
 新約聖書は、格別に肛門性交を非難している。(ロマ書1:24、26-28。コリント書6:9-10。テモテへの手紙1:8-10)
 イギリスでは、ヘンリー8世が刑法上の法制として1533年に男色法(Buggery Act)を導入し、男色の最高刑を死刑としたが、この最高刑は1861年になるまで廃止されなかった。・・・
→それまで、カトリック教会は死刑は課さなかったというのに、珍しくも、英国教会を樹立したイギリスは、この点に関しては「退行」したことになります。(太田)
 「肛門性交」が、被害者がなければ、犯罪はないとの概念に基づき、初めて、全ての「被害者なき諸犯罪たる、肛門性交、異端、魔女、涜神」と共に非犯罪化され、犯罪でなくされたのは、1791年に発出されたフランス革命の刑法だった。
 同じ原則が1810年のナポレオン刑法においても維持され、それが、フランス帝国と<ナポレオン>の同族の国王達によって統治された当時の欧州の多くに対して押し付けられ、こうして、欧州の大陸部の大部分で肛門性交は非犯罪化された。・・・
→キリスト教(カトリックとプロテスタント)を廃棄してナショナリズムによって代替した欧州が、先進国英国をこの点に関してだけは「追い抜いた」ということになります。(太田)
 <そして、孤高を保っていた>英国で<も、戦後>、合意の上での成人同士の私的な同性愛的ふるまいはもはや刑事上の違背行為(offence)ではない、と主張した、ウォルフェンデン報告書(Wolfenden report)<(注38)>が発表され・・・<、米国でも、既に同性愛を合法化していた州もあったところ、>2003年6月に、連邦最高裁が、ローレンス対テキサス州(Lawrence v. Texas)判決で、人の自由とプライバシーに侵入することを正当化する十分な理由がない以上、家屋内における私的で合意の上での成人同士の非営利的な性的諸活動を道徳上の理由によって犯罪視する州諸法は違憲である、とし<、米国全体で同性愛が合法化されるに至っ>た。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Sodomy_law
 (注38)何名もの著名人が同性愛罪で有罪となったことを受けて、1957年9月4日に英国で発表されたところの、ウルフェンデン(Wolfenden)卿を委員長とする委員会が作成した報告書。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wolfenden_report
⇒驚くべきは、今世紀に入ってから、地理的意味での欧州において、同性愛の合法化どころか、同性婚さえも認める国が続出し、南北アメリカにおいても同様の動きが見られることです。
 すなわち、欧州では、オランダ、ベルギー、スペイン、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガル、アイスランド、デンマーク、フランスの順で同性婚が認められ、ついに、英国でも、今年7月15日に同性婚を認める法律が成立し、来年から施行される予定ですし、(米国を除く)南北アメリカ大陸では、アルゼンチン、カナダ、ウルグアイ、ブラジル、メキシコの順で同性婚が認められ、アフリカでは南アフリカで、また、オセアニアではニュージーランドで、そして、米国でも、マサチューセッツ州、カリフォルニア州、コネティカット州、アイオワ州、バーモント州、ニューハンプシャー州、ワシントンDC、ニューヨーク州、ワシントン州、メイン州、メリーランド州、ロードアイランド州、デラウェア州、ミネソタ州、と14の州と地域で同性婚が認められたのです。
 (なお、米国の場合、これらの州または地域は大部分、民主党の強い、いわゆる青州です。また、カリフォルニア州は一度同性婚を廃止してまた復活させたという経緯があります。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E7%B5%90%E5%A9%9A#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB.E5.90.88.E8.A1.86.E5.9B.BD
 ここでも、米国において、戦後の同性愛の全国的合法化、そして今世紀に入ってからのその青州における同性婚の導入ラッシュ、と同性愛観が極端から極端に振れたことが分かります。(注39)
 (注39)米国の白人の間でホンネでは黒人差別意識等が解消されていないのと同様、米国人の間での同性愛に対する嫌悪感もホンネレベルでは解消されていない。
 例えば、「ニューヨーク市は、同性婚を認めたニューヨーク州内における、ゲイに優しいと見做されている都市だが、同性婚カップルが街の中を手を繋いで歩くことは依然危険」な状況だ。
http://www.nytimes.com/2013/08/07/opinion/an-attack-on-equality.html?hp
(8月8日アクセス)
 ところが、日本では、「歴史的に欧米社会などと異なり、同性愛に比較的寛容だといわれて」おり、「明治初期の1872年、<欧州法を継受する過程で、>同性愛行為の中で・・・肛門性交・・・のみが違法とされた<ものの>(鶏姦罪)、1880年制定の旧刑法にはこの規定は盛り込まれず撤廃され」た8年間を除き、同性愛を処罰する法が存在したことがありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B
 その一方で、日本では、同性婚を認める動きは、現在でも全く見られないところです。
 ここでは欧米と日本だけに絞りますが、両者における、同性婚・・広くは同性愛・・に対する、このような違いのよってきたるゆえんを説明しているのが下掲の一文です。
 「一つは、近代社会のベースを作ったのは欧米のキリスト教社会だが、そこでは、同性愛が長きにわたり反自然な罪悪として、禁圧の対象だったことだ(実際としては同性愛は広く見られた)。そのため・・・<日本等とは違って、>同性同士の社会的な関係に関する伝統的な習俗は絶滅してしまった。
 もう一つは、そのキリスト教社会が世俗化し、教会が絶対的な権威を失って、同性愛者たちが社会の表面に現れ始めたのとほぼ同時期に、異性愛カップルの結婚にも変化が現れたことである。それまで結婚は、日本のおイエ(家)制度に代表されるように、結婚する男女が属する共同体同士の絆を結ぶために行われることが一般的だった。しかし近代になって、結婚はそうした前近代的な関係から脱して、個人同士の親密さを基盤とした、よりプライベートな結びつきへと変化していったのである。
 とくに20世紀に入って、男女の恋愛関係や結婚が、個人の愛情と意志に基づくことが普通になり、その関係を社会的にも保障する制度などが整備されてきた。それにともない、同性愛者の間にも、そうしたプライベートなパートナー関係への欲求が高まり、同性結婚に対するあこがれや、それを保障するような社会制度を要求する声が、彼らの間からも出始めたものと思われる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E7%B5%90%E5%A9%9A#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB.E5.90.88.E8.A1.86.E5.9B.BD 前掲
 なお、個人主義社会のイギリス(アングロサクソン)においては、結婚は昔から、家と家ではなく、個人と個人の結びつきであったことから、二番目の説明は、欧州諸国には当てはまっても、イギリスには当てはまらないことに注意が必要です。(太田)
(続く)