太田述正コラム#6447(2013.9.12)
<啓蒙主義と人間主義(その2)>(2013.12.28公開)
 (4)啓蒙主義批判
 「カントによる勝ち誇った宣言のわずか20年後、ヘーゲルは、フランス革命のギロチンと血腥い諸行き過ぎについて、啓蒙主義を非難し、啓蒙主義が、愛、精神性と伝統を理性と絶対的自由の祭壇に犠牲として捧げた、とする批判の基礎を敷いた。
 カントとヘーゲルは、啓蒙主義に関する20世紀の哲学的戦闘の<相対立する二つの陣営の>塹壕を効果的に堀ったわけだ。
 ナチが権力を強奪した時に、ドイツから、エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer)<(注1)>は、カントの理性の哲学を再生させることでワイマール的自由主義の先制的擁護を打ち出した。
 (注1)1874~1945年。「ユダヤ系のドイツの哲学者、思想史家。・・・ベルリン大学で文学<と>・・・マールブルク大学で・・・学び、新カント派のマールブルク学派の中心的な存在のひとりとなる。・・・20世紀の全体主義体制を運命の神話と非合理主義によってシンボル化されたものとした。」1933年に亡命し、スイス、英国、スウェーデンを経て米国に落ち着く。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC
 「新カント派・・・は、1870年代から1920年代にドイツで興ったカント的な認識論復興運動およびその学派である。・・・新カント派は、当時西欧を席巻しつつあった無規範な科学的思惟に対抗した。特にマルクス主義は、精神や文化を物質の因果律により支配されるものとしていたため、人間もまた因果律に支配された機械とみなそうとしていると危惧し、彼らを批判して、カントに習い先験的道徳律の樹立と、精神と文化の価値の復権を試み、因果律に支配される「存在」の世界から「当為」の領域を確立しようとした・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E6%B4%BE
 亡命先のカリフォルニアで、1944年にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)<(注2)>とテオドール・アドルノ(Theodor Adorno)<(注3)>は、カッシーラーのおぼこさ(naivety)に対して応酬した。
 (注2)1895~1973年。ユダヤ系ドイツ人。「フランクフルト学派の代表で、テオドール・アドルノとの共著『啓蒙の弁証法』で知られる。」1934年に米国に亡命。戦後ドイツに戻る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC
 フランクフルト学派は、ヘーゲルとマルクスの弁証法哲学に拠って、非合理的な資本主義社会からの人間の解放を目指した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E5%AD%A6%E6%B4%BE
 『啓蒙の弁証法(Dialektik der Aufklarung: Philosophische Fragmente)』は1947年出版。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%93%E8%92%99%E3%81%AE%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95
 (注3)1903~69年。ドイツの哲学者、社会学者、音楽評論家、作曲家。「父・・・はもともとユダヤ系であったが、カトリックの<母>と結婚する前にプロテスタントに改宗している。」フランクフルト大卒。「ナチスに協力した一般人の心理的傾向を研究し、権威主義的パーソナリティについて解明した。・・・20世紀における社会心理学研究の代表的人物である。」1934年に英国に、次いで1938年に米国に「亡命」。戦後ドイツに戻る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%8E
 <『啓蒙の弁証法(Hegelianism)』の中で、>彼らは、啓蒙主義は、<ワイマール共和国のような>消えつつある残り火の中にではなく、ナチスドイツの殺人的溶鉱炉の中に、そしてまた、当時の欧州を八つ裂きにしつつあった技術的全体主義の中に、その表現を見出した、と述べた。
 (この、啓蒙主義がヒットラーをもたらしたという見解は、今日、宗教右派において人気がある。
 「いいですか。啓蒙と理性の時代が道徳的相対主義に道を開いたのですよ」と「米国を憂慮する女性達<の会>」の会長のペニー・ナンス(Penny Nance)は今週初めにフォックス・ニュースで言った。
 「そして、その道徳的相対主義が、ずっと後になって、ホロコーストの暗い道を我々に辿らせたのです」と。)
 ホルクハイマーとアドルノの核心<たる共著>である『啓蒙の弁証法』<(注4)>は、1972年に英訳<版が出版>されたが、それは、自由主義的普遍主義に対するポストモダン的批判を活気づけた。
 (注4)原文ではタイトルが’Hegelianism’となっているが、『啓蒙の弁証法』が1972年に英訳されている
http://en.wikipedia.org/wiki/Dialectic_of_Enlightenment
ので、この本のことだと思われる。
 デリダ(Derrida)<(注5)(コラム#2055)>やフーコー(Foucault)<(注6)(コラム#6389)>のような欧州大陸の哲学者達は、正義と真実の諸原理の絶対主義的かつ帝国主義的性格を暴露しようと試みたし、英語圏では、ジョン・グレイ(John Gray)<(コラム#3218、3676、4242、5249、6076)>やアラスデア・マッキンタイア(Alasdair Macintyre)<(注7)>が20世紀の見当違いのユートピア的政治プロジェクト群や資本主義的欧米の原子化され唯物主義的な世界を非難した。
 (注5)ジャック・デリダ(Jacques Derrida。1930~2004年)。高等師範学校卒。「<仏>領アルジェリア出身のユダヤ系フランス人。一般にポスト構造主義の代表的哲学者と位置づけられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
 「ポスト構造主義(・・・Post-structuralism)は1960年後半から1970年後半ごろまでにフランスで誕生した思想運動の総称である。<米国>の学会で付けられた名称であり当のフランスではあまり用いられなかった。「反」構造主義ではなく文字通り「post(~の後に)構造主義」と解釈すべきであるが明確な定義や体系は存在しない。構造主義、ポストモダンとそれぞれ関係があり啓蒙思想を否定する。現象学に影響を受けて<いる。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 「構造主義・・・とは、狭義には1960年代に登場して発展していった20世紀の現代思想のひとつである。広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。簡単にいうとある概念と、別の概念の結合の強さを読み取り、強い結合を優先して構造化してゆくものであ<る。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 (注6)ミシェル・フーコー(フコ)(Michel Foucaul。1926~84年)。高等師範学校卒。フランスのポスト構造主義哲学者。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
 (注7)1929年~。米国の哲学者。[英クイーンメリー単科大学卒。マンチェスター大修士及びオックスフォード大修士。]「コミュニタリアニズム(共同体主義)の哲学者。<米>ノートルダム大学[名誉]教授・・・。徳倫理学の主要な唱道者の一人。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%A2
http://en.wikipedia.org/wiki/Alasdair_MacIntyre ([]内)
 「共同体主義は・・・ジョン・ロールズらが提唱する自由主義(リベラリズム)に対抗する思想の一つであ<り、>・・・政策レベルでは自由民主制に留まりつつも自由主義とは異なる側面(つまり共同体)の重要性を尊重する・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
 予想できるだろうが、啓蒙主義の申し子達は<これに>反撃した。
 クワメ・アンソニー・アピア(Kwame Anthony Appiah)<(注8)(コラム#3605)>は自分自身を「ネオ啓蒙主義」思想家と描写したし、他の人々、例えば、フランシス・ウィーン(Francis Wheen)<(注9)>は、アーネスト・ゲルナー(Ernest Gellner)<(注10)>がその1992年の本である『ポストモダニズム、理性、及び宗教(Postmodernism, Reason and Religion)』において自らを「啓蒙主義合理論者的原理主義者(Enlightenment Rationalist Fundamentalist)」と自己規定(self-identification)したことに鼓吹されたのだろうが、「ちんぷんかんぷん(mumbo-jumbo)」の非合理主義と闘う、というより強い言葉を選択した。
 (注8)1954年~。英国生まれのガーナ系米国人たる哲学者、文化理論家、小説家。ケンブリッジ大博士。現在、プリンストン大の哲学の教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kwame_Anthony_Appiah
 (注9)1957年~。英国のジャーナリスト、作家、キャスター。ハロー校中退、ロンドン大学で学ぶ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Wheen
 (注10)1925~95年。「パリでユダヤ人の家族に生まれる。生誕後、すぐにプラハに移り、そこで育つ。1939年、家族とともに<英国>に亡命。」オックスフォード大、LSEで学ぶ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC
 ヒッチェンス(Hitchens)<(コラム#727、1096、2023、2044、2629、2758、3953、4204、4403、5179、5284、5296、5557)>、ウィーン、及びその他の甲高い合理主義は、こういうわけで、単に、長きにわたる知的伝統を大衆受け化したものほかならない。
 そもそも、思想家達は、その時々において、たまたま「近代性(modernity)」<の様相を帯びている>ものの中に啓蒙主義を見出だしてきた。
 <だからそれは、>20世紀初頭においては無神論的近代性であり共産主義的近代性であったし、今日においては<、それは、>世俗的民主主義的近代性なのだ。
 スタンフォード大学の歴史学者のダン・エデルステイン(Dan Edelstein)は、最近、「啓蒙主義の説明は、こうして、何か全く異なったものになってしまっている。すなわち、それらは、透かせば見えるイデオロギー的マニフェスト群であったり、その時の趨勢の色あせた諸反映であったりしている」と指摘している。
 それにしても、啓蒙主義の遺産に関する最近の議論の主要な声が、<哲学者や思想家ならぬ、>歴史家からは全く聞こえてこないことは、まことにもって不思議でならない。」(F)
(続く)