太田述正コラム#6453(2013.9.15)
<啓蒙主義と人間主義(その5)>(2013.12.31公開)
   –イギリス的啓蒙主義–
 
 「啓蒙主義の偉大な業績は、人類の絆の修復であった、とパグデンは主張する。
 その特徴的な様相は、その批判者達の大部分とその選手権者達の多く<の双方>が主張するように、それが、歴史、自然、神学、及び政治的権威を理性による精査の対象にした点にではなく、我々共通の人間性(humanity)・・他人の身になって考えて、究極的には、彼らと共感する(sympathise)能力を啓蒙主義が認識した点に存する。
 アダム・スミスとデーヴィッド・ヒュームは、人間が神の被造物でも自分自身の諸利益の利己的追求者でもなく、最も根本的なレベルで、人間は人間の友である、ということを教えてくれた。
 これこそ、四海同朋主義・・啓蒙主義の中心的信条たる、共通の人間性とあなた自身のコミュニティよりも大きな何らかの世界に所属しているとの自覚(awareness)・・の起源だった、とパグデンは主張する。・・・
 パグデンは、グレイやマッキンタイアのような、啓蒙主義プロジェクトに対する批判者達を、啓蒙主義を自主的な(autonomous)理性と客観的科学に立脚した運動へと矮小化してしまった、と叱る。
 そうではなく、啓蒙主義は、共感、文明の発明、そして四海同朋的世界秩序の追求、に関するものである、というのだ。」(F)
→私の言葉に置き換えれば、パグデンは、啓蒙主義は、スコットランドにおいては、人間主義だった、と主張しているわけです。
 更に言えば、それはイギリスにおける、現実の人間のあり方を理念型化したものだったのです。(太田)
 「パグデンは、イスラエルの言う超急進的啓蒙主義が、これらの近代の<啓蒙主義>批判者達によって弾劾された<啓蒙主義の>バージョンと共通するものがあることを感じ取っている。
 そのどちらも、啓蒙主義は純粋理性の優位に関するものが全てである、ということを前提にしているように見える。
 そして、それは、<実際には>はるかに微妙なプロジェクト<であった啓蒙主義>・・それは、理性それ自体と同じくらいの注意を人間の気持ち(feelings)や情熱(passions)に払った・・の過度の単純化である、と主張する。
 鍵となる言葉群は、「感情(sentiment)」、「共感(sympathy)」、「社会性(sociability)」であり、これらを巡って、18世紀の思想家達は、新しい「人間性の科学(science of humanit)」を構築したが、それは人間を相互に結び付ける複雑な提携網(webs of association)と、この網がどのように時間と共に発展してきたか、を説明しようとした。
 近代の経済理論は(アダム・スミスによる研究(work)によって)このプロジェクトの中から生成した。 
 同様に、人々が、「文明化過程(civilising process)」を理論化し、未開諸社会の働き(workings)を理解しようと試みることによって、近代の人類学もまた生成した。」(E)
→私は、アダム・スミスが、利己主義原理で機能する市場とその苛烈さを緩和する人間主義原理から成り立っているイギリス社会における、この利己主義原理と人間主義的原理をそれぞれ別個に理念型化することで、(前者から)経済学が生誕した、と指摘してきたわけです。
 ところで、「同様に、・・・生成した。」の中に出て来る「人々」が誰のことなのか定かではないわけですが、それが誰であれ、文明度とは人間主義度である、という考えが示されているのは興味深いものがあります。
 その含意は、どうやら、イギリス社会の人間主義度=文明度が一番高い、ということのようですが、私は、日本社会の人間主義度=文明度は、それよりも一層高い、とこれまたかねてより、主張してきているところです。(太田)
 「パグデンは、啓蒙主義の目標は、神学者達から、「人間とは何かということを理解する」努力を横取りすることだった、と主張する。
 そして、そのことにより、二つの論争の的であるところの主張を証明することだった、と。
 <その二つの主張の>第一は、人間はユニークではあるが、それは神(divinity)に似ているおかげではない、であり、第二は、人間は、その最強の衝動が社会生活、ないしは四海同朋主義として知られるところとなる、共通の人間の本性を共有している、だと。・・・
 独立した心を持ったデーヴィッド・ヒュームは、「啓蒙主義が生み出した中で、「人間の科学」に立脚した世俗的倫理の最も影響力ある擁護者だ。・・・
 <この関連で、パグデンは、>ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)<(注19)(コラム#138、380、2502、2826)>、サミュエル・リチャードソン(Samuel Richardson)<(注20)>、モーツアルト(Mozart)、そして18世紀央の最も極端な女性のファッション<に言及する。>」(A)
 (注19)1660~1731年。イギリスの著作家、ジャーナリスト。『ロビンソン・クルーソー』の著者。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC
 (注20)1689~1761年。イギリスの小説家。書簡体小説を書き、近代小説の父と称される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%BD%E3%83%B3
→2人のイギリス人に引き続いて登場させられたモーツアルトは、この場合、決して刺身のつまではありません。
 彼はまさに人間主義者であったからです。(コラム#5584)
 パグデンが、「理性は、情熱の奴隷なのであり、情熱の奴隷以外であってはならない」とのヒュームの観念を引用し、かつ、細やかな感情(sensibility)と社会性(sociability)の概念という今日的(contemporary)カルトに適切な注意を払いつつ、啓蒙主義と合理主義の両者を<単純に>合成する(conflate)のはおぼこがやることだ<(=啓蒙主義とは合理主義のことであると考えるのはバカだ(太田))>、という点を強調しているのは事実だ。・・・
 <ただし、>カント、ヴォルテール、プリーストリー(Priestley)<(注21)>、ハッチェソン(Hutcheson)<(注22)(コラム#517、4176)>、そしてバークリー(Berkeley)<(注23)(コラム#1699)>や、より典型的な神学著述者たるジョセフ・バトラー(Joseph Butler)<(注24)>、アレクサンダー・ゲッデス(Alexander Geddes)<(注25)>、モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn)<(注26)>らの有神論(theism)を除外さえすれば、啓蒙主義は、もっぱら世俗化的現象に仕訳(typify)ができる。」(B)
 (注21)Joseph Priestley。1733~1804年。「イギリスの自然哲学者、教育者、神学者、非国教徒の聖職者、政治哲学者・・・後々に長く影響を与えたのは哲学的著作である。影響を受けた哲学者としてジェレミ・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル、ハーバート・スペンサーらがおり、彼らは一般に功利主義者と呼ばれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
 (注22)1694~1746年。アイルランドでスコットランド人の家に生まれた。スコットランド啓蒙主義の父の一人で、ヒュームやアダム・スミス等に影響を与えた。グラスゴー大卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Hutcheson_(philosopher)
 (注23)1685~1753年。アイルランドの哲学者、聖職者(アイルランド国教会の主教を務める)。アイルランドのキルケニー大卒。「カリフォルニア大学バークレー校の所在地、カリフォルニア州バークレー市は彼にちなんだものである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC
 (注24)1692~1752年。イギリスの司祭、神学者、キリスト教弁証者、哲学者。ホッブスの利己主義論とロックの人格的同一性論に対する批判で知られる。ヒューム、アダム・スミスらに影響を与えた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Butler
 「ロックは人格の同一性は自己を自己たらしめる意識に存すると主張する。そして、過去の行為を行った人格と現在の人格が同じかどうかは、行為した記憶を持っているかどうかにかかっている、と論じる。」
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~sasaki/study/presentation2002.html
 (注25)1737~1802年。スコットランドの神学者(カトリック)、学者。聖書の高等批評(Historical criticism)の先駆者。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Geddes
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E6%89%B9%E8%A9%95 ←高等批評
 (注26)1729~86年。ドイツのユダヤ人哲学者・啓蒙思想家。作曲家のメンデルスゾーンの祖父。独学。「ユダヤ教徒にも人間の権利として市民権が与えられるべきことを訴えるとともに、自由思想や科学的知識を普及させ、人間としての尊厳を持って生きることが必要であると説いた。そうした目的を成し遂げるためには、信仰の自由を保証することが必要であるとした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3
→ここで挙げられた、有神論者たる啓蒙主義者8人のうち5人が英国人である、ということは、(この5人中イギリス人は2人に過ぎないけれど、)イギリスの自然宗教的伝統を感じさせます。
 これも何度か主張してきていることですが、人間主義性のみならず、自然宗教性においても、イギリス文明と日本文明は相通ずるものがあります。(太田)
 「啓蒙主義の思想家達は、ホッブスによるスコラ主義への批判に立脚して<啓蒙主義を>構築するとともに、社会が人工的に創造されたものであるとするホッブスの説明も使用(appropriate)したけれど、その、人間の本性についての見方と専制的政治は拒絶した、とパグデンは主張する。
 その代わり、彼らは、人間が社会的存在であるとの観念を回復する一方で、神学を精神的な支えとする観念から解放された、と。
 このプロジェクトの中心は「感情(sentiment)」なる観念だった。
 18世紀初頭にシャフツベリー(Shaftesbury)<(注27)(コラム#517)>やハッチェソンのような英国の「道徳的感覚(moral sense)」の哲学者達が発展させた概念である「感情」は、我々に共通する人間性に関する生得の理解、及び、仲間の人間達に感情移入する(feel empathy with)という本能的欲求、に訴えた。」(C)
 (注27)Anthony Ashley Cooper, 3rd Earl of Shaftesbury。1671~1713年。イギリスの哲学者、政治家。ケンブリッジ大卒。[ホッブスの利己主義論を批判した。]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC_(%E7%AC%AC3%E4%BB%A3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%95%E3%83%84%E3%83%99%E3%83%AA%E4%BC%AF%E7%88%B5)
http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Ashley-Cooper,_3rd_Earl_of_Shaftesbury ([]内)
(続く)