太田述正コラム#6395(2013.8.17)
<日支戦争をどう見るか(その27)>(2013.12.2公開)
 蒋介石の日本語ウィキペディアには、蒋介石が「陽明学<(注48)>の信徒」であったという戴国煇の言葉が出てきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%8B%E4%BB%8B%E7%9F%B3 前掲
 (注48)王陽明(1472~1529年)は、自分の心以外に事物の理を求めることはできない(心即理)、≪私欲により曇っていない心の本体である良知(判断力)を推し進めよ(致良知)≫、と主張するとともに、[知って行わないのは、未だ知らないことと同じであると実践を重視した(知行合一)。]そして、致良知は、全ての人に可能なことであるとし、儒学を広く庶民の学問に押し広げた。{このため陽明学は反体制を擁護する思想となっていく。}
 大塩平八郎や吉田松陰らは陽明学者を自称している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AE%88%E4%BB%81
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%B4%E8%89%AF%E7%9F%A5 (≪≫内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%A1%8C%E5%90%88%E4%B8%80 ([]内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E5%8D%B3%E7%90%86 ({}内)
 ただし、それは日本留学の結果でした。
 「<支那では>日本とは裏腹に陽明学は衰退し、・・・ほとんど消えてしまっ<ていたところ、・・・蒋介石>は・・・日本・・・留学<中>・・・、故郷(浙江省)の先輩でもある王陽明の思想が日本の精神に多大な影響を与えたことを知り深く感銘を受け・・・以来、蒋介石は自らを陽明学の徒となして、終生王陽明を師と仰ぐことにな<っ>た」
http://blogs.yahoo.co.jp/nanjingnihonjinkai/7415090.html
のです。
 ちなみに、蒋介石は、「武士道は陽明学を「剽窃」したものに過ぎず、敢えて日本の武士道を真似る必要はないと・・・している」
http://www.jaas.or.jp/pdf/57-1/3.pdf
ところです。
 他方で、次のような事実があります。
 「江戸時代のわが国において、国教の位置を占めたのは儒学であった。それに対してキリスト教は、国禁として厳しく取り締まられていた・・・。しかしそのご禁制のキリスト教に対して、儒教の一派である陽明学が実は非常に類似する面が多くあ<る>・・・こと<に>江戸時代の人々<は>気づいていた・・・
 <そのためか、>明治初期に陽明学からキリスト教に入信した人は非常に多い。・・・内村鑑三、・・・植村正久、・・・海老名弾正<がそうだ。>」
http://www.araki-labo.jp/nont32.htm
 ですから、私は、蒋介石が、内村らと同様、敬虔なキリスト教徒へと変身した可能性を否定できない、と思います。
 キリスト教原理主義者やリベラル・キリスト教徒であった米国の当時の指導者達が、いくら聖書の記述や論理に毒されて歪んだ国際情勢認識、とりわけ東アジア観、を抱いていたとしても、彼らは、少なくとも、蒋介石の考えが聖書の記述や論理に合致しているかどうかを彼の言動から見極めることはできたはずであり、その彼らが蒋介石が敬虔なキリスト教徒であることを全く疑わなかったのですからね。
 問題は、蒋介石(や宋美齢)が敬虔なキリスト教徒であったからと言って、そのことと支那人一般とは何の関係もないことであり、また、蒋介石政権の性格ともほとんど関係がないことです。
 当時の支那人の大部分は、敬虔かそうでないかを問う以前に、そもそもキリスト教徒ではなく、それどころか、その多くは阿Q的人物であったことはご存知のとおりです。
 では、蒋介石政権の性格はどうだったのでしょうか。
 紛れもなく、それはファシスト政権でした。
 樹中毅(きなか つよし)によれば、「ファシズムとは、独裁政党とカリスマ的指導者への権力集中による統一と民族ルネッサンスを目指す全体主義運動」であるところ、「ファシズムは、31年の満州事変後、危機<・・すなわち、>抗日救亡意識・・・、度重なる共産党討伐の失敗、分裂をくり返す国民党の衰退に対する無力感<・・>に直面した中国国民党の訓政独裁システム(民主集中制に基づく以党治国体制)を、「新しい独裁」へ組み替えていくためのイデオロギー的機能を果たしていた」のです。(「蒋介石体制の成立 非公式エリート組織とファシズムの「中国化」(アジア研究 Vol.57.No.1,January2011))(注49)
http://www.jaas.or.jp/pdf/57-1/3.pdf 前掲
 (注49)樹中は、前掲において、「蒋は、レーニン主義政党とファシスト政党を以党治国のモデルとし、そのファシズムの「中国化」をめぐる権力政治には、体制内に組み込んだボルシェヴィキ革命方式と民族主義、個人崇拝との結合という特徴がある。ヒトラーは『わが闘争』で、ボルシェヴィキに学んだことを公言しているが、アジアにおいて同時進行だった蒋指導下の中国ファシズム運動もまたこの傾向が強かった」としている。
 なお、蒋介石政権/中国国民党が、いかなるファシスト政権/政党であったかについての説こそ、藍衣社ファシズム、封建買弁ファシズム、特務ファシズム、儒教ファシズム等に分かれているが、それがファシスト政権/政党であったことは、全球的通説であることが、樹中の前掲中の記述から読み取れる。
 (樹中の経歴が分かる方はご教示いただきたい。)
(続く)